
読書猫
@bookcat
2025年5月20日

サキの忘れ物
津村記久子
読み終わった
(本文抜粋)
”よく覚えているのは、ある日ミニオンの大きなぬいぐるみが、ソファと座卓の間の床にうつ伏せに倒れていた光景だった。べつにそれだけなら、そういう日もあるだろうで済むのだが、仕事が忙しくて一週間以上のぞかないでいた後にまたのぞきに行くと、同じように、ミニオンがうつ伏せに倒れていたということがあった。寸分違わず、と言うと言い過ぎかもしれないけれども、ミニオンは一週間前に見た時とほぼ同じ場所に倒れていたと思う。大丈夫か、と私は思った。それはミニオンに対してもだし、うつ伏せのミニオンを放置している住人に対してもだった。“
“「つまんなくなんてないですよ。社内は本当に息苦しいから、誰か違う人がそこで生活をしてるんだってだけでよかった。どんな人が住んでるんだろうってずっと考えてたけど、わからなかったです」
「私なんですね、これが」
内さんはふざけたようにそう言って、マグカップをベンチに置いた。失礼ですが、と年齢を訊くと、私より三つ年上だった。私は、もしかしたら答えてくれるのではないかと思って、ミニオンがうつぶせに倒れていた件についてたずねてみた。ずっとうつぶせだったのかと。
「あれね。たぶん当時付き合ってた人と別れたばっかりだったんだけど、その人にもらったものだから、もう持ち上げることすらできなくてね」
あんな軽いものなのに、腕が拒否する感じ、わかりますか? と訊かれて、私はうなずいた。おそらく四週間はあのまま倒れていたと聞いて、思ったより期間が長くて驚いた。“
(「隣のビル」より)
