権利の名のもとに

24件の記録
- JUMPEI AMANO@Amanong22025年4月26日読み終わった朝読書終章読み終わる。最後は2023年10月7日以後の話。 〈[...]現在のイスラエルで表出しつつあるヴィーガン・ナショナリズムの下では、動物に対しても倫理的であることを国家の優位性に結び付ける言説が登場する一方で、規範的な人間/動物の境界を用いて戦争を正当化する人間中心主義的なナショナリズムも併存している。渦中のガラントの発言[=「我々は人間動物と闘っているのだ」]は、テロリストと同一視されるパレスチナ人がいかにして非人間化されているかを、まざまざと見せつけている。〉(264頁) 先日読んだ福永玄弥さんの『性/生をめぐる闘争』と共に2025年を代表する人文書になるのでは。読めてよかった。
- JUMPEI AMANO@Amanong22025年4月26日まだ読んでる就寝前読書第6章も読み終わる。固有の歴史や系譜を押さえることの重要性を、改めて思い知らされる。 〈[...]シオニストらの言説においてユダヤ人が動物と見做される際、そのユダヤ人の動物性は、国家の言説を通じて肉体的・精神的な近代化を達成することによって解消されると主張されている点で、二重の意味で「克服されるべきもの」と描きれてきた。その二重の克服とは、近代性に照らし合わせた精神的な動物性と同時に、物質的な非ユダヤ人からの非人間的扱いという二つの状態の否定である。〉(236-237頁) とりわけ後者に関する記述を読むことには苦しさが伴った。 〈ショアーをめぐるシオニストらによる言説には、加害者側であるナチス・ドイツ及び被害者側であるユダヤ人の双方どちらに言及する際にも、動物の形象が用いられている[...]。しかし、シオニストらにとってより重要な意味を持つようになったのは、被害者側であるユダヤ人を表す羊の形象と、それによって強調される受動性の方であった。それは、より強固で頑強なイスラエルのヒロイズム及び男性性を傷つけるものと見做されていたからである。[...]もう二度と羊のようなは非人間的な扱いを受けてはならないという教訓が、シオニズムの「強さ」を要請している。〉(235-239頁) 動物の被害に対しショアーの比喩を用いること、それが対テロ戦争においてどう機能するかという点も興味深かった(240-243頁)。
- JUMPEI AMANO@Amanong22025年4月25日まだ読んでる就寝前読書第5章読み終わる。 3節、シオニストとしてのヴィーガン兵士の語りの分析が面白い。ヴィーガンであることで「弱い」身体と見做される、という点も(203頁の「たんぱく質」への言及はとりわけ興味深かった)。 〈そこでは、ヴィーガンの基準に照らしてもイスラエル国防軍は倫理的に優位だという主張が内包されており、同時にイスラエル国防軍におけるヴィーガンの存在は、これらの人々を積極的に包摂するイスラエル国防軍の倫理的優位性を証明してくれるものである。その意味でヴィーガンは肉食者よりも倫理水準の高い「モデル・マイノリティ」でもある。〉(206頁) 〈つまり、ヴィーガンが従軍できることに関するイスラエル国防軍の表明は、覇権的な人間/動物、肉食/非肉食の境界の廃止を必ずしも意図するものではない。むしろ、その覇権的な境界を温存しながら、採食者という非規範的な身体が、肉食者と同様に任務に就ける限りにおいて包摂されるという論理構造が表出しているのである。〉(207頁) 4節のまとめもかなり重要で、何度か読み返して落とし込みたいところ。 ある権利運動が、「無害化」される一方で完全には「非政治化」されないことにより、国家に都合の良い形で切り取られてしまうこと(208-209頁)。ホモナショナリズムの優位性の言説とヴィーガン・ナショナリズムの優位性の言説は兄弟関係があるものの、明らかに異なる点も存在すること(209-210頁)。
