柿内正午 "ゴダール映画史" 2025年5月29日

柿内正午
柿内正午
@kakisiesta
2025年5月29日
ゴダール映画史
ゴダール映画史
ジャン・リュック・ゴダール,
ジャン=リュック・ゴダール,
Jean‐Luc Godard,
奥村昭夫
ビデオ英語版、4Aがよかった。ドニ・ド・ルージュモン『手で考える』からの引用だという長いモノローグ。 精神は存在を表明する時 真となる 表明mainifesterという語には手mainが含まれる 愛は精神の極み 隣人愛とは一つの行為 差し伸べられた手 イェリコへの途上で 暴徒に襲われた者に説く理念ではない 警察 プロパガンダ 国家 それが手であり 人間の理性がその姿に似せて創った暴虐な神の名だ 言葉が崩壊し 贈りものの意味をなくせば 崩壊するのは人間的な友愛 それが人民の不安だ もとより物質的なものでなく 友愛の死から生まれる 心と精神の不安だ 神秘の声は信じない 事実の呼び声に信を置く 時と我々が生きる場所を その正確な状況とその呼び声を察知しよう 判断を下すのはその後だ 今日のこのヨーロッパの2種類の国家 古びた国家と若返った国家 幾多の可能性を得たが自由の使い道が分からない国家 いくつかの戦争の後に大衆革命を経た国家 言論の自由はあるが情熱に欠ける国家 迫り来る能乏を待つことしかできない国家 窮乏が最終論拠で近代的共同体の最終基盤 我々のドラマや思想 行動 ユートピアさえ背景をなすのは窮乏だ 問題は独裁者の考えや物費的な切迫性でなく より高い真理であることは明らかだ 人間の高みにある真理 私なら “手の届く”と付け足す 今こそ思想は再度姿を変えるべきだ 思想家には危険な現実を変質させるものに リルケは書く “創造する処で私は真だ” 思考する者も 行動する者もいるが 真の人間の条件は手で考えることだ 道具に非はないが 使えるものになって欲しい 危険は道具にあるのではなく 我々の手の弱さにある 機械のリズムに身を任せた思想は 自らをプロレタリア化する そんな思想は創造を糧にしない ”他者が人間を形成する” だが—— 他者とは誰か 今やそれがわかる 思想の放棄から生まれた諸々の法だ 責任はどこに? 党でも 階級でも 政府でもなく 人間一人一人にある 私もその一人だ 皮肉に引き裂かれ怒りに駆られるほど さもなければ叫ぶまい 沈黙は努力の賜物ではない 沈黙と哀れみを誘う知性だけが赦しの賜物 ”不在を支配するのはあなたで” ”私の仕事ではない”と詩人は言った 真の暴力は精神的事象だ 創造行為はそれを行う人間には脅威だ だからこそ作品は人の胸を打つのだ 思想が重みも暴力も差し控えれば それにより解き放たれた蛮行に身を晒すことになる フランスで再び精神活動が刑罰の対象になれば 精神が深刻さを取り戻す 想像の決定がなされる場所とは個人 つまり世界の動乱も 私に行動を強いる瞬間に明らかになるある種の問いと変わらない ”我々”を支持する者は誤っている 世界の矛盾は存在の根源をなす方程式に現れる Xとは個人で創造的要素で軽量化不能の自由だ 人間としての人間は まさしく創造者だが 創造された創造者だ 我々は希望のうちに救われるが この希望は真実だ 時は行為を破壊するが 行為は時の裁き手だ
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