本は眺めたり触ったりが楽しい

61件の記録
- ふんわり@funwari2025年8月23日読書メモ▽ 8月18日にスタバで読んだ部分 pp.33-58 > 著者は患者であり、その著書はその患者の訴えだ、というこの見方はなかなかおもしろい。著者の話のなかに入っていくのではなく、そういう話をしている著者の心をのぞこうとする、いうなれば、著者を突き放した読み方。このとき、読者が読んでいるのは著者の本ではなくて、著者そのものである。 p.40 これならその本の著者に勝てそう、と思ってしまった。よくわからない負けん気が顔を出すタイミングがある。 > 筋なんかどうでもいい。シーンだ、シーンがすべてだ。 p.47 わかる。 > 索引読みの快感は、本をばらばらに解体していることから来る快感である。本がもっている統一性を踏みにじっていることから来る快感である。 p.57 索引読みはしたことがない。とても楽しそうだと思う。本を物理的に破ってしまうことができなくても、イメージとして本をばらばらにすることなら難易度は低そう。
- ふんわり@funwari2025年8月22日読書メモ▽ 8月11日の昼すぎ。この日は仕事が早く終わり、まっすぐ帰宅するつもりだった。しかし退勤して天気アプリを確認すると、いつのまにか午後から暴風雨の予報になっていた。とりあえず、雨がひどくなる前に最寄りのスタバへ避難して、外が落ち着いてから家路につくことにした。そのときに読んだ本の傍線や書き込みをたよりにざっくりと読書メモを作っていく。(ほんとうはもっと迅速にまとめたい気持ちだった……)(ものぐさ) pp.21-33 > だって、本を読むときの一種独特の窮屈感は、本という形態そのものが放つオーラによるところ、大だからである。 p.21 電子書籍の気に入った部分を印刷するというのは考えたことがある。結局ページを絞れなくて、面倒になり実行はしなかった。コピーなら書き込みとか、ふせんや資料を貼ったりが気楽にできそうでいいな〜 わたしは、書きものをするとき、綴じノートよりもシステム手帳やルーズリーフを使うことが自分に合っていると感じる。綴じられたノートへの緊張感は、著者が本を読むときの窮屈感と似ているかもしれない。 もしかして堅い本なんかは特に、リフィルに本の内容をコピーしたら読みやすいのではないか。試してみようかな。 > 本をばりっと破る心意気もないというのではあまりにも軟弱だ。 p.23 著者のこういう本気なのか迷ってしまう言い回しが好きだ。 まだ220円だった週刊少年ジャンプを買っていた頃、かなり軽率に引きちぎって読んでいたことを思い出した。兄弟でそれぞれ読みたい作品から同時に読めるし、気に入った話だけ保存してあとは捨ててしまえるから便利だった。ファッション雑誌なんかもページごとやぶり取って保存することがあったな。しかし文庫や新書でも、しっかりした(?)本を破いたり引きちぎるのはめちゃくちゃに抵抗がある。何故だろう……不思議だ。雑誌は「使うもの」で本は「所有するもの」だから、なんてふと思ったりした。ともあれ、わたしは今のところ当分は軟弱なままでいるつもりである。 > 本もね、長く積んでおくと、醱酵していい味がでるのよ、といったりもするぼくなのだ。 p.24 ぼくなのだ。かわいい🫰 まだ読んでいない本でも、自分が読みたくて選んだという時点でだいぶ自分の要素になっていると思う。積読本ってクリエイターのポートフォリオみたいだ。言い過ぎかしら。 p.29の犬本ちゃんかわいい! わたしはガシガシ書き込みや線引きはするけれど、ドッグイヤーはあまりしたくない派である。閉じた本が「まっすぐ」でなくなってしまうのが嫌なのかもしれない。本のどんなところが好き? と聞かれたら「平らなところです」と答えようかな。 > ぼんやりとした頭にかろうじて引っ掛かるようなことば、ないしは文章があれば、それで大収穫なのだ。 p.32 ハワイの海辺で読書をする人が多いなんて想像できなかったので、びっくりした。日光を浴びながらの読書は遠慮したいけれど、プールで体操をしながら読書をするのは楽しそう。機会があったら挑戦したい。もしも頭をぼんやりさせながら読書がしたくなったら、日焼けを避けるのならサウナがうってつけなのではないでしょうか。サウナは未経験なのでテキトウなことを言っております。 それにしても、あらゆる読書家たちは異口同音に「一冊のなかに一つでも得るものがあれば良し」と仰っている。一冊の本から一つしかとれない希少な部位があるのかもしれない🐟🍖
- 東@kmngh2025年8月12日「本を読むことの窮屈さのなかには、本は前から読むものである、という約束事が主な原因になっている場合が多い。索引読みが快感なのは、そんな約束事を破るからだ。どこから読んでもいいのだということを実践させてくれるからだ。」