- JUMPEI AMANO@Amanong22025年4月25日まだ読んでるお風呂読書第5章2節「右派ヴィーガンの擡頭」めちゃくちゃ面白い。というかグロテスクすぎる。 イスラエル国防軍がどのような理屈で「世界で最も倫理的」な軍隊であると謳われるのか。倫理的理由からヴィーガンを包摂することで、イスラエルの例外的な倫理的優位性が打ち立てられ、かつ中東における西洋文明の守護者というやはり例外的立場が担保されることになる(188-189頁)。 そして人間/(非人間)動物の二項対立をなぞりながらその境界を巧妙に操作し、「テロリスト」と見做されるパレスチナ人などが「非人間化」されていく。 〈つまり、そのイスラエルで顕著になりつつあるヴィーガン・ナショナリズムの枠組の中では、ある動物は軍隊によって守られる保護の対象である一方で、またある動物(とされるテロリスト)はその保護の対象ではない。ここに、まさに倫理をめぐる例外主義が働いている。国家に敵対的であるような動物(的人間)は、その権利主体としては認められないという意味で、ヴィーガン・ナショナリズムの下では、ヴィーガンと保護の対象として認められる動物は、選択的で例外的に包摂されるのであり、その際伝統的な主権に関する境界を維持している。〉(198頁) 〈ダルズィエルとワディウェルは、アニマル・ナショナリズムの枠組を理論化する際に、「白い人間/男が白い動物を茶色い人間/男から救う」という表現を用いていた。しかし[...]イスラエルの対テロ戦争に文脈化されるヴィーガン・ナショナリズムの枠組では、救う先の人間は、もはや人間/男と想定されていない。そのため、もし強いてこの表現を使うのであれば、このように修正されねばならないだろう。ヴィーガン・ナショナリズムは「白い人間/男が白い動物を(「テロリスト」という)茶色い動物から救う」ものであると。〉(199頁) 一見倫理的な「包摂」のあり方が問い直される重要なセクション。勉強になった。
- JUMPEI AMANO@Amanong22025年4月24日まだ読んでるお風呂読書第4章を読み終わる。〈肉食と動物の置かれた現状への批判を削ぎ落とされ、無害化され、個人の選択の問題に落とし込まれている〉(170頁)ヴィーガニズムに関する分析。〈動物の権利のパレスチナ問題との切り離し〉(172頁)については次章で詳述されるようなので楽しみ。
- JUMPEI AMANO@Amanong22025年4月24日まだ読んでる就寝前読書ヴィーガニズムの無害化と同時に、右派を自認するヴィーガンや動物の権利活動家、あるいは動物の権利擁護を訴える政治家が擡頭してきたという描写から始まる第5章1節。 イスラエルにおける動物の権利をめぐる政治と植民地主義とのつながりを指摘する様々な研究紹介も気になるところ。出だしからかなりワクワクする内容。 〈[...]プアのホモナショナリズムの枠組では、国家の先進性と民主性を象徴する新たな「戦士」の役割を同性愛者が担っているという点を上手く説明できている。一方、アニマル・ナショナリズムの枠組では、動物の権利の擁護を積極的に主張することによって「誰が愛国者になってくれるのか」という部分を上手く説明できていない。[...]動物が積極的に国家を守る「戦士」になってくれるわけではない。本章では[...]イスラエルの事例について、アニマル・ナショナリズムの代わりに、「ヴィーガン・ナショナリズム」を提唱したい。〉(178-179頁)
- JUMPEI AMANO@Amanong22025年4月23日まだ読んでるお風呂読書第3章を読み終わる。章が進むにつれぐいぐい読まされてしまう。 3節。ユダヤ人が「国家を持つのに相応しくない堕落していて女性的でなよなよしたクィアな存在」として見做されてきた経緯を押さえつつ、それを跳ね返すために生まれたという「シオニズムの男性性の回復の系譜」が興味深い。 〈つまり、この筋肉的ユダヤ人の創出は、全く新たなユダヤ人の創出でもなければ、過去への回帰でもなく、[...]古代ユダヤの歴史のヒロイズムに基づきながら、ヨーロッパ近代主体に劣らない身体性の獲得を目指すものであった。〉