JUMPEI AMANO "権利の名のもとに" 2025年4月25日

JUMPEI AMANO
JUMPEI AMANO
@Amanong2
2025年4月25日
権利の名のもとに
第5章2節「右派ヴィーガンの擡頭」めちゃくちゃ面白い。というかグロテスクすぎる。 イスラエル国防軍がどのような理屈で「世界で最も倫理的」な軍隊であると謳われるのか。倫理的理由からヴィーガンを包摂することで、イスラエルの例外的な倫理的優位性が打ち立てられ、かつ中東における西洋文明の守護者というやはり例外的立場が担保されることになる(188-189頁)。 そして人間/(非人間)動物の二項対立をなぞりながらその境界を巧妙に操作し、「テロリスト」と見做されるパレスチナ人などが「非人間化」されていく。 〈つまり、そのイスラエルで顕著になりつつあるヴィーガン・ナショナリズムの枠組の中では、ある動物は軍隊によって守られる保護の対象である一方で、またある動物(とされるテロリスト)はその保護の対象ではない。ここに、まさに倫理をめぐる例外主義が働いている。国家に敵対的であるような動物(的人間)は、その権利主体としては認められないという意味で、ヴィーガン・ナショナリズムの下では、ヴィーガンと保護の対象として認められる動物は、選択的で例外的に包摂されるのであり、その際伝統的な主権に関する境界を維持している。〉(198頁) 〈ダルズィエルとワディウェルは、アニマル・ナショナリズムの枠組を理論化する際に、「白い人間/男が白い動物を茶色い人間/男から救う」という表現を用いていた。しかし[...]イスラエルの対テロ戦争に文脈化されるヴィーガン・ナショナリズムの枠組では、救う先の人間は、もはや人間/男と想定されていない。そのため、もし強いてこの表現を使うのであれば、このように修正されねばならないだろう。ヴィーガン・ナショナリズムは「白い人間/男が白い動物を(「テロリスト」という)茶色い動物から救う」ものであると。〉(199頁) 一見倫理的な「包摂」のあり方が問い直される重要なセクション。勉強になった。
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