
r
@teihakutou
2025年の目標:児童書と歌集をよく読む
- 2025年5月24日共依存信田さよ子読み終わったこの本を読んで初めて、アルコール依存症の妻をケアする夫というパターンに考えが及んで、「妻からの共依存は、ジェンダー規範に基づいたケアを逆手にとった夫に対する唯一の支配」なのだという新しい視点が追加された。夫婦関係の対称性という前提を疑うことで見えてきたこと。 “共依存”と言われる女性は、サバイブするためにその生き方を選ばざるをえなかった人が多い。そして、女性にばかり“共依存”という言葉がネガティブなレッテルとして付与されるけど、本当に怖いのは、ケアする側がされる側よりも権力を持っている時…… 人間が対等であることを素朴に信じたいが、男女はどこまでいっても非対称なのか…… 権力関係には敏感であらねばとは思う。
- 2025年5月21日ようこそ、ヒュナム洞書店へファン・ボルム,牧野美加読み終わった登場人物たちの直面する(してきた)いろんな種類の出来事に、人生……となる。全体の雰囲気も好きな作品。 自分のことも省みて、やっぱりわたしには立ち止まる時間が必要だったと思った。それぞれのスピード、ペースで自分にとって良いほうへ変化していけるのがよい人生だと思う。
- 2025年5月20日夜のふたりの魂ケント・ハルフ,橋本あゆみ気になるヒュナム洞書店
- 2025年5月19日その男ゾルバニコス・カザンザキス,秋山健気になるヒュナム洞書店
- 2025年5月19日海よりもまだ深く佐野晶,是枝裕和気になるヒュナム洞書店
- 2025年5月17日風味絶佳山田詠美気になる
- 2025年5月14日ショウコの微笑吉川凪,小林由紀,チェ・ウニョン〔崔恩栄〕,横本麻矢,牧野美加気になるヒュナム洞書店
- 2025年5月14日あまりにも真昼の恋愛すんみ,キム・グミ気になるヒュナム洞書店
- 2025年5月14日光の護衛チョ・ヘジン,金敬淑気になるヒュナム洞書店ファン・ボルム(牧野美加訳)『ようこそ、ヒュナム洞書店へ』より “『光の護衛』のような小説を読むと安心するんです。わたしの小さな好意が、誰かにとっては「わたしはあなたの味方です」という意味に聞こえたことがあるんじゃないか。わたしたちは未熟で弱くて平凡だけど、平凡なわたしたちも善意の行動を起こすことができる、そういう意味で、ほんの一瞬、偉大な存在になれるんじゃないか。”
- 2025年5月14日赤い薔薇ソースの伝説ラウラ・エスキヴェル,Laura Esquivel,西村英一郎気になるヒュナム洞書店
- 2025年5月12日タフラブ 絆を手放す生き方信田さよ子読み終わった長年感じてきた不思議が解きほぐされていくので、面白くて先を急いでいたらあっという間に読み終わった。想像の及ばなかった家族の風景もあり、みんなの家族の状況を知らないからわからなかったけど、だいたいうまくいかないのが家族というものなのかもと思えた。 「私」と別の「私」が境界を越えてしまうのだから、こじれるに決まってる。どんなに親しくなっても、自我を持った個人、人権を保障された個人としての領域を守る境界線は必要。 「理解」なんて所詮無理ということも定期的に思い出したい。 ── 家族問題を解決するために必要なことは「理解の断念」なのである。別の言い方をすれば、「コミュニケーションの断念」とも言える。[…]「断念」と「断絶」は違う。断念こそが、ほかならぬ「タフラブ」の第一歩なのだ。 タフラブは、相手にわかってもらおう、相手にわからせようとすることのない愛といえる。また、わかってあげようとはしない愛でもある。 こじれた関係にあっては、わかり合おうと思えば思うほどこじれていく。逆に、コミュニケーションを断念するところから新たなコミュニケーションが生まれることもある。あたかも砂漠の中で見つけたオアシスのように、海岸のこちらと対岸をつなぐように、さわやかなコミュニケーションが生まれるのである。 タフラブは、「理解し合いたい」「コミュニケーションをとりたい」という、時には身勝手な欲望や思い込みを手放す愛でもある。 ── タフラブを実践するには、寂しさとともに生きねばならない。著者は、「目的別の人間関係を複層的に用意しておき、用途に応じて使い分ける方法」をすすめている。これ、わたしはすでにできていて、たぶんわたしにはタフラブの素質がある気がする。自分の人付き合いに“これでいいのか…”と悶々としながら広く浅くの人間関係をやってきたので、「深いつきあいが本当に必要か、心から楽しめるものなのか、先入観を捨てて考えてみよう」と言ってくれて、嬉しくなった。 自分のことがやっとわかってきて、個としての輪郭もはっきりして、一人で生きられるようになった今、ここから新たに誰かと親密な関係を築いてみたい気持ちはある。一人でいるのが好きだし寂しさもあまりないので、別になんでもいいんだけど、どうなろうとタフラブを携えてうまくやっていける気がする。
