
JUMPEI AMANO
@Amanong2
2025年4月26日

権利の名のもとに
保井啓志
まだ読んでる
就寝前読書
第6章も読み終わる。固有の歴史や系譜を押さえることの重要性を、改めて思い知らされる。
〈[...]シオニストらの言説においてユダヤ人が動物と見做される際、そのユダヤ人の動物性は、国家の言説を通じて肉体的・精神的な近代化を達成することによって解消されると主張されている点で、二重の意味で「克服されるべきもの」と描きれてきた。その二重の克服とは、近代性に照らし合わせた精神的な動物性と同時に、物質的な非ユダヤ人からの非人間的扱いという二つの状態の否定である。〉(236-237頁)
とりわけ後者に関する記述を読むことには苦しさが伴った。
〈ショアーをめぐるシオニストらによる言説には、加害者側であるナチス・ドイツ及び被害者側であるユダヤ人の双方どちらに言及する際にも、動物の形象が用いられている[...]。しかし、シオニストらにとってより重要な意味を持つようになったのは、被害者側であるユダヤ人を表す羊の形象と、それによって強調される受動性の方であった。それは、より強固で頑強なイスラエルのヒロイズム及び男性性を傷つけるものと見做されていたからである。[...]もう二度と羊のようなは非人間的な扱いを受けてはならないという教訓が、シオニズムの「強さ」を要請している。〉(235-239頁)
動物の被害に対しショアーの比喩を用いること、それが対テロ戦争においてどう機能するかという点も興味深かった(240-243頁)。
