note103 "食べることと出すこと" 2025年5月13日

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2025年5月13日
食べることと出すこと
239まで。第8章がもうすぐ終わる。全部で329なのであと100ページを切った。以下抜き書き。 ===  弱者への同情に欠ける人に対して、よく「明日は我が身だよ」ということを言う。これは逆効果ではないかと、私はつねづね思っている。  不幸な人を嫌悪したり軽蔑したりする人たちの心の底にあるのは、恐怖だと思う。「明日は我が身」という思いがどこかにあるからこそ、おそろしくて、見たくないし、近づけたくないし、自分はちがうと思いたいのだ。  人間は誰でも病気になる可能性がある。だから、病人というのは、おそろしい見本だ。できれば、見て見ぬふりをしたいというのが、基本的な感情ではないだろうか。 『積まれた丸太は、火中の丸太を笑うものだ。』(ケニアのことわざ)  自分も燃やされることを知らないから笑うのではなく、自分もいつ燃やされるかもしれないから、それで火中の丸太とは違うと思いたくて、それで笑うのではないのだろうか。恐怖に裏打ちされた、差別と笑いだと思う。 p235 第8章「孤独がもれなくついてくる」より === この心情、自分もそのように思っていた。クルド人ヘイト、在日朝鮮人ヘイト、女性嫌悪、トランスヘイト、彼らヘイターたちは半笑いで差別発言を繰り返す。そしてその差別行動はどれもヘイター自身の薄暗い未来に対する恐怖が根源にあるように思う。その恐怖を打ち消すための、そこから全力で逃避するための差別であり、笑いであり、暴力であり。 こういう目が覚めるような慧眼が随所に散りばめられている。大半は、誰も言っていない(少なくとも自分はこれまで50年の間一度も見聞きしたことがない)発想。言い当て。それに満ちている。
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