JUMPEI AMANO "無意味なんかじゃない自分 ハ..." 2025年5月24日

JUMPEI AMANO
JUMPEI AMANO
@Amanong2
2025年5月24日
無意味なんかじゃない自分 ハンセン病作家・北條民雄を読む
最後まで読む。「はじめに」で示された以下の疑問への答えが示される。 〈差別された人が、傷つけられた自尊心をなんとか守りたいと思った時、同じような境遇にある人たちに対して、居丈高になったり、意地悪になったりすることは認められるのか。/あるいは、自分が「差別されている集団」に所属していたとして、その苦しみから逃れるために「自分だけは違う」と言ったり考えたりすることは許されるのか。〉(17-18頁) さしあたりの結論を見て、嗚呼、荒井さんの本だなぁ、とにんまりしてしまった。 それにしても、第八章〜第一〇章の北條民雄の日記の読み解き、より正確には『全集』及び『定本』に収録された日記と原本(自筆本)とを比較しながらの読み解きが、とても面白かった。 北條にとって「作家」の条件とは何だったのか(第八章)、日記には何が、どのように書かれていたのか(第九章)、療友であり親友でもあった東條は、なぜ日記を書き換えたのか(第一〇章)。 テクストをつぶさに読み込むだけでなく、それが書きつけられた物や筆跡にも目を凝らす姿勢に、やっぱり荒井さんだなぁ、と嬉しくなる。 当初は結構、この本の「ですます調」の文体がやさしすぎる気がしていたのだけど(最初の何章かは基本的な解説パートが続くこともあり)、日記パートに辿り着く頃には、この文体は北條にかけられた〈崇高〉のヴェールをはがし、人間として向き合うために選び取られたものだったのかもしれないと、納得できる瞬間があった。 〈大切なのは、一人の人間が見せる振れ幅をきちんと捉えることでしょう。〉(230頁) 北條の振れ幅を知ることを通して、自分という一人の読者の中にある振れ幅をも大切に思える読書となった。 余談:第15回「(池田晶子記念)わたくし、つまりNobody賞」の受賞スピーチで、荒井さんが以下のように語っていたけど、第一〇章の最後のほうの想像力の働かせ方には、こういう地道な経験が根底あるのでは、と思ったりもした(このスピーチは柏書房のwebマガジンで読めます)。 〈ハンセン病療養所では「昔の患者の言葉を書き写す」ということを、よくやっていました。私自身、昔の患者の残した言葉とどう向き合っていいのか分らなかったので、とにかく「書き写す」ということをしました。昭和初期の患者の手書きの原稿用紙が800枚くらい出てきたことがありました。それを一文字一文字、ワードファイルで書き写しました。[...]とにかく、患者の言葉をなぞることからはじめたのです。〉(「かしわもち」2022年5月2日より)
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