DN/HP "本は眺めたり触ったりが楽しい" 2025年5月22日

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2025年5月22日
本は眺めたり触ったりが楽しい
「読者の仕事とは著者の意図を探すことではない」 引かれていた短編小説についてのブルース・ウィバーの言葉を読んで小説について考えたりした。 「だいいち、もしも小説がひとつのメッセージやひとつのテーマに圧縮できるのだとしたら、著者はそもそもなんで小説を書く必要があったんだろう?メッセージを一言書けば、それで済んだではないか。大事なことは、著者も、意味を探しながら、書いているということだ。それが、著者のつらい仕事なのだ。読者の仕事は、反応すること、である。読書とは、著者の意図や目的を、それがまるですばしこい小動物であるかのごとく、追いかけまわすことではない。本を楽しむためには、本の出来がどうだこうだと考える必要などないのだ。読者はみな、それぞれに認識する。書いてあることを、それぞれのじぶんの光のなかで、受けとめたり、受けとめ損なったりする。かくして、書いてあることの「意味」は、じぶんがどういう人間であるかということと密接にからまりあってくるのだ。そして、じぶんの心の変化や成長で、どんどん変わっていく」 わたしが小説を読む時も大体こんな感じに読めたら良いな、と思っている。とはいえ、ひとつのメッセージやテーマを小説というかたちに開いていくというのもまた「必要」というか本質のような気もしていて。「探すこと」なく自然と著者のメッセージやテーマが見つかるのであれば、その小説はきっと素晴らしい。「一言」よりも強く伝わる。強く伝われば、反応もまた強くなる。強い反応というのは、つまりはそれだけ「楽しんだ」ということでもあるだろうし、「自分の心」がより「変化や成長」することでもある。そうすれば小説もより楽しめることにもなる、のでは、とか。まあ、そもそも、「一言」では済まない、伝え切れないものもあるよね。
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