墓の建立と継承

墓の建立と継承
墓の建立と継承
辻󠄀井敦大
晃洋書房
2023年2月21日
14件の記録
  • Readsの新着
  • JUMPEI AMANO
    JUMPEI AMANO
    @Amanong2
    2025年5月13日
    ようやっと読み終わる。 最後はバウマンの「不死性(immortality)」の議論を批判的に検討しつつ、まとめ上げられていく。 〈かつては「家」を守り存続させることが、〈不死性の保証〉において最大の課題であった。しかし、「家」が解体された後においては、〈不死性の保証〉として重要なものは不明瞭となった。こうしなかで、「家」と結びついていた〈祭祀の永続性〉が残り続けていたことは、現代においては普遍的な不死性を希求し、新たな社会的連帯を生み出す人々の営みとして読み解けるのである。それゆえに、本書は、現代社会において社会的アクターとのかかわりのもとで、不死性を希求する人々の生の意味を描き出したのである。/[...]すなわち、本書が示したのは、後期近代において不死性が意味をなさなくなりつつあっても、それでもあらゆる社会的アクターを動員して、死者を忘れず記憶・記録し、個人化に抗い、社会を再編・存続させようとする人々の生の営みなのである。〉(247頁) そして最後の最後には、どうしてそのような〈死者の不死性を意識し、保証しようとする社会構想は、ある種の未来への責任を基礎づけるものとなるのだろう〉(250頁)という問いが提出される(バウマンとの関連でレヴィナスやヨナスも登場しつつ)。なかなか抽象度が高く骨太な結論だったけど、一冊通してみれば事例が豊かでだいぶ楽しめたら。借りてよかった。
  • JUMPEI AMANO
    JUMPEI AMANO
    @Amanong2
    2025年5月13日
    早起きできたので第八章二・一まで読む。おさらい、そして結論。 〈デュルケムは、社会がいかに維持・存続されているかを解明してきた。そして、近代社会においても社会は維持・存続し、再編されつつ連続していくという視点がとられているのである。そうであれば、本書が捉えてきた〈祭祀の永続性〉を希求する人々や社会的アクターの実践を、単純な「家」の存続ではなく、社会の再編のなかで現れた現象と書き直す必要がある。〉(229-230頁) 本書の知見から〈戦後日本における墓の建立・継承、すなわち先祖祭祀は、「家」の創設や存続を目的にしたものではなく、主に血縁家族と市場に支えられたがゆえに行われた〉こと、そしてその後、〈一九九〇年代以降は地方自治体や仏教寺院が引き受けるべき問題として現れた〉ことが明らかになった。こうした流れのなかで、〈祭祀の永続性〉を希求する先祖祭祀は、「家」を維持・存続させるものとしてではなく、「安心感」を与える機能が顕在化することになったのだと(234-234頁)。
  • JUMPEI AMANO
    JUMPEI AMANO
    @Amanong2
    2025年5月13日
    第六章、第七章をまとめて読む。 第六章は、人口減少地域、都市部を問わず、仏教寺院が墓の継承が期待できない檀家の〈祭祀の永続性〉を保証するために、永代供養墓を建立する事例。それは単なる寺院経営上のメリットと合致するだけでなく、「家」を超えた「縁」を支える実践として語られるものでもあった(しかも檀家以外の人々による永代供養墓の利用を制限する、「商品化」を避けた実践でもあった)。「手を合わせる場所」を用意すること。実家の墓のことや子を持たない自分の今後を思い、やや感情が揺さぶられてしまった。 〈永代供養墓という現代的な形態が現れていても、寺院側による無縁死者への供養の意味づけは、戦前期に無縁墓が増大した時期から現在まで大きく変わっていないのである。[...]/[...]永代供養墓への寺院側の意味づけは、決して一九九〇年代以降の家族変動の結果として現れたわけではなかった。すなわち、寺院側の〈祭祀の永続性〉の保証の論理は[...]血縁家族による連続性が限界を迎えるなかで再評価されたことにより表面化したと解釈できるのである。〉(202-203頁) 上記を踏まえ第七章は、「家」から切り離され、いずれの仏教寺院の檀家でもない人々に対する実践について。とりわけ、経済的に困窮した人々や、経済的負担から「墓地に墓石を立てる」ことが難しい人々、つまり「商品化」された永代供養墓の利用も困難な人々、行政側が「コミュニティに生き貢献したことの証」として〈祭祀の永続性〉を保証しようとしたけれどもできなかった人々に、骨仏を造立することでその保証を目指す仏教寺院の実践が紹介される。セーフティネットとしての役割を果たす骨仏。それがどのように「安心感」を保証するか。ここもところどころ感情がグチャッとなったけれど、面白かった。かなり関心のあるところだった。 〈しかし、〈祭祀の永続性〉を保証することが、なぜ安心感を与えることにつながったのだろうか。[...]かつては「家」を継承できないことが、無縁となる孤独や不安に直結していた。それは「家」が生活保障の機能を有し、リアリティをもって存在していたからであろう。しかし、「家」が解体され、その永続性が自明視されない現代社会においても、無縁となる孤独や不安は存在している。それならば、現代社会において、今なお無縁となる孤独や不安が存在し、〈祭祀の永続性〉の保証が安心感とつながる理由を問う必要がある。〉(223-224頁) いよいよ結論部へ。
