あしか日記 "YABUNONAKA-ヤブノ..." 2025年5月17日

YABUNONAKA-ヤブノナカー
頭のなかで登場人物たちをバサバサと裁いていくことの奇妙な快感があった。彼らのものの考え方、他者への発言や振る舞い方に対して、「それは間違っている」と断罪することの密やかなよろこびだろうか。 けれど章が変わり語り手が交代するたびに、裁かれて当然と思っていた人物たちの、これまで語られたこととは微妙に異なる経験が明かされると、認識はぐらりと揺らぐ。ひとつの出来事は無数の小さな出来事が複雑に絡み合ってできていて、認識がわずかに揺らぐだけで、真実味はあっという間に脆くなる。まさに「藪の中」だ。 普段、私たちの多くは異なる認識を抱えていると知りつつも、その差異をいちいち確かめることはほとんどない。「考え方は人それぞれ」というのは正しくて安全な考え方だろう。だけどその達観した一般論に傷つき、消耗させられることがあるのも事実だ。どこかですり合わせが必要なのだろうけど、それこそがとてつもなく困難な作業だということを思い知らされる。 時代と価値観の変化が止まることのない状況で、さまざまな幻想に支えられながらも結局は個として生き死んでいく私たちが、お互いを許容できる合流地点ははたしてあるのか。正直うまく想像ができない。常に姿を変える北極の海氷のどこかで待ち合わせをしているような途方もない感覚がある。 けどまあ絶望を突き抜けてはじめて見える希望もあるだろうと、どこか楽観的な気持ちにもさせられるのがこの小説の凄さだろう。どのようなやり方でもいいから、注意深く、ときに大胆に、言葉のバトンを繋いでいくこと。これから語り出そうとしている若い人たちの姿は眩しい。 無思考に裁くことのよろこびなどというのは、実につまらない。
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