
JUMPEI AMANO
@Amanong2
2025年5月11日
墓の建立と継承
辻󠄀井敦大
まだ読んでる
@ カフェ
カフェでモーニング。第四章三まで。
〈大野屋の経営者は[...]提携していた墓地が満杯になれば、請け負う仕事がなくなるという危機感をもっていた。/[...]/この危機感は、墓石は何度も同じ消費者に売ることができない「商品」であるという理由から来ていた。そこで大野屋は、石材店としての経営を続けていくために生き残り戦略として墓地開発に乗り出した。[...]/ここで石材店が墓地開発に乗り出したのは[...]一九四六年九月から宗教法人、公益法人等による墓地の新設が可能となったからであった。つまり、ここから、石材店であっても宗教法人や公益法人と提携することで墓地開発が可能となったのである。〉(126頁)
三節からはそんな墓地開発を可能にした技術の変化、すなわち〈墓石の大量生産体制〉の確立について。
そもそも職人の手作業によるところが多かった墓石加工は、生産量がそれほど多くなく、建立費用も高かった。そのため墓を建てられるほどの経済的な余裕がない人々も少なくなかったし、財のある人は財の許す限りの巨大な墓を建てることもあった(柳田国男「貧しき人々は死後にも安眠の場所が得やすからぬ」『明治大正史 世相篇』)。しかし、高度経済成長期に墓・墓地の需要の高まりに対する不足が生じ、それに対応するため機械化が進んだ、と(人工ダイヤモンドの実用化とダイヤモンドブレードの開発のインパクト)。こうして墓石の低価格化が進む。さらに加工が容易になれば海外からの原石輸入も進む。そして上述のように墓を売るための墓地開発も進む。そうなれば開発した墓地を十分に販売するために「マーケティング戦略」も必要とされるようになる。四節からはそんな墓の「商品化」の話。
