愛情という名の支配

3件の記録
- r@teihakutou2025年5月6日読み終わった第5章〜最後。 遅まきながらもわたしが実家を出たことで、母がやっと好き勝手にできる時間が増えたんじゃないかと思うと、一人暮らしを始められたことは両者にとってよいことだったと思う。自分の思うこと・欲望に蓋をせず、ちゃんと表に出し、嫌なことはなるべくせずに、自分の判断で好きにするのがいい。わたしものびのびやるから、母も精一杯自分の好きなように自分の人生を生きてほしい。 p.164: 「家族は夫婦対子どもの形をしていなくてはいけないのに、母子対父となった時、バランスを崩します。その時、象徴的な言葉が、「あなたは、お父さんのようになっちゃ駄目」なのです。これは子どもに絶対言ってはいけない言葉です。なぜ、そのような男と夫婦でいるのでしょうか。子どもに似るなという当の男と夫婦をやることの欺瞞が分からないのでしょうか。」 母が読んだら大ダメージを受けるだろう文章。うちは母娘で父の悪口をたくさん言ってきた。 p.166 : 「「相手を変えようとしない」つまりコントロールしない表現が、アイメッセージなのです。このことが相手にも分かると、不思議なもので相手も自分をコントロールしなくなります。つまり、共依存の関係から抜け出る第一歩はアイメッセージなのです。」 p.212: 「自分を責めても自分は変わらない」 新刊『なぜ人は自分を責めてしまうのか』も気になる。
- r@teihakutou2025年5月5日読んでる第2〜4章。 アダルト・チルドレン(AC)という言葉は知っていたけど、それがもともとはAdult Children Of Alcoholicsが語源で、アルコール依存症と密接に関わる概念だということをはじめて知った。そこから、機能不全家庭で育った人をACと呼ぶように対象が広がったのだと。 うちの父は医療機関で診断を受けたわけではないからアルコール依存症とは言えないかもしれないし、暴力を振るうわけでもないが、父の飲酒とそれに伴う言動にはうんざりしていて、わたしはたぶん傷ついてきた。ACは自己認知を基本とするそうだから、自分にとって必要なアイデンティティで、自分がそうだと思えば、ACなのだ。 以下、メモ。 p.92: 「人というのは、自分のことを語る内容が変われば自分も変わるのです。内容が変われば自分が変わるし、自分が変わると内容が変わる。こういうふうに、私たちが自分のことを語る内容というのはどんどん変わっていくのです。これが自分が変わることであり、回復なのです。」 p.102: 否認について。我が家の風景だと思った。昨晩どんなに怒鳴っても、朝になれば母は普通に起きて家事をするし、父は昨晩あったことを覚えていなかったり、起きられなくて遅刻・欠勤したりもするが、普通に会社に行くこともあり、誰も昨日のことには触れない。「何もなかったようにするテクニック、これが否認」。 p.114: 「共依存的な支配とは何でしょうか。それは、「理解」「期待」、それから「アドバイス」。」 フーコーの引用は『監獄の誕生』かな。 p.121: 「共依存的な支配というのは、原理的に言うと、自分というものを持たないで、他者の世話をする、他者の面倒を見る、他者を正しく導くということに、自分の存在を見いだしていく人たちのことです。ですから、常にその背後にあるのは「正論」という言葉です。」 p.140: 「回復というのはどういうことかと言うと、親を「まあ、可哀相なおばあさんだわ」とか、「あの人もああやって死ぬんだわ」とか、「老人病院に入っているから、時々は見舞いに行こう」と思えばいいのです。そうすれば一人の人として見られることでしょう。親は、自分が日常暮らしている中のごく一部になるのです。そうすると強大だった親がどんどん縮小していって、ごく小さい存在になっていきます。[…]つまり、親のドラマと自分のドラマの間に境目ができて、ジャンクション(接合地点)のように分かれていく、[…]そしてこちらの道から向こうの道を見る感じ、こういうのがACの回復だと思います。」 p.142: 「ACはフェミニズムと連動している」 「男と女の間の支配関係を読み解くのが、フェミニズムだとしたら、子どもの視点から見た親というものを照射して、子どもと親との支配関係を読み解くのが、AC」
- r@teihakutou2025年5月4日読み始めた今日は第1章。初っ端から目から鱗。 「アルコール依存症の人たちは、妻が監視したり、酒びんを隠したり、お説教することで、もっと多量に飲むようになったり、隠れ飲みをするようになったりするのです。[…]つまり、妻が「夫のために」と世話をし、面倒を見ることが、夫のアルコール依存症をもっとひどくしてしまっているのです。これをenabling(イネーブリング)と呼びました。酒をやめさせようとすることが、飲酒を可能にする(enable)ことへの発見でした。」 「アルコール依存症の夫は働かない上、わけの分からないことを言って妻を困らせます。そして、頭の中はいつもアルコールのことばかりです。その妻は夫への不満を子どもにたれ流します。そして、夫がアルコールを飲むか飲まないか、夫の調子がいいか悪いかばかりを考えています。その子どもは、母からたれ流される夫への不満をすべて受けとめ、自分が母の期待に沿っているか、母は機嫌がいいか、悪いかばかりを考えています。このように、アルコールにはまる父、その夫との関係にはまる母、その母との関係にはまる子といったように、アルコール家族は嗜癖に満ちています。」 わたしの母、まさに酒びんを隠すイネーブラー(enabler)だ。「共依存は「関係」への嗜癖」という説明がわかりやすかった。 いろんな記憶がぼんやりしているわたしにしては珍しくはっきりと覚えている景色がある。中1のとき、夜、自分の部屋で先に布団に入って電気を消すと、リビングからの明かりが漏れ入ってきてまだ眠れずにいたら、両親が喧嘩をしている声が聞こえる。いつも喧嘩ばっかりしてるんだから離婚すればいいのになんで離婚しないんだろう、そうか、わたしという子どもがいるからか、わたしがいるから離婚したくてもできないんだ、あーあ、と思いながら眠りについた記憶。 「私はこの家にいてはいけないのではないか、といった感覚を幼い頃から持ち続けた子はどうやって家族の中で生きるのでしょうか。それは親から見て、邪魔にならないか、役に立つ子か、自慢の子か、を演るしかないのです。」