
スエ
@kickrakan
2025年4月15日

言葉の展望台
三木那由他
読み終わった
積読消化
"コミュニケーションはコミュニティを背景になされる。だからちょっとした発言に、発言者がどのようなコミュニティに属し、どのようなコミュニティに属していないのか、あるいは発言者と同じコミュニティに属して、いまコミュニケーションが試みられている受け手とは具体的には何者であり、誰がそこから追い出されているのか、ということがときに透けて見える。"p.42
"これをフリッカーは「解釈的周縁化」と呼ぶのだが、解釈的周縁化を受けているグループは結果的に自身の経験を語る言葉や概念が見出せず、それを自分でうまく理解したり、他人に伝達したりする際に困難を経験することになる。これが「解釈的不正義」と呼ばれる現象だ。"p.55
"話し手の意図や言葉の本来の意味はときに無力で、意図も言葉も捻じ曲げて意味をわがものにしょうとする力に、話し手はしばしば屈してしまう。自分の発言の意味を決める権利が、他人に奪い取られてしまう。コミュニケーションにおける遊びの余地は、同時にコミュニケーションにおける暴力の余地ともなる。"p.69
"むしろいまの自分にその言葉が当てはまらないことを承知のうえで、それでも「ヒーローならば敵から逃げないはずだ」、「魔法使いならば困っているひとを助けるはずだ」といった帰結を引き受ける意思表明として、その言葉を使っているのである。"p.124
"言葉は何かブラックホールのようなものとして私には経験されている。この言葉を使えば望ましくないこの方向へと吸い込まれてしまうし、別のこの言葉を使えば同じく望ましくないこちらの方向へと吸い込まれる。そんな引力を感じながら、私なりに吸い込まれずに使える言葉を探っているわけだ。
なんだか魔術師の戦いのようでもある。"p.146
