
本屋lighthouse
@books-lighthouse
2025年5月7日

ジョゼフ・コーネル 箱の中のユートピア
デボラ・ソロモン,
太田泰人,
林寿美,
近藤学
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コーネルのアンに対する振る舞いには、恋をしたいという欲望と、かつそうした欲望をこそこそした形でしか満たすことができなかったという事実とがともども集約されている。女性と関係をもつなどということは及びもつかなかったが、性的な事柄にはずっと強い興味を抱いていたようだ。この興味を満たすにあたって彼は、「視覚的な所有」とでも呼べそうな行為をもって対処した。女性をじっと見つめ、そのイメージを自分の内側にある美術館に収めるのである。そうすればいくらでも眺め、あれこれ操作することができ、かつ何か危険な結果になるのを恐れる必要もなかった。コーネルは自分が生身の女性を所有できるなどとは考えていなかった。(p.200)
選択的夫婦別姓に強い拒否感を抱くような男性は、おそらく女性を所有したい=支配したいという欲求に突き動かされている。あるいはそれは、自分の魅力のなさや、そのことで離れられてしまうことへの不安感を解消するために、強制的な所有のシステムを必要とする、ということなのかもしれない。このあたり、コーネルは自身の欲求が加害になりうる可能性を知っていたのか、結果として適切な(と思われる)距離感を維持する方法を芸術制作に見出している。しかしなんとも言えない気持ちの悪さは残っていて、それがこの本の書き手による描写がそうさせるのか、そもそも「まなざす」という行為に本質的に備わっている危険性なのか、そのあたりははっきりしない。