- ふんわり@funwari2025年8月8日読み始めた@ 自宅開幕、いきなり良すぎる言葉が目に飛び込んでくる。 > 中年のおじさんたちがしょうのないことを楽しそうにおしゃべりしている『発作的座談会』(本の雑誌社)を読んでいたら、 p.15 「おじさんたち」が「しょうのないこと」を「楽しそう」に「おしゃべり」している。何だそのハッピーワンダーランドは、と思った。(そのような愉快な本があるんですね。絶対に読もう。)私は座談会というものにずっとむやみに憧れを抱いているので、余計に良さを感じた。 最初の一文が目に入った段階で、本文に関係あるような、ないようなことを、ぼんやり考え始めてしまいなかなか読み進められなかった。
- ふんわり@funwari2025年8月7日ちょっと開いた@ 自宅本はどう読んでもいい! (読まなくてもいい) まず帯のこれ ↑ が良すぎて、 最高か!? と、見るたびに思う。 いつからか読書が「どっこいしょ」になってしまった。そんなわたしにぴったりな(かもしれない)本を、いよいよ読み始めるぞ! の気持ちで、開きました。ワーッ 冒頭の挿絵を眺めるなどしております。阿部真理子さんの絵とても良いですね。かわいい。 読むぞ〜読むぞ〜とずっと持ち歩いていたのでカバーや帯がかなり擦れている。既に愛読書の趣すらある。良いタイトルですよね。本は眺めたり触ったりが楽しい。ほんとそれ。それな、である。
- ゴトウ@ptk5102025年7月14日読み終わったきみの自由だよ、と言われたり選択肢が増えることに結構な安心感を抱くタイプなので、最初から最後まで自分の読書体験を肯定してくれる、処方箋のようなエッセイだった。 「おもうに、これが読書の醍醐味である。読書という、きわめて個人的でひそやかで秘密めいた作業は、あらゆる記憶違い、思い違い、読み違い、を許容する。正しい読み方などない。読書の力とは、心を鍛えてくれるところに、思索にはずみを授けてくれるところにある。」
- DN/HP@DN_HP2025年5月22日「読者の仕事とは著者の意図を探すことではない」 引かれていた短編小説についてのブルース・ウィバーの言葉を読んで小説について考えたりした。 「だいいち、もしも小説がひとつのメッセージやひとつのテーマに圧縮できるのだとしたら、著者はそもそもなんで小説を書く必要があったんだろう?メッセージを一言書けば、それで済んだではないか。大事なことは、著者も、意味を探しながら、書いているということだ。それが、著者のつらい仕事なのだ。読者の仕事は、反応すること、である。読書とは、著者の意図や目的を、それがまるですばしこい小動物であるかのごとく、追いかけまわすことではない。本を楽しむためには、本の出来がどうだこうだと考える必要などないのだ。読者はみな、それぞれに認識する。書いてあることを、それぞれのじぶんの光のなかで、受けとめたり、受けとめ損なったりする。かくして、書いてあることの「意味」は、じぶんがどういう人間であるかということと密接にからまりあってくるのだ。そして、じぶんの心の変化や成長で、どんどん変わっていく」 わたしが小説を読む時も大体こんな感じに読めたら良いな、と思っている。とはいえ、ひとつのメッセージやテーマを小説というかたちに開いていくというのもまた「必要」というか本質のような気もしていて。「探すこと」なく自然と著者のメッセージやテーマが見つかるのであれば、その小説はきっと素晴らしい。「一言」よりも強く伝わる。強く伝われば、反応もまた強くなる。強い反応というのは、つまりはそれだけ「楽しんだ」ということでもあるだろうし、「自分の心」がより「変化や成長」することでもある。そうすれば小説もより楽しめることにもなる、のでは、とか。まあ、そもそも、「一言」では済まない、伝え切れないものもあるよね。
- DN/HP@DN_HP2025年5月20日買った眺めているこのエッセイ集は完全にわかる、とジャケットを眺めながら思っているところ。 青山南さんといえば、『アメリカ短編小説興亡史』には友人を経由してかなり影響を受けている。
- リチ@richi2025年4月19日かつて読んだ本読むのが好きだな、と思う人にはたまらない話ばかりではないだろうか。 速読、斜め読み、本に線を引くこと、本の端を折ること、解説についてなどなど、本読みあるあるが満載で、とても楽しい。 出てくる本たちも本当に魅力的で読みたくなる。
- buch@wk_bucher_2552025年2月6日読み終わったおもしろくて1日で読み終わってしまった! 意外と本との付き合い方を友人と話すことがないから、様々なんだなぁということを確認できてうれしい
- No.310@__310__2024年7月21日読み終わった軽快でさっぱりとした筆致の「読書好きあるある」が染み込むように入ってくる愉快なエッセイで、ニコニコしながら楽しく読んだ 青山先生ほどの人でも「なんか積ん読って増えるなぁ」とか「面白いと思った本でも内容覚えてるかっつったらそんなことないよなぁ」とか「戦争と平和を朗読!?あんなに長いものを!?」とか思うものなんだ、と思ったらなんだか元気が出る 本が好きとは言うものの読むスピードも遅いし量も読めない、これで本当に本が好きと言えるのだろうか……という気持ちに、気にすることはないぞ!と呼びかけてくれるような一冊 読書は思っているよりずっと自由