
JUMPEI AMANO
@Amanong2
2025年5月13日
墓の建立と継承
辻󠄀井敦大
まだ読んでる
就寝前読書
@ 自宅
第六章、第七章をまとめて読む。
第六章は、人口減少地域、都市部を問わず、仏教寺院が墓の継承が期待できない檀家の〈祭祀の永続性〉を保証するために、永代供養墓を建立する事例。それは単なる寺院経営上のメリットと合致するだけでなく、「家」を超えた「縁」を支える実践として語られるものでもあった(しかも檀家以外の人々による永代供養墓の利用を制限する、「商品化」を避けた実践でもあった)。「手を合わせる場所」を用意すること。実家の墓のことや子を持たない自分の今後を思い、やや感情が揺さぶられてしまった。
〈永代供養墓という現代的な形態が現れていても、寺院側による無縁死者への供養の意味づけは、戦前期に無縁墓が増大した時期から現在まで大きく変わっていないのである。[...]/[...]永代供養墓への寺院側の意味づけは、決して一九九〇年代以降の家族変動の結果として現れたわけではなかった。すなわち、寺院側の〈祭祀の永続性〉の保証の論理は[...]血縁家族による連続性が限界を迎えるなかで再評価されたことにより表面化したと解釈できるのである。〉(202-203頁)
上記を踏まえ第七章は、「家」から切り離され、いずれの仏教寺院の檀家でもない人々に対する実践について。とりわけ、経済的に困窮した人々や、経済的負担から「墓地に墓石を立てる」ことが難しい人々、つまり「商品化」された永代供養墓の利用も困難な人々、行政側が「コミュニティに生き貢献したことの証」として〈祭祀の永続性〉を保証しようとしたけれどもできなかった人々に、骨仏を造立することでその保証を目指す仏教寺院の実践が紹介される。セーフティネットとしての役割を果たす骨仏。それがどのように「安心感」を保証するか。ここもところどころ感情がグチャッとなったけれど、面白かった。かなり関心のあるところだった。
〈しかし、〈祭祀の永続性〉を保証することが、なぜ安心感を与えることにつながったのだろうか。[...]かつては「家」を継承できないことが、無縁となる孤独や不安に直結していた。それは「家」が生活保障の機能を有し、リアリティをもって存在していたからであろう。しかし、「家」が解体され、その永続性が自明視されない現代社会においても、無縁となる孤独や不安は存在している。それならば、現代社会において、今なお無縁となる孤独や不安が存在し、〈祭祀の永続性〉の保証が安心感とつながる理由を問う必要がある。〉(223-224頁)
いよいよ結論部へ。

