言葉の展望台

28件の記録
- ふるえ@furu_furu2025年8月17日読み終わった昔からなんとなく気になっていた「謝罪」の誠実さに触れられている章があってとても興味深く読む。 「謝罪」は当人たちの間で交わされる(それを聞いていた他者がいればその人たちも含めた)約束であり、その具体性が高ければ誠実といえるのではないか、逆に抽象性が高いものは何を反省しているのかがわからず約束として成り立たないのではないかみたいな話があって、とても頷く。その行為が相手のメリットになる約束になっているかどうか、というところが誠実さの一つの条件なのかもしれない。 とても面白い本だった。読みながら、言葉が古くなっていくというか、手垢がつくような現象も考えてみたいなと思った。
- ふるえ@furu_furu2025年8月4日読んでるコミュニケーションの中に潜んでいる話し手、聞き手の不平等さと、一方的な理解。さまざまなバイアスやその環境特有の価値観によって作られる当たり前が、普段の会話に大きく影響していることに気付かされる。いつも思う会話の怖さ、難しさの原因が具体的に言葉にされていてすっきりすると同時に、じゃあこの怖さにどう向き合えばいいのかとも思う。
- rkm @ All you need is 💙@rkm172025年7月22日買った読み終わった読書メモじゅうぶん読んだ差別発言について。それは単なる意見の表明でないこと。そうではなく❝「私はこう思うし、これを耳にするほかの人々たちも同じように考え、その考えの通りに振る舞っていい」という許可証を発行するような機能をもち、だからこそ実際に環境を変化させてしまう力を持つ❞ということ。 言葉って言葉だけでおさまらなくて、それを聞いた「他人に」行動をうながす働きがあります。どう思っていても思うだけなら「最低限のレベルでは」かまわない。誰もあなたの思想まで強制はできないのだから。 差別発言を公に垂れ流さないという建前とか品位が少なくとも私が若い頃にはあったと思うのですけど、匿名SNS時代になって、いえ匿名でなくてもその建前すら大事さがあからさまにないがしろになってること、そのことに対して私は最近腹を立てているところです。 ちなみに私は『言葉の風景、哲学のレンズ』を先に私はこのエッセイ集を読み、とても気に入っていますが、その順番で読んだためにかえって第1作の本書の解像度が上がったように思えます。
- 大森弥希@mitsukiomori2025年7月15日買った読み終わった@ 自宅現代分析哲学・言語哲学が専門の方によるエッセイ集。トランスジェンダー当事者によるエッセイ集としても読めるし、「『私』のいない言葉」(pp94-102)は、私自身もトランスジェンダーであることもあり、いろいろな幼少期の嫌で悲しい記憶が蘇ってきながら当時抱いていたどろどろした感情の渦に巻き込まれそうになったのだが、しかし、著者は、あくまでも学者なのである。ある方の著書を読み、その本を楽しみながらも、しかし、著者自身が子どもの頃から抱き続けている謎はまだ解けない、と、上記の文章は閉じられ、私も、負の感情に落ち込み続ける危険にはいたらず、むしろ、これまでとこれからを見つめ直すいいきっかけになった。
- 仲嶺真@nihsenimakan2025年4月18日読み始めたこの本では、日常の私が経験し、「これはいったい何だろう」と思った言葉やコミュニケーションを取り上げ、研究者としての私にも手伝ってもらいながら、そうした言葉やコミュニケーションの正体を探ってみたり、そうしたものがもたらす結果について考えを巡らせてみたりしています p.003
- スエ@kickrakan2025年4月15日読み終わった積読消化"コミュニケーションはコミュニティを背景になされる。だからちょっとした発言に、発言者がどのようなコミュニティに属し、どのようなコミュニティに属していないのか、あるいは発言者と同じコミュニティに属して、いまコミュニケーションが試みられている受け手とは具体的には何者であり、誰がそこから追い出されているのか、ということがときに透けて見える。"p.42 "これをフリッカーは「解釈的周縁化」と呼ぶのだが、解釈的周縁化を受けているグループは結果的に自身の経験を語る言葉や概念が見出せず、それを自分でうまく理解したり、他人に伝達したりする際に困難を経験することになる。これが「解釈的不正義」と呼ばれる現象だ。"p.55 "話し手の意図や言葉の本来の意味はときに無力で、意図も言葉も捻じ曲げて意味をわがものにしょうとする力に、話し手はしばしば屈してしまう。自分の発言の意味を決める権利が、他人に奪い取られてしまう。コミュニケーションにおける遊びの余地は、同時にコミュニケーションにおける暴力の余地ともなる。"p.69 "むしろいまの自分にその言葉が当てはまらないことを承知のうえで、それでも「ヒーローならば敵から逃げないはずだ」、「魔法使いならば困っているひとを助けるはずだ」といった帰結を引き受ける意思表明として、その言葉を使っているのである。"p.124 "言葉は何かブラックホールのようなものとして私には経験されている。この言葉を使えば望ましくないこの方向へと吸い込まれてしまうし、別のこの言葉を使えば同じく望ましくないこちらの方向へと吸い込まれる。そんな引力を感じながら、私なりに吸い込まれずに使える言葉を探っているわけだ。 なんだか魔術師の戦いのようでもある。"p.146
- amy@note_15812025年3月6日かつて読んだコミュニケーションってなに、会話ってなに?難しすぎ~~~!無理~~~~!と日頃常々思っている。 不毛なのはわかっているけれど、自分の言葉や相手の言葉がちゃんと齟齬なく届いているか、受け取っているかって考えると、いや意思疎通そのものがかなり無理では?ハードでは?と思ってしまうんであった 「言葉の展望台」は言語やコミュニケーションを専門とする日本の哲学者でありトランスジェンダーでもある三木那由他氏のエッセイ集。『金田一37歳の事件簿』を例に出した哲学的には認められないが、そうはいってもこういうコミュニケーションが好き!というエピソードや『僕のヒーローアカデミア』に見る誠実な謝罪と不誠実な謝罪、いわゆるご不快構文にならないためにはどうすればいいのか、我々はどういう謝罪を誠実だと感じるかというエピソードなどがあり、漫画好きの三木さんらしい漫画を絡めたエピソードがあるのもおもしろかった。学問的な解釈と三木さん自身の価値観を混ぜ合わせたエッセイでコミュニケーションや言語とはどういうものかを考えるには取っ掛かりやすい本だった 言葉って会話ってコミュニケーションって何なの?と思ったことがある人のための1冊