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@teihakutou
2025年3月6日

ダンス
竹中優子
読み終わった
p.73「その日も下村さんに晩御飯を作ってもらって、私は、ああ、下村さんのご飯を食べるの、慣れてきているなあ、と思いながらご飯を食べた。それは、なんというか私には少し怖いことだった。何が怖いとか、自分でも説明ができなかった。当たり前に自分の生活に他人がいて、その人がいることに自分が慣れて、無防備に過ごす、ということが途方もないことのように思えた。いつか酔っぱらった下村さんが「一緒に暮らす?」と適当なことを言ったとき、ものすごく傷ついてしまった自分を思い出した。このまま自然に、何気なくこの空気に溶けていけたらいいのになあ、と思うことも怖くて、自分の思考を自分で断ち切った。」
こんな主人公が20ページ後には、こう考える。
p.93「私は老夫婦の気持ちを、ちょっと想像したんだった。残りの人生、ちょっとずつ他人に迷惑をかけて生きていこうとふたりは話し合ったのではないかなと。他人の家で急にお風呂を借りるなんて、迷惑だし、入り込み過ぎだし、めんどくさいし、図々しいんだ。でも、ちょっとずつそうやって、誰かの世界に入り込んで、迷惑かけて、生きていっていいんじゃないか。」
こういう心境の変化を経た主人公が、ページを捲った先の二年後に結婚していて、わたしは、それはよかったね、と少しだけ思ったけど、驚いて残念に思う気持ちのほうが大きかった。わたしはこの主人公と感覚が結構近い気がして、共感を寄せていたので。だから、また数ページ捲った先の十五年後には離婚していて、ですよね、とほっとした。
そしたら次のページで、三十代を振り返って、「なんか、普通の人が高校生ぐらいで経験することを味わわせてもらったかもしれません」と言うので、ハッとした。わたしのまだ知らない十五年を主人公は経験している。ぐるぐる沢山のことを考えた十五年だったのだろう。それをわたしはこれから経験する。別人になる可能性のある三十代が待ち受けている。
一人の人間の終生変わらぬ一貫性を愛すべきものとして抱きしめつつも、人が変化することを受け入れて、いろんな時期のその人が背後にある状態のその人まるごとを肯定する作品。とても好きだった。


