
ハム
@unia
2025年5月19日

パウル・ツェラン詩文集
パウル・ツェラーン,
飯吉光夫
読み終わった
エミール・シオランやパウル・ツェランの作品を読んで考えるのは、創造とはまず悲劇を糧に表現されていくものなのかという問い。
昔なんかのオーディション番組で「バラードは誰でもそれっぽく感情をのせて聞かせることができるけど、明るい曲は本当に力がないと表現できない」みたいなことを言ってる人がいて、アートや詩といった創作物にも当てはまるような気がした。
別に彼らが悲劇に振り切ってるから二流と言いたいわけではなく、明るい衝動とでも呼ぶ表現の糧は悲劇の先にあるような気がして、やはり難しいのだろうかと。
「私が世界に望むのは、苦悩のうちに歌うことができるようになることだ」と言ったのはシオランだったかな?
悲しみや苦しみを抱えながらの創作、それを乗り越えた先にあるのが明るい創造という困難だが尊いものなのかななんて考えた。
詩は普段あまり考えないような問いをもたらしてくれるからわからないなりに触れるのは良い刺激になる。




