阿久津隆 "旅の時間" 2025年5月11日

阿久津隆
阿久津隆
@akttkc
2025年5月11日
旅の時間
旅の時間
吉田健一
本棚から見つけて『旅の時間』をリュックに入れて吉田健一を摂取したいらしい。電車に乗ると開いて目次を見ると最初の「飛行機の中」だけ読んだ気がする。目次を見ていくと「東北本線」というのがあったのでこれにした。「これも昔の話である」と始まった。上野から青森まで急行で20時間以上かかった頃のことで「先ず昭和の初期から戦争が始るまでの間としてそのどの辺でもいいという所」ということだった。「大宮、古河というような汽車が最初に通る駅からして寂しい限りのものだった」ということだった。関東平野はもともと人が住む場所じゃなかった、という話だった。 そこに蝦夷その他の原住民がいたということはあってもその数がこの地方に人間がいるという程のものでなかったに違いないことは現にこの平野が我々に与える印象からも解ってそこに道が何本も出来てそれが来るまで埋り、それに沿って人間が住む建物が群をなして並ぶという今日のような事態がいきなり起った所でこの人間がいなかったということがどうにもなるものではない。それは空地を雑草が蔽っている様子からも明かで古くからの都が荒れ果てて朝芽が原に変ったのとは全く別種の寂しさがある。そういう人間が多少住むようになってから三百年たつかたたないかの土地に敷いた鉄道を汽車が進むのであるから、従って又その点は今も大して違いはしないことになってもその頃は余計なものがいつの間にか出来て注意を逸らせることもなかったから一層暗い感じがしたとも言える。 p.110 人が300年住んだくらいじゃ無人だったころと印象は変わらないという暴論でウケて、そのあとも「客車の作りも窓から外の景色も要するに粗末ということに尽きる時に坂本と乗り合せたその客車の客達もそのなりも顔付きも或は態度にしても同じそうした感じのものなのが周囲の影響でそのような印象を与えるのか東北本線というのがその種の雑な客を雑な場所に運ぶ為のものであるからなのか」と続いていい加減にしなさいよwww と京王新線で笑った。東北本線は今は宇都宮から白河くらいまでだろうか、下で大田原に帰るときは乗る電車だから馴染みがあるし大宮は育ちの地だし大宮から宇都宮線に乗って古河とかを経てそうやって大田原に行った身だから読むのを選んだわけだけどひどい扱いでよかった。登場人物の坂本は雑な客ではない客が隣にいることに気付いて大男で途中からふたりは話し始めた。すると「その時に窓の外にあったのが那須野でそれまでの人間が住んでいない場所の印象を一挙に押し進めたものがそこに拡った」とあって今度は那須がやり玉に! とまた笑って、「それは寂しいのを通り越して荒んでいてそこの自然に親むには人間以外の動物の感覚が必要であることを思わせた」と続いて朝からいい読書の時間となった。
読書のSNS&記録アプリ
hero-image
詳しく見る
©fuzkue 2025, All rights reserved