- 2025年5月12日家族、積みすぎた方舟: ポスト平等主義のフェミニズム法理論マーサ・アルバートソン・ファインマン,Martha Albertson Fineman,上野千鶴子,穐田信子,速水葉子気になる
- 2025年5月9日かなしい生きものモーニカ・マローン,Monika Maron,梁池孝子気になるヒュナム洞書店
- 2025年5月9日優雅なハリネズミミュリエル・バルベリ,河村真紀子気になるヒュナム洞書店
- 2025年5月8日つたなさの方へ那須耕介読み終わったじんわり効く。 最近、器用にうまくやれることに喜びを感じてしまうことが多い。仕事してたらそれは仕方ないけれど、少し寂しくも思う。「あなたは話すときに、あーとか、うーんとか言うのがいい」と言ってくれた先生を思い出す。
- 2025年5月6日
- 2025年5月6日愛情という名の支配信田さよ子読み終わった第5章〜最後。 遅まきながらもわたしが実家を出たことで、母がやっと好き勝手にできる時間が増えたんじゃないかと思うと、一人暮らしを始められたことは両者にとってよいことだったと思う。自分の思うこと・欲望に蓋をせず、ちゃんと表に出し、嫌なことはなるべくせずに、自分の判断で好きにするのがいい。わたしものびのびやるから、母も精一杯自分の好きなように自分の人生を生きてほしい。 p.164: 「家族は夫婦対子どもの形をしていなくてはいけないのに、母子対父となった時、バランスを崩します。その時、象徴的な言葉が、「あなたは、お父さんのようになっちゃ駄目」なのです。これは子どもに絶対言ってはいけない言葉です。なぜ、そのような男と夫婦でいるのでしょうか。子どもに似るなという当の男と夫婦をやることの欺瞞が分からないのでしょうか。」 母が読んだら大ダメージを受けるだろう文章。うちは母娘で父の悪口をたくさん言ってきた。 p.166 : 「「相手を変えようとしない」つまりコントロールしない表現が、アイメッセージなのです。このことが相手にも分かると、不思議なもので相手も自分をコントロールしなくなります。つまり、共依存の関係から抜け出る第一歩はアイメッセージなのです。」 p.212: 「自分を責めても自分は変わらない」 新刊『なぜ人は自分を責めてしまうのか』も気になる。
- 2025年5月5日愛情という名の支配信田さよ子読んでる第2〜4章。 アダルト・チルドレン(AC)という言葉は知っていたけど、それがもともとはAdult Children Of Alcoholicsが語源で、アルコール依存症と密接に関わる概念だということをはじめて知った。そこから、機能不全家庭で育った人をACと呼ぶように対象が広がったのだと。 うちの父は医療機関で診断を受けたわけではないからアルコール依存症とは言えないかもしれないし、暴力を振るうわけでもないが、父の飲酒とそれに伴う言動にはうんざりしていて、わたしはたぶん傷ついてきた。ACは自己認知を基本とするそうだから、自分にとって必要なアイデンティティで、自分がそうだと思えば、ACなのだ。 以下、メモ。 p.92: 「人というのは、自分のことを語る内容が変われば自分も変わるのです。内容が変われば自分が変わるし、自分が変わると内容が変わる。こういうふうに、私たちが自分のことを語る内容というのはどんどん変わっていくのです。これが自分が変わることであり、回復なのです。」 p.102: 否認について。我が家の風景だと思った。昨晩どんなに怒鳴っても、朝になれば母は普通に起きて家事をするし、父は昨晩あったことを覚えていなかったり、起きられなくて遅刻・欠勤したりもするが、普通に会社に行くこともあり、誰も昨日のことには触れない。「何もなかったようにするテクニック、これが否認」。 p.114: 「共依存的な支配とは何でしょうか。それは、「理解」「期待」、それから「アドバイス」。」 フーコーの引用は『監獄の誕生』かな。 p.121: 「共依存的な支配というのは、原理的に言うと、自分というものを持たないで、他者の世話をする、他者の面倒を見る、他者を正しく導くということに、自分の存在を見いだしていく人たちのことです。