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@teihakutou
2025年5月4日

愛情という名の支配
信田さよ子
読み始めた
今日は第1章。初っ端から目から鱗。
「アルコール依存症の人たちは、妻が監視したり、酒びんを隠したり、お説教することで、もっと多量に飲むようになったり、隠れ飲みをするようになったりするのです。[…]つまり、妻が「夫のために」と世話をし、面倒を見ることが、夫のアルコール依存症をもっとひどくしてしまっているのです。これをenabling(イネーブリング)と呼びました。酒をやめさせようとすることが、飲酒を可能にする(enable)ことへの発見でした。」
「アルコール依存症の夫は働かない上、わけの分からないことを言って妻を困らせます。そして、頭の中はいつもアルコールのことばかりです。その妻は夫への不満を子どもにたれ流します。そして、夫がアルコールを飲むか飲まないか、夫の調子がいいか悪いかばかりを考えています。その子どもは、母からたれ流される夫への不満をすべて受けとめ、自分が母の期待に沿っているか、母は機嫌がいいか、悪いかばかりを考えています。このように、アルコールにはまる父、その夫との関係にはまる母、その母との関係にはまる子といったように、アルコール家族は嗜癖に満ちています。」
わたしの母、まさに酒びんを隠すイネーブラー(enabler)だ。「共依存は「関係」への嗜癖」という説明がわかりやすかった。
いろんな記憶がぼんやりしているわたしにしては珍しくはっきりと覚えている景色がある。中1のとき、夜、自分の部屋で先に布団に入って電気を消すと、リビングからの明かりが漏れ入ってきてまだ眠れずにいたら、両親が喧嘩をしている声が聞こえる。いつも喧嘩ばっかりしてるんだから離婚すればいいのになんで離婚しないんだろう、そうか、わたしという子どもがいるからか、わたしがいるから離婚したくてもできないんだ、あーあ、と思いながら眠りについた記憶。
「私はこの家にいてはいけないのではないか、といった感覚を幼い頃から持ち続けた子はどうやって家族の中で生きるのでしょうか。それは親から見て、邪魔にならないか、役に立つ子か、自慢の子か、を演るしかないのです。」




