
K
@weitangshaobing
2025年4月23日

産む気もないのに生理かよ!
月岡ツキ
読み終わった
【好きなところ引用】
このままいけば、私の選択が日本の出生率の数字を向上させることはできないのだが、それでも「いろんな選択をしている人がいて、子供を持たない人生になってもなんだかんだ楽しくやってる人もいるよ」と言える社会のほうが、未来を生きる子供たちにとってもいいのではないかと思うのだ。
子供が生まれても「俺の、俺による、俺のための時間とお金」を手放してこなかったかつての父たちの陰に、「私の、私による、私のための時間とお金」を奪われ続けてきた母たちがいて、そんな母たちを見て育ったのが私のような「身勝手な女」である。
私は、私が自分のために生きることを自分に許したい。自分のために生きながら夫を大切にすることだってできる。自分のために生きながらでも、人のためにできることはある。
女の権利や自由を踏み台にしなければ維持できない「社会」なら、そもそも失敗している。 私たちは、自分を犠牲にして子供を産み育てるためだけに生きているのではない。
「自分たちは配慮されなくていい存在だ」と社会から言われているような気持ちになると、「配慮されている側」の属性にヘイトを向けたくなるのだ。
しかし、常日頃からそうやって静けさや秩序が守られた空間にばかり身を置いていると、社会で「子供」という無秩序な存在と同じ空間に居合わせたとき、どんどん不快に感じるようになってしまわないだろうか。 社会はさまざまな人が一緒に暮らす場所であり、中には自分にとって不快な行動をする人もいる。自分が完全にコントロールできる場所のほうが少ない。時には同質性の高いコミュニティから抜け出して、自分たちとは異質な人とかかわり、ある種のノイズを生活の中に入れていく必要がある。
私は子供を育てない自由を選んでいるけれど、完全に自分のためだけに生きるには、人生は長すぎるとも思う。他者のために、特に次の世代の、子供たちのために何かをしたい。それがエゴでも自己満足でも。そして、社会のために声を上げたりアクションしたりするのは、私のようにある程度人生の余力がある人間こそやるべきだとも思う。