ゴダール映画史

ゴダール映画史
ゴダール映画史
ジャン・リュック・ゴダール
ジャン=リュック・ゴダール
Jean‐Luc Godard
奥村昭夫
筑摩書房
2012年2月1日
7件の記録
  • 柿内正午
    柿内正午
    @kakisiesta
    2025年5月29日
    ビデオ英語版、4Aがよかった。ドニ・ド・ルージュモン『手で考える』からの引用だという長いモノローグ。 精神は存在を表明する時 真となる 表明mainifesterという語には手mainが含まれる 愛は精神の極み 隣人愛とは一つの行為 差し伸べられた手 イェリコへの途上で 暴徒に襲われた者に説く理念ではない 警察 プロパガンダ 国家 それが手であり 人間の理性がその姿に似せて創った暴虐な神の名だ 言葉が崩壊し 贈りものの意味をなくせば 崩壊するのは人間的な友愛 それが人民の不安だ もとより物質的なものでなく 友愛の死から生まれる 心と精神の不安だ 神秘の声は信じない 事実の呼び声に信を置く 時と我々が生きる場所を その正確な状況とその呼び声を察知しよう 判断を下すのはその後だ 今日のこのヨーロッパの2種類の国家 古びた国家と若返った国家 幾多の可能性を得たが自由の使い道が分からない国家 いくつかの戦争の後に大衆革命を経た国家 言論の自由はあるが情熱に欠ける国家 迫り来る能乏を待つことしかできない国家 窮乏が最終論拠で近代的共同体の最終基盤 我々のドラマや思想 行動 ユートピアさえ背景をなすのは窮乏だ 問題は独裁者の考えや物費的な切迫性でなく より高い真理であることは明らかだ 人間の高みにある真理 私なら “手の届く”と付け足す 今こそ思想は再度姿を変えるべきだ 思想家には危険な現実を変質させるものに リルケは書く “創造する処で私は真だ” 思考する者も 行動する者もいるが 真の人間の条件は手で考えることだ 道具に非はないが 使えるものになって欲しい 危険は道具にあるのではなく 我々の手の弱さにある 機械のリズムに身を任せた思想は 自らをプロレタリア化する そんな思想は創造を糧にしない ”他者が人間を形成する” だが—— 他者とは誰か 今やそれがわかる 思想の放棄から生まれた諸々の法だ 責任はどこに? 党でも 階級でも 政府でもなく 人間一人一人にある 私もその一人だ 皮肉に引き裂かれ怒りに駆られるほど さもなければ叫ぶまい 沈黙は努力の賜物ではない 沈黙と哀れみを誘う知性だけが赦しの賜物 ”不在を支配するのはあなたで” ”私の仕事ではない”と詩人は言った 真の暴力は精神的事象だ 創造行為はそれを行う人間には脅威だ だからこそ作品は人の胸を打つのだ 思想が重みも暴力も差し控えれば それにより解き放たれた蛮行に身を晒すことになる フランスで再び精神活動が刑罰の対象になれば 精神が深刻さを取り戻す 想像の決定がなされる場所とは個人 つまり世界の動乱も 私に行動を強いる瞬間に明らかになるある種の問いと変わらない ”我々”を支持する者は誤っている 世界の矛盾は存在の根源をなす方程式に現れる Xとは個人で創造的要素で軽量化不能の自由だ 人間としての人間は まさしく創造者だが 創造された創造者だ 我々は希望のうちに救われるが この希望は真実だ 時は行為を破壊するが 行為は時の裁き手だ
  • 柿内正午
    柿内正午
    @kakisiesta
    2025年5月15日
    昨日の日記 奥さんがいってきますと声をかけてくるまでまったく気がつかなかった。奥さんが起き出すのも、猫が鳴くのも、支度をするのもまったく意識に上らないほど熟睡していた。それからもずいぶん微睡んでいて、ガス点検のインターホンでようやく起きる。外のメーターの点検だけだと思っていたら、キッチンも見るというので招き入れる。点検員は年上の女性だった。よれよれの寝巻、ぼさぼさに膨らんだ髪。あきらかに寝起き姿のままで、リラックスしきった男に特有の威圧感があったかもしれない。点検自体はすぐに終わり、顔を洗い、身ぎれいにする。きょうはがっつり映画。阿久津さんに貸してもらった『映画史』を四時間半、見るぞーという日。朝のコーヒーとドーナツを済ませ、スクリーンの設定に手間取り、ようやく始まる。 DVDには丁寧なノートとレファレンスが搭載されていて、まずはノートを読んでから1Aを見る。すぐに気がつくのは、縮約版がいかに上手に編集されているかということだ。おいしいところは過不足なく入っているという感じがある。それに、各パートはそれぞれに独立しており、おしまいに「つづく」と出ることだ。発表も一挙ではなく、少しずつ出た。だから一気見する必要はそこまでないのかもしれなかった。昼すら抜いて意地でも通しで見るつもりだったけれど、むしろ中断をはさんだ方がよさそうだ。2Bまで見て、リファレンスを確認し、これは楽しい仕掛けだ。操作性に限界はあるけれど、無限に時間がかけられる。