
うえの
@uen0
2025年5月24日

私たちのテラスで、終わりを迎えようとする世界に乾杯
すんみ,
チョン・セラン
読み終わった
読むたびに好きだなぁという感慨が深くなる作家の1人。人の確かな優しさと信念と逞しさが、柔らかな温度を持って染み渡ってくる。そんな物語がたくさん入っていた。
アラという名前の主人公たちの物語は優しい強さを持っていて、痛みと向き合う姿が眩しかった。彼女たちの目を通して見える世界が、たしかに今の私たちのどこかに存在している。
マリ、ジェイン、クレールがあまりにも愛おしくて抱きしめたくなる物語だった。
印象に残った言葉----------
アラの小説
恋愛諸説を読み書きする人を愛した。しかし、女性が三日に1人殺されていることを知ってから、性産業の大きさと惨憺たる実態を知ってしまったから、トイレにある穴の正体に気づいてから、デジタル性犯罪についての調査報道を追いかけて読んでから、アラの中にある何かが死んだ。
物語が社会に影響を与えると同時に、社会も物語に影響を与え、ついに物語と社会の二つが双方向の矢印になる。その責任から目を背けてはならない。
女性の書き手だけが、薄氷のうえを歩くようにして倫理的な悩みを抱くと嘆く同僚もいる。数千年に渡って男性の書き手たちがやってきたように、ありとあらゆる禁忌の上に寝転び、胡座をかいてはいけないのだろうかと。そんな想像をするだけでも慰めになるけれど、もっと巧みに書く方に足を向けることができなければ、いつしか見限られてしまうだろうという不安から抜け出すことができない。
泰然とした顔をする暴力の気配を、素早く察知し、安全でかつ自由になる主人公について書いてみようと思った。愛情のように見えて愛情ではないことについて、緻密に。恋愛の話のように読めるのに、恋愛の話ではない物語を、とぼけているような顔をして。
妥協でしかない、というのは承知の上だ。だか、進み続けているうちに妥協を乗り越えた答えが見えてくるかもしれない。
アラの小説2
自分を疑うのではなく、攻撃する人たちの意図を把握するようにしよう、と何度も自分に言い聞かせているが、それで生まれながらの瞬発力の鈍さが鍛えられるわけでもない。
読みやすい小説がどれほど難しいプロセスを経て完成されるかは、読みやすく書ける人にしかわからないことだと信じてきた。
復讐は、このようにして世の中が代わりにやってくれるものなのかもしれない。
コラムを一つ発表すると、そこに何百個もの悪質なコメントがつく。そんなものに対してシールドを一枚貼り、性別をわかりにくくして、もっと好意的な評価を受けることもできたかもしれない。だけど、胸の内では、そんなことはしたくないと思った。若い女性を思わせる名前で、しっかりやってのけたかった。
M
「うん、通報もするけど、みんなに知ってもらわなくちゃいけない気がする」
Mを避けなければならないということを?あるいは、読者から注がれている愛情を、作品を掲載できる紙面を、権力を、Mから奪ってこなければならないということを?私にも明確な答えはない。
最悪の状況を想定して書いた話が現実に近づいてしまうことが二度と起きないことを願うばかりだ。
私たちのテラスで
私たちは剥奪された世代で、世の中は私たちから奪っていったものを永遠に返さないだろうし、その確固とした拒否によって、世界はいつか崩れ始めるだろう。それまで私たちにできることは何もなく、限界にぶつかりながら一瞬のセンスを輝かせ、消えていくはずだ。
私は同意するつもりで、エムジェイのグラスに私のグラスをぶつけた。なんの音もしなかったけれど、そんな効果音くらい、いくらでも頭で想像することができる。
好悪
みんな立派に暮らしてめでたい訃報になろう、と言って笑いました
あなたがこらえて のみこんでいるものについて
私が代わりに想い 捨てられるならば、
有毒でも嬉しいことでしょう
スイッチ
何重ものフィルターで濾されて出てくる言葉が好きなんです。私にはできないことなので。
アラの傘
歳にそぐわない疲労感のせいで、若者が老いぼれていく。変わらない世界、分かち合えない世界、過酷な方へと悪化してしまう世界で、老化は加速される。
人生の質を犠牲にして得るものがなければ、自分を燃料がわりにして燃やそうと思えないだろう。
恋人は済州島生まれ育ち
彼女でもなく彼氏でもなく、恋人という言葉を思いっきり使ってみた小説でもある。
ヒョンジョン
ロアルド・ダールが口癖に言っていた言葉が記されている。「私は思う。親切こそが人間の持ちうる最高の資質だと。勇気や寛大やその他の何よりも。あなたが親切な人間なら、それで十分だ」。
訳者あとがき
「完全に回復できないことを認めたうえで続ける」