ですから、常にその背後にあるのは「正論」という言葉です。」 p.140: 「回復というのはどういうことかと言うと、親を「まあ、可哀相なおばあさんだわ」とか、「あの人もああやって死ぬんだわ」とか、「老人病院に入っているから、時々は見舞いに行こう」と思えばいいのです。そうすれば一人の人として見られることでしょう。親は、自分が日常暮らしている中のごく一部になるのです。そうすると強大だった親がどんどん縮小していって、ごく小さい存在になっていきます。[…]つまり、親のドラマと自分のドラマの間に境目ができて、ジャンクション(接合地点)のように分かれていく、[…]そしてこちらの道から向こうの道を見る感じ、こういうのがACの回復だと思います。」 p.142: 「ACはフェミニズムと連動している」 「男と女の間の支配関係を読み解くのが、フェミニズムだとしたら、子どもの視点から見た親というものを照射して、子どもと親との支配関係を読み解くのが、AC」
- 2025年5月4日愛情という名の支配信田さよ子読み始めた今日は第1章。初っ端から目から鱗。 「アルコール依存症の人たちは、妻が監視したり、酒びんを隠したり、お説教することで、もっと多量に飲むようになったり、隠れ飲みをするようになったりするのです。[…]つまり、妻が「夫のために」と世話をし、面倒を見ることが、夫のアルコール依存症をもっとひどくしてしまっているのです。これをenabling(イネーブリング)と呼びました。酒をやめさせようとすることが、飲酒を可能にする(enable)ことへの発見でした。」 「アルコール依存症の夫は働かない上、わけの分からないことを言って妻を困らせます。そして、頭の中はいつもアルコールのことばかりです。その妻は夫への不満を子どもにたれ流します。そして、夫がアルコールを飲むか飲まないか、夫の調子がいいか悪いかばかりを考えています。その子どもは、母からたれ流される夫への不満をすべて受けとめ、自分が母の期待に沿っているか、母は機嫌がいいか、悪いかばかりを考えています。このように、アルコールにはまる父、その夫との関係にはまる母、その母との関係にはまる子といったように、アルコール家族は嗜癖に満ちています。」 わたしの母、まさに酒びんを隠すイネーブラー(enabler)だ。「共依存は「関係」への嗜癖」という説明がわかりやすかった。 いろんな記憶がぼんやりしているわたしにしては珍しくはっきりと覚えている景色がある。中1のとき、夜、自分の部屋で先に布団に入って電気を消すと、リビングからの明かりが漏れ入ってきてまだ眠れずにいたら、両親が喧嘩をしている声が聞こえる。いつも喧嘩ばっかりしてるんだから離婚すればいいのになんで離婚しないんだろう、そうか、わたしという子どもがいるからか、わたしがいるから離婚したくてもできないんだ、あーあ、と思いながら眠りについた記憶。 「私はこの家にいてはいけないのではないか、といった感覚を幼い頃から持ち続けた子はどうやって家族の中で生きるのでしょうか。それは親から見て、邪魔にならないか、役に立つ子か、自慢の子か、を演るしかないのです。」
- 2025年5月3日この世は二人組ではできあがらない山崎ナオコーラ読み終わった山崎ナオコーラをはじめて読んだのだけど、もっと早く読むべきだった。いいフレーズ、共感するポイントがたくさんあった。いいところは解説の西加奈子が存分に書いてくれているが、わたしも「作家の真骨頂といっていい「詩性」、はっとさせられる言葉」を一部メモしとく。図書館で借りた本でなければ、わたしもドッグイヤーだらけにしてたと思う。 「世界の深淵を眺めていたい、遠くの風に耳を澄ませたい、薄氷を踏むように喋りたい。」 「私は手を、いつでも振りたかった、誰にでも。」 「人はひとりで完全だ。だからベターハーフなんて探していない。価値はひとりの人間に十分ある。「自分の存在のために誰かが必要」という考えでは生き続けられないだろう。[…]人と人とは、関係がない。誰も、誰かから必要とされていない。必要性がないのに、その人がそこにいるだけで嬉しくなってしまうのが、愛なのではないか。」 国名にカギカッコがついていること、恋愛用語や「入籍」という言葉に対して立ち止まって注釈をつけるような文章、地の文でもずっとさん付けだったのが急に呼び捨てに切り替わるところ、分籍について、などなど、印象的だった。固有名詞もたくさん出てきて、栞が観たという映画をいちいちFilmarksで調べてブクマしたし、金子光晴が好きというのもよかった。
読み込み中...