  • JUMPEI AMANO
    JUMPEI AMANO
    @Amanong2
    2025年5月11日
    文フリで買ったものをいったん積みつつ...続きの第五章を読む。 バブル崩壊以降、「不要不急のものは求めないという風潮」から、人々は生前での墓の購入を控えるようになる。さらに墓石の加工・輸入体制も変わり(海外での墓石加工)、墓石の小売業に異業種が参入するようになり(「お仏壇のはせがわ」等)、値下げ競争が起こった。こうなれば石材店は、前章で見たような墓石の「大量生産体制」に基づき大規模な墓地開発をするのは厳しくなっていく(一〜二節)。 そうしたなかで石材店をはじめとする民間企業は、新たな墓の生前建立の需要を喚起するために、「ガーデニング墓地」(「樹木葬」とも連続)、「永代供養墓」(1980年代から土地価格が上昇するなかで、都心部の寺院墓地の再開発において重要性が認識されるようになる)、「散骨」(元は家制度や墓地開発のデベロッパーへの反発から生まれた運動で「葬送の自由をすすめる会」が推進、ここは特に面白い)など、「墓地に墓石を建てる」以外の選択肢が「商品化」されていく(三〜四節)。 これら「継承を前提としない葬送・墓制」において、例えば散骨の推進運動は「家」に内在していた先祖祭祀、すなわち〈祭祀の永続性〉の放棄を理念として追及するものだった。 一方、永代供養墓は、先行研究では同じく「家」の解体・変容と結びつけられて考えられてきたものの、文字通り「永代に供養されること」に価値を置いている点で、〈祭祀の永続性〉が保証されることが重視されているという。 〈すなわち、散骨と永代供養墓の社会的広がりは、先行研究では「脱継承」とまとめて理解されているが、同じものとしてその展開を分析することは難しいのである。/こうした永代供養墓のもつ〈祭祀の永続性〉という要素を考えるならば、一九九〇年代以降に増加した理由には市場の論理だけでは掴むことのできない意味が存在するはずである。〉(172頁) その社会的な意味を検討するために、次章からは最後のアクターこと仏教寺院にスポットが当てられていく。いよいよクライマックス。
  • JUMPEI AMANO
    JUMPEI AMANO
    @Amanong2
    2025年5月11日
    第四章六まで。そろそろ文学フリマへ。 〈建墓ローンの販売以降の大野屋のマーケティング戦略は、墓・墓地、石材店のイメージを「個人を記念し追憶するための」明るいものへ変化させようとしたものであった。〉(136頁) そうしたイメージ刷新は1970年代半ばに入ると利益にも直結する。高度経済成長期を経て人々の可処分所得が上昇したこともあり、「家」ではなく「個人の選択」によって「生前に」墓が購入されるようになる。都市郊外において公営墓地ではなく、民間企業が開発した公園型の芝生墓地が数多く建てられるようになった。そこでは、合理的な生産・経営が徹底された結果、規格化された洋型墓石が積極的に建立されることになった。規格化されたそれらはある種の「平等性」の象徴となり、文学者たちや創価学会会員からも好意的に受け入れられていたという。 〈戦後民主主義のなかの人々による平等性を求める実践が、偶然にも洋型墓石の規格化と合致し、かつての家格的秩序を象徴した墓の意味づけを刷新したと解釈できるのである。すなわち、墓の「商品化」は、人々の平等性を求める実践と相互作用的に、「家」の残存とは異なる意味を企画化された墓地・墓石に付与したのである。〉(142頁) この高度経済成長期に現れたあり方を検討するために参考となるのが、中筋直哉の〈社会の記憶〉という視点だという。 〈この視点をもとに考えると[...]本章は、戦後の高度経済成長のなかで、石材店と人々の実践が、都市郊外において「家」を基盤とした村落墓地に代わる〈社会の記憶〉を作り出そうとした動きを描き出したのである。[...]高度経済成長期に開発が進められた都市郊外の墓地においては、その住民に代表される、「家」から切り離され、血縁的な共同性のもとに新たに作られた家族こそが〈祭祀の永続性〉を保証するものとして考えられていたのではないだろうか。[...]生きている個人が、血縁家族である子ども、孫世代に記憶・記録していてほしいというレベルでの〈祭祀の永続性〉を求めたからこそ、新たに墓が建立されたと解釈できるのである。〉(144-145頁) その一方で、1990年代以降には〈散骨や樹木葬、合葬墓・永代供養墓といった継承を前提としない葬送・墓制が新たに登場する。その現象は、戦後に大衆化された血縁家族による〈祭祀の永続性〉の保証が限界を迎えたことを契機としている。しかし[...]継承を前提としない葬送・墓制は、個人の選択を重視している点で、本章で見てきた戦後日本における墓の建立とある種の連続をもっている〉(145頁)という指摘は面白い。 第五章では、家族構造・意識の変化だけではなく、経済的な構造によってそうした選択が引き起こされたことが描き出されるという。
