r "愛情という名の支配" 2025年5月5日

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@teihakutou
2025年5月5日
愛情という名の支配
第2〜4章。 アダルト・チルドレン(AC)という言葉は知っていたけど、それがもともとはAdult Children Of Alcoholicsが語源で、アルコール依存症と密接に関わる概念だということをはじめて知った。そこから、機能不全家庭で育った人をACと呼ぶように対象が広がったのだと。 うちの父は医療機関で診断を受けたわけではないからアルコール依存症とは言えないかもしれないし、暴力を振るうわけでもないが、父の飲酒とそれに伴う言動にはうんざりしていて、わたしはたぶん傷ついてきた。ACは自己認知を基本とするそうだから、自分にとって必要なアイデンティティで、自分がそうだと思えば、ACなのだ。 以下、メモ。 p.92: 「人というのは、自分のことを語る内容が変われば自分も変わるのです。内容が変われば自分が変わるし、自分が変わると内容が変わる。こういうふうに、私たちが自分のことを語る内容というのはどんどん変わっていくのです。これが自分が変わることであり、回復なのです。」 p.102: 否認について。我が家の風景だと思った。昨晩どんなに怒鳴っても、朝になれば母は普通に起きて家事をするし、父は昨晩あったことを覚えていなかったり、起きられなくて遅刻・欠勤したりもするが、普通に会社に行くこともあり、誰も昨日のことには触れない。「何もなかったようにするテクニック、これが否認」。 p.114: 「共依存的な支配とは何でしょうか。それは、「理解」「期待」、それから「アドバイス」。」 フーコーの引用は『監獄の誕生』かな。 p.121: 「共依存的な支配というのは、原理的に言うと、自分というものを持たないで、他者の世話をする、他者の面倒を見る、他者を正しく導くということに、自分の存在を見いだしていく人たちのことです。ですから、常にその背後にあるのは「正論」という言葉です。」 p.140: 「回復というのはどういうことかと言うと、親を「まあ、可哀相なおばあさんだわ」とか、「あの人もああやって死ぬんだわ」とか、「老人病院に入っているから、時々は見舞いに行こう」と思えばいいのです。そうすれば一人の人として見られることでしょう。親は、自分が日常暮らしている中のごく一部になるのです。そうすると強大だった親がどんどん縮小していって、ごく小さい存在になっていきます。[…]つまり、親のドラマと自分のドラマの間に境目ができて、ジャンクション(接合地点)のように分かれていく、[…]そしてこちらの道から向こうの道を見る感じ、こういうのがACの回復だと思います。」 p.142: 「ACはフェミニズムと連動している」 「男と女の間の支配関係を読み解くのが、フェミニズムだとしたら、子どもの視点から見た親というものを照射して、子どもと親との支配関係を読み解くのが、AC」
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