
DN/HP
@DN_HP
2025年4月28日
サブリナとコリーナ
カリ・ファハルド=アンスタイン,
小竹由美子
『孤独の要塞』のグラフィティの描写を読みながら思い出していた、心のアンソロジーの中盤にも収めている一編、コロラド州デンバーに住む女性ライターの物語をまた読んでいた。
望まない二度目の妊娠を知った日、まだ愛している昔の恋人と共に操車場に忍び込み、貨車に自分の“名前”を描きにいく。両親につけられた名前でも、夫や昔の恋人が呼ぶあだ名でもなく、自らつけた「K-SD(読み方はCased)」という名前を。
彼女はその名前が、読み方とは裏腹に路線の「見事なルートの広がり」に乗って、デンバーから、ワイオミングやカンザスにユタ、カリフォルニア、「そんなに遠くまで行くという考え」を気に入っている。それに、列車が家の近くを通るたびに、そこに名前が描かれているかもしれない昔の恋人のことを思い出すこと、自分のことを思い出してもらうことも。
道標を見失い、街と人生に囚われ迷子になったような彼女の物語は哀しくて「やるせない」けれど、あるいはだからこそ、グラフィティに託している想いはとてもロマンティックだ。そもそも、”ストリート“から生まれたカルチャーにはどれもロマンティックな側面がある。少なくとも外からそれを観ている分には。
そんな話をあるライターにしたことがある。この短編をはじめて読んだ数日後、北の方へ向かう車中。「グラフィティってめちゃくちゃロマンティックだと思ったんですよね……」「グラフィティはロマンティックですよ」ああ、やっぱり、と思ったその会話もまた、ロマンティックな物語の一場面になりえたかもしれない。大好きな一編を読みながら、そんなことも思っていた。