  • JUMPEI AMANO
    JUMPEI AMANO
    @Amanong2
    2025年5月11日
    今日は二日酔いで寝過ぎたため寝つけず...。第三章三まで読む。 〈この多摩ニュータウン開発における資金回収の問題は、住宅以外の都市施設の開発では常に考慮しなければならない問題であった。[...]/[...]それゆえに、一九七六年の南多摩都市霊園の暫定開設後には、残り墓地をいかなる資金から開発するかが問題となったのである。そして、墓地開発には福祉的意味合いが含まれなかったことから、住宅政策に偏った資金補助制度による制限から、残り六、〇〇〇区画の開発は見送られることになったのである。〉(103-104頁) 〈この南多摩都市霊園の開発構想は、結果的に実現しなかったため、その後の墓地行政には大きな影響を与えなかったとみることもできるかもしれない。しかし、ここで都市計画において「荘厳にして永遠の安住の地」として大規模な納骨堂の造成を構想したことは、大きな転換点であったと考えられる。なぜなら[...]現代においては、「家」に代わって〈祭祀の永続性〉を保証する場所として納骨堂や合葬墓・永代供養墓が大きな役割を担っているからである。そして、無縁墓の増加が進む現代においては、行政側が、納骨堂や合葬墓を整備し、〈祭祀の永続性〉を保証することが求められている。〉(104頁) これまで考えたことのなかった角度から墓・墓地をとりまく様々な力学が見えてきて面白いな。1970年代に納骨堂を「永遠の安住の地」として意味づけしたこの構想の先進性は、確かに現代求められている墓地行政に続くものがあるのかも。次節では八王子市の墓地行政を取り上げながら、この構想の頓挫が「現在の地方自治体による〈祭祀の永続性〉の保証に、いかなる困難を与えたのかを捉えることになる〉(106頁)、とのこと。
  • JUMPEI AMANO
    JUMPEI AMANO
    @Amanong2
    2025年5月11日
    昨日寝まくったからか早起きしてしまった。掃除洗濯をしてから第三章五まで読む。 〈[...]八王子市が緑町霊園合葬式墓地を造成したことは、墓・墓地が無縁化することを事前に防ぐ意味があり、公営墓地の管理・運営上でもメリットがあった。そして、墓の継承者がいない住民でも、緑町霊園合葬式墓地を生前に利用でき、死後も墓誌へ記録されることによって〈祭祀の永続性〉が保証されていた。[...]/[...]/こうした八王子市の緑町霊園合葬式墓地の管理・運営の実践を踏まえると、南多摩都市霊園において「大納骨堂」が造成されなかったことは、過去の墓地行政にある種の困難を与えていたことがうかがえる。[...]この公営墓地の外に改葬後の納骨先を探さなければならない状況は、もし南多摩都市霊園が当初の計画どおりに造成されていたならば、大きく現れなかった問題だったのではないだろうか。〉(111-113頁) 〈このように都市計画として積極的に公営墓地が開発できなかったことが、現在において行政側が「家」に代わって〈祭祀の永続性〉を保証することを困難としている〉(115頁)からこそ、そこに民間企業が参与する契機が生まれた、と。続く第四章では石材店の分析へ。構成わかりやすい。
  • JUMPEI AMANO
    JUMPEI AMANO
    @Amanong2
    2025年5月11日
    カフェでモーニング。第四章三まで。 〈大野屋の経営者は[...]提携していた墓地が満杯になれば、請け負う仕事がなくなるという危機感をもっていた。/[...]/この危機感は、墓石は何度も同じ消費者に売ることができない「商品」であるという理由から来ていた。そこで大野屋は、石材店としての経営を続けていくために生き残り戦略として墓地開発に乗り出した。[...]/ここで石材店が墓地開発に乗り出したのは[...]一九四六年九月から宗教法人、公益法人等による墓地の新設が可能となったからであった。つまり、ここから、石材店であっても宗教法人や公益法人と提携することで墓地開発が可能となったのである。〉(126頁) 三節からはそんな墓地開発を可能にした技術の変化、すなわち〈墓石の大量生産体制〉の確立について。 そもそも職人の手作業によるところが多かった墓石加工は、生産量がそれほど多くなく、建立費用も高かった。