いるかれもん "中動態の世界" 2025年4月18日

中動態の世界
中動態の世界
國分功一郎
補遺が加筆され文庫化されたということで、早速購入に読み返した。最初に読んだ時は、自分自身が感じている苦しみとか、世界に対する違和感を見事に解き明かされているような気がして、とにかく自分を救ってくれているという衝撃を伴う感動に飲み込まれた。その一方、今回は、前回同様の感動や面白さは感じつつも、前回よりも丁寧に読み進めることができたと思う。一つ一つのトピックを丁寧に自分の中に取り込みながら読み進めることができた。そうやって落ち着いて読んでみると、改めてこの本は素晴らしい一冊だと思った。文庫本になると、参考文献等含め500ページ以上になる結構長い本であるが、一つ一つの話題を丁寧に、しかし飽きさせない書き振りとなっている。おかげで哲学にも言語にも疎い私でも、何が大切なのかちゃんと受け止めながら読み進めることができた。スピノザ、アレント、ハイデッガー、バンウェニストなど名前だけは聞いたこと(もしくは名前も聞いたことがない)ある哲学者の著作を引用して論を展開しているが、実はそこで問題にされていることが、私たちにとても身近で、私たちの中で起きている問題についてであることを、わかりやすく伝えてくれている。 結局私がどうして中動態の世界に魅了されたのかというと、自分が感じている自分の作られ方が中動態では自然に語られているということだと思う。それは、自分自身が周囲の環境や関係性の中で決まっていて、さらには、周囲の環境と自分自身は相互作用しているという感覚である。その時、私自身は、自分が意志しなくても自然と変化しているように感じることがある。その証拠かもしれないが、私は自分自身の考えや気持ちについても、どこか第三者のことのように表現してしまう。自分の考えや、気持ちが、本当に自分が納得していることなのか自信を持てない。一貫してそれを主張し続けられるか自信がない。こうした私の態度は、側から見たら「考えがコロコロ変わる」とか「意志が弱い」みたいに評価されてしまう態度にも見える。自分自身も、自分自身がそうした人物のように思えて蔑んでいた。 おそらく本書を読まれた方であれば、どうして私がこの本に救われたのか、これ以上説明する必要はないと思う。本書で書かれている能動態-中動態の世界、意志という存在が生まれる前の世界は自分の私自身の捉え方を表現する上で非常に都合が良かった。自分を語る世界観が見つかるというのは非常に感動する。それは、自分自身の感じている寂しさは、私一人だけが感じているわけではないこと、そしてそれを救おうとしている人がいることを実感するからだろうか。はたまた、自分が心地よく過ごせる内面世界を手に入れるからだろうか。いずれにしても、やっぱりこの本に私は救われた。 一方、この本を読んでいて、まだまだ理解しきれない部分も多い。特に第8章、9章、補遺。ぜひまた、私が別の環境や関係性に身を置いて、別の私になった時に読み返したい。本を読むという行為もまた、私と相互作用し、私を変容させる環境の一つである。
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