
柿内正午
@kakisiesta
2025年4月27日

読み始めた
“「舎利子」とわたしは呼びかけ、規定の文章を読み上げていく。「実際のところ、あなたのような症状は珍しくない。この症状は生真面目な者に、そうしてある程度以上の規律の下に育った存在に多く見られるものだ。こうした症状を呈する者はみな、意思疎通についての期待度が高いことが知られている。自分からなにも言わずとも気持ちはわかってもらえるし、自分は相手の気持ちがわかると判断している。自分の暮らしぶりは誰からも認められるものであるとわかっているし、自分は多くの者の生活を大切に真摯に捉えていると考えており、自分は右でも左でもない中道であると主張する。全体を俯瞰する目を備え、不偏不党で公正な判断を下してきたという自負がある。言葉はひどく透明なものであり、まるで存在しないと考えていると言ってもいいかも知れない。単語のひとつひとつに躓き、一音一音にためらいを覚えることなどはない。そんなことをしていては魚はおぼれてしまうから。心臓は自らのリズムが外れることに不安を抱いたりはしない。
でも実際のところ、こうして高速、大量の情報のやりとりが実現してみて判明したのは、言葉や気持ちは全く透明なものではなくて、ふとすると、もつれにもつれて機能不全に陥ってしまうものだったということだ。かつてスパイ小説はフィクションだった。フィクションだったがフェイクとは異なるものだった。今でもそれはフィクションだけれど、どちらかというとファンタジーに近いものになってしまったことは否めない。なぜかといえば情報が陰謀が整然とやりとりされるような諜報戦は存在しないことが明らかになってしまったからで、敵と味方の間のクリアなやりとり、だまし合いが整然と進行するなんてことは起こらないと白日に晒されてしまったからだ。これは戦争についても同様で、双方が整然と、相手の意図を読み取りながら先読みの先読みの先読みをしながら争うような戦争の描写は今やファンタジーでしかありえなくなってしまった。おとぎ話としてはそれがいい。なによりもわかりやすいし、何にしたって結末は大して変わりがないから。
つまり、あなたのような症状は、存在しないフィクションを求めて成立させるためにフェイクが必要となった段階で生じる典型例にすぎない。自明な敵、正当な味方、歴然とした証拠。戦争を制御する軍産複合体に、売り上げを優先して人命を無視する製薬会社。自らの利益のために国民を無視する政治家、でっちあげられていく環境問題。お話をクリアにするためにそうしたフェイクを信じることになりがちだ。なぜならばそちらの方が筋が通るし、血湧き肉躍る刺激が得られるからだ。ニューロンのネットワークを簡易に刺激することが可能となるから中毒性も高いし、慢性化しやすい。そうした者たちは言葉が透明ではないことを認められず、この世に意図がないことを信じられない」”