(121-122頁) 〈「新しいユダヤ人」の創出の中でも、とりわけ身体的な鍛錬を通じた理想的な身体の獲得を重視するこの考え方は、入植を重視した実践的シオニズムの系譜に受け継がれていた。〉(122頁) 〈この新しいユダヤ人の身体と新しい国家は、ジェンダー化された男性的なものでもあり、退廃したディアスポラが女性的でなよなよしたものと理解されていたために、「健康で異性愛的な変形に必要な場」となった〉(124頁、プアの主張、これは4節で問い直される) 4節。リクード・プライドの団体ロゴに書かれている標語「イェシュ(〜がある)・ラハ/レハ(あなたには)・バイト(家)」の「バイト」に込められた3つの含意とその機能の分析、そこからの展開も面白い。 〈本節で示したデル・アヴィヴのピンク・トライアングルの事例やリクードのスローガンの事例では、人間としての尊厳を失ったユダヤ人と、人間としての尊厳を失った同性愛者が重ね合わされ、そのどちらも回復されるべき主体と措定されている。[...]シオニズムの語りは、男性性を求める単線的な語りではなく、むしろ被害者性と弱さをもそのまま受け入れ、包摂する両義的な語りであることが分かる。〉(133頁) 〈[...]プアのホモナショナリズム以降のイスラエルのジェンダー・セクショナリティ研究者らは、イスラエルの事例のうちホモナショナリズム的側面のみに焦点を合わせてきた傾向がある。[...]しかし、イスラエルの現在のSOGIをめぐる政治的状況を単にホモナショナリズム的であると片付けてしまうのは、やや性急と言わざるを得ない。なぜなら、[...]イスラエル土着のナショナリズムの一つであるシオニズムは、ユダヤ人がまずもって「ヨーロッパの他者」として規定されてきた歴史性を出発点としているからである。[...]この[...]歴史的固有性こそが、性的少数者の権利擁護に関する二つの両義的な語りを生み出している。〉(134頁) 次章からはいよいよ「Ⅱ 動物の政治」に突入。
- JUMPEI AMANO@Amanong22025年4月22日まだ読んでる就寝前読書勢いで第2章も読み終わる。 2節は1990年代の性的少数者の権利運の分析。具体的な証言の数々がとても面白い(81頁〜)。 〈[活動家の]ハイームは、一九九〇年代までの運動が軍事主義や男性中心主義と距離を取り、フェミニズムやパレスチナといった問題との交差性をより重視していたと述べている。これは、一九九〇年代初頭のイスラエルにおける性的少数者の権利運動にフェミニズムの影響が大きかったことにも表れている。〉(82頁) 〈[...]一九九〇年代から二〇〇〇年代初頭にかけては、現在の主流化路線だけではない、複数の性的少数者の権利運動の手法を採る動きが活発であった。しかし、一方で、ゲイやレズビアンを、異性愛者と変わらない存在と位置付け、「良い国民」と描く傾向は、とりわけ法的な権利を獲得してゆく一九九〇年代の過程では顕著に表れていた。〉(83頁) 右派の政治家の言説を見ながら、対テロ戦争の文脈にどのようにSOGIが政治的に位置付けられていくかを分析した3節も読み応えあった。 でも、パレスチナの状況を思い浮かべながらネタニヤフとゲイ当事者議員アミル・オハナの発言を読んでいると、ものすごく不快な気持ちになり胃がムカムカしてくる...(だからちゃんと見ていくことが大事なのだけど...)
- JUMPEI AMANO@Amanong22025年4月22日まだ読んでるお風呂読書第1章を読み終わる。4節の「テル・アヴィヴ市の売り出し——東京レインボープライド2014パンフレットの事例から」の分析が面白い。図版も興味深い。
- JUMPEI AMANO@Amanong22025年4月20日読み始めた就寝前読書お風呂読書序章をまず読む。(テーマ的に当然ながら)「ホモナショナリズム」や「例外主義」など、先日読み終えたばかりの『性/生をめぐる闘争』終盤に出てくる話から始まるので、間を置かずに読み始めてよかったと思った。