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@weitangshaobing
興味関心:フェミニズム、韓国、東アジア、ジェンダー、セクシュアリティ、外国語学習、海外ミステリー、メディア論、食文化、料理、旅
  • 2025年5月15日
  • 2025年5月14日
    グレーとライフ
    【好きなところ引用】 何かをかっこ悪いと思う時や、面白くないと思う時は、そこにあるかっこよさや面白さが見える位置に、自分が立っていないだけだ。 自分のこれまでを振り返ると、 LGBTQの「困りごと」を知りたがる人たちは、「悲劇」を求めてきたように思う。それはたとえば、セクシャルマイノリティはいじめに遭う確率が高いとデータによって証明されているということや、差別によって希望の職につけない当事者がいるということだ。  だが、「困りごと」というのは、長い坂のようだと僕は思う。その前に立つと、誰もが迂回できる道を探す。あるいは、誰かや何かに背中を押してほしいと願う。だが、そのどちらも選べない時、人は「笑って上る」しか選択できない。苦しさに飲み込まれぬように笑って、「いい運動になる」と意味を見いだしながら一歩ずつ前に進むしかない。セクシャルマイノリティとして生きるということは、この「笑って上る」ことの連続だと僕は思う。 かわいそうな思いをしている人はたくさんいるけれど、だからと言ってその人は「かわいそうな人」なのだろうか。誰かを「かわいそうな人」にするかどうかは、いつも自分にかかっているのだ。 ない方がよかった過去も、あってよかったと思えてしまう日がくることは、人生の一つの神秘だと思う。
  • 2025年5月14日
    群れから逸れて生きるための自学自習法
  • 2025年5月14日
    グレーとライフ
  • 2025年5月14日
    食の本 ある料理人の読書録
    【好きなところ引用】 「アイデンティティとは、他者との相違の総和である」  という言葉を聞いたことがあります。人はそれぞれ好きなものも嫌いなものも異なり、そんな一人ひとりとの違いの集合こそが、自分自身という存在をかたちづくっているのだ、ということですね。まさに至言だと思います。(p.75) 世界各地に菜食主義の文化がありますが、これも日本人にとってはおおよそ他人事。それもあってか、日本におけるヴィーガンの評判は決して芳しいものではありません。分断どころか対立構造さえあるように見えます。双方に様々な原因はあると思いますが、根本にあるものは「普通である自分たち」と「普通ではないヴィーガン」という意識がもたらす無理解なのではないかと思っています。(p.116) 食のタブーが決して特殊な文化と見做されないからこそ、折り合いの付け方もまた柔軟かつ巧みである、ということになるのでしょう。日本人はもしかしたら、食における多様性の受け入れ方が少し不器用すぎるのかもしれません。(p.117) ざっかけない昔ながらの飲食店で、店の片隅でそこんちの子供が宿題をしているような光景に時折出会うことがあります。そういう環境は子供本人にとってどうなのか、という議論はあるかもしれませんが、少なくとも僕は、その光景を見るととても幸せな気分になります。時折おばあちゃんであろう店の女将や従業員、時に常連客までもが、「かまって」あげると、子供はなんだか歳の割に大人びた口調でそれに応えます。(p.146)
  • 2025年5月13日
    なぜ難民を受け入れるのか
  • 2025年5月10日
    群れから逸れて生きるための自学自習法
  • 2025年5月10日
    夫婦別姓
    夫婦別姓
  • 2025年5月8日
    グレーとライフ
  • 2025年5月7日
    食の本 ある料理人の読書録
  • 2025年5月7日
  • 2025年5月7日
    落雷と祝福
    落雷と祝福
    【好きなところ引用】 ストロング系チューハイの 8缶目を開けたとき、酒豪の友達が「まほぴもお酒強いんだ」と言った。『 NANA』かと思った。(p.143) 気持ちにぴったり合う。そうか。「好き」という感情には、好きになった対象の魅力だけでなく、自分自身の気持ちや感覚に「ぴったり合う」感覚も含まれているんだ。つまり、「好き」について語るときには、相手のことだけでなく、自分の心の動きについても伝える必要があるということなんだ。(p.3) 一生と一瞬を天秤にかけて、一瞬の方を覚悟とともに選べてしまうことが恐ろしいと思った。そして眩しいと思った。(p.86)
  • 2025年5月6日
    落雷と祝福
    落雷と祝福
  • 2025年5月6日
  • 2025年5月6日
    アセクシュアル アロマンティック入門 性的惹かれや恋愛感情を持たない人たち
    【好きなところ、勉強になったところ引用】 同性愛差別の問題と女性差別の問題は別々にあるのではなく、お互いに結びついているということでもあります。そしてこのようなシステムは、強制的性愛の背景として位置づけることができます。性交渉や生殖をともなう親密関係へと人々を追い込む仕組みが性差別として成立しており、それによって同性愛者だけでなくアセクシュアルやアロマンティックの人々も周縁化されるということなのです。(p.158) 性的関係の特別扱いをやめることは、性的関係と性的でない関係を対等に扱うだけでなく、結果としてさまざまな性愛を対等に扱うことにもなるのです。(p.212) セクシュアリティを強制されるという問題は、特定のアイデンティティを持っている人だけに降りかかるものではありませんし、特定の惹かれを経験する人・しない人だけに降りかかるものでもありません。強制的性愛はまさに社会の構造的な問題であり、誰もが影響を受けるものです。単に Aro/ Aceという「例外的な少数者を受け入れてあげる」と考えるのではなく、異性愛を含むいかなるセクシュアリティも特別扱いしない社会を目指すことによってこそ、 Aro/ Aceの人々だけでなく多くの人にとって生きやすい社会につながるのではないかと思います。(p.233)
  • 2025年5月2日
  • 2025年5月2日
    修理する権利
    修理する権利
  • 2025年4月30日
  • 2025年4月30日
    新聞記者がネット記事をバズらせるために考えたこと
    【よかったところ、好きなところ引用】 デジタルの世界では、自分と無関係な他人事と、自分に関係のある「自分事」という対比がキーワードになることが多い。おそらくその理由は、ネットに情報があふれすぎているため、「自分に関係するかどうか」という観点で取捨選択をしないと〝情報の洪水〟に飲み込まれてしまう恐れを読者が感じているからだと考えている。 「読者が今、何を求めているのか」をかぎ分けるのは簡単ではない。一方で、それは報道機関の本来の仕事とも言える。新聞記者の記事がデジタルであまり読まれなかったのは、書き方以前に、読者が「知りたい」と思っていることに本当の意味で応えようとしてこなかったからかもしれない。 目指すべきなのは取材した内容をできるだけ分かりやすく伝えて内容を理解してもらうことであり、表現の美しさを競うわけでもなく、洗練された文章を読ませたいという狙いもない。 能動的に情報を得たい人と、受動的に情報を得たい人が必ずしも別人でない点だ。同じ一人の中に双方が存在していることにある。新聞読者である私自身が、デジタル読者でもある。新聞を広げて能動的にニュースを把握しようとする時と、通勤時や暇な時にスマホに表示された記事を受動的に眺めている時がある。記事をどういうタイミングや状況で読むかによって、読者の心の持ちようも変わってくるのではないだろうか。
  • 2025年4月30日
    生きる力が湧いてくる
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