パウル・ツェラン詩文集
12件の記録
- Uni@uniswtgy2025年12月29日読み終わった収容所での体験を下敷きにした「死のフーガ」がすごい、詩のもつ音楽的な面が端的に表現に表れている。全般的に美しく読みやすくイメージが素直で受け取りやすい詩が多くて、好みだな。 収容所で両親を亡くしていて、母に思いを馳せる作品が多い。 詩は誰かに届くことを期待して存在している。対話であって握手であって、海に投げ出された手紙入りの瓶のようなもの。 何もなくなっても、言葉だけが身体と共にあったという体験。 大戦中はレトリックや美的に誇張された扇動するような言葉が多かった反動で、精緻で美的にあまり飾らない言葉が好まれたよう、ツェランの詩はシンプルで美しい。 最後は50歳でセーヌ川に身を投げた。
だむ@p0se1-d0n2025年12月11日読み終わったある時期ある人の書くものがどうしようもなく遺書に似てしまうということはありそうなことのように思える。それは生の側から眺めた自分の不在だけれどもここでは逆に自分がいなくなった場所からゆらゆらと言葉が立ち上がっているかのようだ。事実彼はある講演の中で語っている。「逆立ちして歩くものは、足下に空を深淵として持ちます。」・・・枝に残った数枚の葉が風に吹かれて揺れている。
ハム@unia2025年5月19日読み終わったエミール・シオランやパウル・ツェランの作品を読んで考えるのは、創造とはまず悲劇を糧に表現されていくものなのかという問い。 昔なんかのオーディション番組で「バラードは誰でもそれっぽく感情をのせて聞かせることができるけど、明るい曲は本当に力がないと表現できない」みたいなことを言ってる人がいて、アートや詩といった創作物にも当てはまるような気がした。 別に彼らが悲劇に振り切ってるから二流と言いたいわけではなく、明るい衝動とでも呼ぶ表現の糧は悲劇の先にあるような気がして、やはり難しいのだろうかと。 「私が世界に望むのは、苦悩のうちに歌うことができるようになることだ」と言ったのはシオランだったかな? 悲しみや苦しみを抱えながらの創作、それを乗り越えた先にあるのが明るい創造という困難だが尊いものなのかななんて考えた。 詩は普段あまり考えないような問いをもたらしてくれるからわからないなりに触れるのは良い刺激になる。