そのため墓を建てられるほどの経済的な余裕がない人々も少なくなかったし、財のある人は財の許す限りの巨大な墓を建てることもあった(柳田国男「貧しき人々は死後にも安眠の場所が得やすからぬ」『明治大正史 世相篇』)。しかし、高度経済成長期に墓・墓地の需要の高まりに対する不足が生じ、それに対応するため機械化が進んだ、と(人工ダイヤモンドの実用化とダイヤモンドブレードの開発のインパクト)。こうして墓石の低価格化が進む。さらに加工が容易になれば海外からの原石輸入も進む。そして上述のように墓を売るための墓地開発も進む。そうなれば開発した墓地を十分に販売するために「マーケティング戦略」も必要とされるようになる。四節からはそんな墓の「商品化」の話。
  • JUMPEI AMANO
    JUMPEI AMANO
    @Amanong2
    2025年5月10日
    第二章五まで。「家」に代わる論理としての「福祉」へ。 〈こうした磯村の視点[=都市社会学者・磯村英一による墓・墓地の問題を「ミニマムの〝人権〟として見直す」視点]こそ、東京都霊園問題調査会が提起した「コミュニティに生き貢献したことの証」という墓地の意味づけにつながったのだと考えられる。そして、磯村の視点を取り入れた上で、東京都では、「福祉」の一環として墓地行政を捉えた上で、墓地を都市公共施設と位置づけたのである。〉(75頁) 〈[...]無縁墓地の改葬手続きの簡素化にあたって、法制度のなかで「永続性」が望まれたのは、あくまで墓地経営の「永続性」であって、墓・墓地そのものの「永続性」は考慮されていないのである。このように、国家の墓地行政においては、墓地の「永続性」とそれに関わる〈祭祀の永続性〉は、東京都の視点とは異なり、「福祉」として扱われなかったのである。〉(78頁) さらに、実際の都市計画の水準では、「コミュニティに生き貢献したことの証」としての墓地供給は不可能であったという。それについては第三章、多摩ニュータウンと南多摩都市霊園の事例で。
  • JUMPEI AMANO
    JUMPEI AMANO
    @Amanong2
    2025年5月9日
    5年ぶりの古巣の同期会でほろ酔い。今日は第二章ニまで。 〈墓地埋葬法が目的地としたのは、個人の尊厳を守る「福祉」ではなく「公共の福祉」に基づく規制であった。/[...]死者の埋葬、遺骨の埋蔵に墓地は必須とされ、インフラストラクチャーとしての要素をもっている。しかし[...]国家は墓地埋葬法で規定された「公共の福祉」による規制を中心に、福祉政策として積極的に墓地を供給しなかった。そして、これは全国の地方自治体でも同様であった。[...]/[...]それゆえに、高度経済成長期において都市化が進むなか、都市部では墓地不足が問題となったが、その供給は国家や地方自治体ではなく[...]宗教法人や民間企業が担うことになったのである。〉(66-67頁)
  • JUMPEI AMANO
    JUMPEI AMANO
    @Amanong2
    2025年5月8日
    第一章六まで読み終わる。第二章から始まる本編も面白そう。 〈[...]多くの多産少死世代の人々が自身の死後を考え、墓を選択しようとした時、子どもや孫世代のことを考慮すると多くが墓の継承者がいない/期待できない状況にあるのである。すなわち、戦後日本において墓を建立してきた都市移住者は、多くが墓を継承しておらず、新たに墓を求める必要があったが、同時に墓の継承を期待できない人々が一定数存在するのである。[...]本書では、こうした都市移住者が、戦後日本において新たに墓を求め、現代において墓の継承難に直面する場面に関わる社会的アクターの実践を分析する。[...]都市社会のなかで「家」の機能を代替する形で現れてきた社会的アクターが、いかにして〈祭祀の永続性〉を保証しようとするのかを明らかにするのである。〉(50-51頁)
  • JUMPEI AMANO
    JUMPEI AMANO
    @Amanong2
    2025年5月7日
    ずっと気になってたので。 〈[...]現代において続く墓の継承をめぐる社会規範、すなわち先祖祭祀を「家」の変容、ないし残存とは別に捉える分析枠組みが必要とされるのである。それゆえに、永続性を求める「家」が解体されたにもかかわらず、墓が建立・継承されている意味をいかに理解するかという議論の錯綜を現代において再検討する必要がある。〉(29頁) とりあえず第一章ニ節まで。面白そう。
  • 先行研究レビューがとてもうまいとインタ〜ネッツで評価されていたのでちょっと気になっている。内容自体も、自分にも関わりのあること(親族の墓の管理)なので普通に読みたい。
読書のSNS&記録アプリ
hero-image
詳しく見る
©fuzkue 2025, All rights reserved