つつじ "教養としての「ラテン語の授業..." 2025年5月6日

教養としての「ラテン語の授業」
教養としての「ラテン語の授業」
ハン・ドンイル,
岡崎暢子,
本村凌二
"ここで大事なのが、"あなたが与えるから私も与える"のであれば、個人にしろ、国家にしろ、相手に施す準備ができていなければならないということです" "他国と関係を結ぶとき、相手から得ようとするもののために、自分たちは何ができるのかをよく考え、準備をしなければなりません。与えることのできる何かが備わっていれば、それが力となり、自尊心も保たれるでしょう" 与えることができない状態で他者に行動を求めるのは悪手であると今のウクライナ(の政権)を見ていて思う "つまり私は傷ついたのではなく、ずっと隠しておきたかった何かが他者によって露呈されたことを、"傷つけられた"と勘違いしていたようです" "どうやら人間の心にはレールが敷かれているようです。他者を通じて自分の弱さを思い知るたび、一本道がふた手に分かれていきます。過ちをすべて他者のせいにするか、自分自身を振り返ることができるか"
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