食べることと出すこと

17件の記録
- note103@note1032025年5月15日読み終わった読み終わった。あとがきまで読み終えて、最後の最後までご本人がこの本の面白さに確信を持てていない様子なのが驚きだった。自分にとっては数年に一度、人生のベスト10冊に入るぐらいの面白さだった。 よくあるパターンで、最初のうちはこれ凄い、めちゃ面白い、とか興奮していてもだんだん勢いがなくなって、「なんだか小さくまとまってしまったなあ・・」みたいになる方が多いけど(というか、最初の印象が強いほどそうなる方が自然)、この本はいくら読んでも未知の発想との出会いが尽きず、なおかつその思考は常に論理的で説得力があり、さらにはまったく押し付けがましさがなく、最初から最後まで面白かった。
- note103@note1032025年5月14日読んでる抜書き。p303 貧しい国や地域に行った人たちが、よくこういうことを言う。 そこの人たちは意外なほど明るいと。 子どもたちは屈託のない笑い声をあげている。元気と活力があって、先進国の子どもたちよりずっと幸せそうだと。 こういうことを聞いたり読んだりすると、いつも疑問に思うことがある。 元気じゃない子は死んでいるのでは? * 20年後には当たり前になっている発想かもしれないが、今これを言えるのはすごい。
- note103@note1032025年5月13日読んでる239まで。第8章がもうすぐ終わる。全部で329なのであと100ページを切った。以下抜き書き。 === 弱者への同情に欠ける人に対して、よく「明日は我が身だよ」ということを言う。これは逆効果ではないかと、私はつねづね思っている。 不幸な人を嫌悪したり軽蔑したりする人たちの心の底にあるのは、恐怖だと思う。「明日は我が身」という思いがどこかにあるからこそ、おそろしくて、見たくないし、近づけたくないし、自分はちがうと思いたいのだ。 人間は誰でも病気になる可能性がある。だから、病人というのは、おそろしい見本だ。できれば、見て見ぬふりをしたいというのが、基本的な感情ではないだろうか。 『積まれた丸太は、火中の丸太を笑うものだ。』(ケニアのことわざ) 自分も燃やされることを知らないから笑うのではなく、自分もいつ燃やされるかもしれないから、それで火中の丸太とは違うと思いたくて、それで笑うのではないのだろうか。恐怖に裏打ちされた、差別と笑いだと思う。 p235 第8章「孤独がもれなくついてくる」より === この心情、自分もそのように思っていた。クルド人ヘイト、在日朝鮮人ヘイト、女性嫌悪、トランスヘイト、彼らヘイターたちは半笑いで差別発言を繰り返す。そしてその差別行動はどれもヘイター自身の薄暗い未来に対する恐怖が根源にあるように思う。その恐怖を打ち消すための、そこから全力で逃避するための差別であり、笑いであり、暴力であり。 こういう目が覚めるような慧眼が随所に散りばめられている。大半は、誰も言っていない(少なくとも自分はこれまで50年の間一度も見聞きしたことがない)発想。言い当て。それに満ちている。
- note103@note1032025年5月13日読んでる172、第5章まで終わった。壮絶であまりにも大変な話ばかりなのに、カラッと笑わせるところも多い。桁違いにドライな視線が自分自身に注がれている。ページが進むにつれて、ユーモアが単に軽やかなのではなく不思議な手触り、質感を伴ったものになってくる感じがある。 記憶と挿話と哲学で編み込まれた巨大な地図のよう。これでもちょうど半分ぐらい。何と重厚な本であることか。めっちゃコスパいい。
- あとり@at0ri2025年3月5日読み終わった借りてきたあそから借りた。壮絶な闘病で外出することがちょっと怖くなる。お腹が弱い方だから外出先で腹痛が起きた時にトイレが見つからないとか並んでるとか悪夢すぎる。そして確かに人はコミュニケーションを『食』の場で行いすぎている。大人になると誰かと遊びに行くのと食事って直結しがちだよな。