
本屋lighthouse
@books-lighthouse
2025年4月25日

私はなぜ自分の本を一冊も書かなかったのか (批評の小径)
マルセル・ベナブー
読んでる
まだ読んでる
今では逆に、書く喜びは読む喜びの別の側面だと感じ始めていた。対になった二つの営みの間で作業が微妙に入れ替わり始めてさえいたのだ。(p.74)
言うなれば、書きためた断片と借用した抜粋を苦心して編集したような代物だ。それら恥知らずなページにおいて、あからさまであるにせよ隠されているにせよ、引用は少しずつ打ち明け話をするために使われているのか、それとも、打ち明け話の方が博識を披露する枠組みとなっているのか、もはや見定めるすべはないであろう。(p.77-78)
他者の本を読まなければ自分の文章は紡げないし、明白な引用でなくても自分の紡いだ文章のなかには確実に他者の書いた文章(の変形したもの)が入り込んでいる。この状況を嘆く、あるいは批判するかのような文章で締め括られるこの章のタイトルが「正しい使い方」なのは、おそらく著者がこのようなありかたをシニカルに推奨しているということなのだろう。元気が出る。











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そもそもこの本自体が引用と打ち明け話に彩られており、次の章「唯一の本」ですぐさま著者は引用をきっかけに自らの過去について語り始める。あるいは、自らの過去を語るために他者の文章を引っ張りこんでいる。