これは四時間半ではとても足りない。そう思いながら、ひとまず十五個のクリックポストを二つのトートバッグに入れて郵便局へ。たぶん十三キロくらいある。ひとつ重量オーバーで、三つ口の納品だったから三個持ち帰る。帰宅するとどっと汗が噴き出す。すぐに中身の組み合わせをやり直し、梱包し、でももうこの暑さのなか出かけるのは無理だ、と思う。放置されていた冬物を小上がり下の収納にしまう。また汗をかく。冷製パスタをてきとうにつくって食べる。つくりながら『カルメンという名の女』を見始め、途中からは二階のスクリーンに移って最後まで。『映画史』におけるゴダールの引用は、つねに自作のショットが最も魅力的に機能するように配置されている。あ、これは、と思うとだいたいゴダールで、笑ってしまう。もちろんそのほかにも見たくなる映画はたくさんある。レファレンスを眺めながら、リストアップして、配信で見られそうなものはマイリストに登録しておくという作業をやっていると、本編と同じくらいの時間が過ぎる。楽しいな、これは。すぐれた人文書を読んで、末尾の参考文献や注釈から無限に読みたい本が増えていくのと同じ経験がある。『偉大なるアンバーソン家』、『無防備都市』、『ウンベルトD』、『テオレマ』、『白昼の決闘』、『捜索者』、『赤い砂漠』、『欲望』、『情事』、『霧の波止場』、『ニューヨークの王様』。配信で見られそうな、ゴダール以外の作品だけでもこれだけある。映画史を語るには十本あれば充分だと画面のなかのゴダールは嘯いていたが、すでに超えている。映画だけでなく、いや映画よりもむしろ、絵画を見る目が培われるようなコラージュだと感じた。おもに白黒の映画が惹かれるというのもあるだろう。ほんの短時間のショットの面白さが、時間を引き延ばされたり反復されたりしながら強調され、それとともに、重ね合わされる絵画の色彩が、驚くほど鮮やかに現前するたび、わあっと喜ぶ。たぶんこれは、TikTok の面白さに近いのかもしれないな、と思う。贅沢にもショート動画として盛り付けられた断片を浴びる。2Bのサビーヌ・アゼマが長々と話すところで眠くなり、隣で寝ている猫の背中に耳をつけると短く大きく吸って長く吐く、すっぷー、すっぷーという寝息のリズムが響いてくる。それにつられてとうとう寝た。起きるともう猫のごはんの時間で、十九時だった。夕食を作らないと。今夜は豚しゃぶ、茄子とベーコンの味噌汁。奥さんから連絡がない。残業で、帰りは二十二時前になるとのこと。うちわも扇風機も使わず、豚しゃぶは室温で冷ませばいいかもしれない。であれば、と2Bを見直し、目が覚めてみると、とても面白い。3Aも、見て、3Bの終盤で奥さんが帰ってきた。一緒に美術館の学芸員に扮するゴダールを眺める。なんか、独特だね? と奥さんは言う。そうだね。 夕食を食べながらきのうのプロレスを見る。徴は至るところに。映像は、つねに、かつてそこでこのようなことが起こった、ということを徴ている。そういえばきのうは、ヴァージニア・ウルフと映画についての論文を読み、「シネマ」というエッセイの翻訳を読んだ。 https://akamimi.shop/archives/4680
  • 安井海洋
    安井海洋
    @mihiroy
    2025年3月24日
  • 柿内正午
    柿内正午
    @kakisiesta
    2025年3月24日
    “ひとはなにかをするためには二人にならなければなりません。あるいは……自分ひとりしかいない場合は、自分が二重人間(ルビ:ドゥーブル)になるような状況に身をおかなければなりません……祖国に対する裏切り者になることによってであれ、二重国籍者になることによってであれ、自分が二重人間になるような状況に身をおかなければなりません。レーニンはその思想のすべてを、ロシアの外にいたときに形成しました。ついでロシアに帰って多くの仕事をかかえ、そのなかば近くについては誤りをおかしたりしたあと、この世を去りました。でも彼の創造の偉大な時期は、彼がスイスに亡命していたときなのです。当時、ロシアの民衆は飢饉に苦しんでいました。レーニンはと言えば、チューリッヒの近くの山中をサイクリングしたりしていました。でも彼は、そうした状態のなかでこそ……同時に二つの場所に身をおいていたときにこそ、自分の最高の思索をもつことができたのです。” p.110
  • かりの
    かりの
    @kei2934
    2025年3月24日
  • 柿内正午
    柿内正午
    @kakisiesta
    2025年3月22日
    リュックに入っていないのでフヅクエの棚のものを読ませてもらう。ドッグイヤーや書き込まれた線を辿るように眺めたりしているうち、いつしかすいすい夢中で読んだ。はじめの一〇〇頁くらいのドッグイヤーが戻されていて、これはかつて誰かが勝手にひとの読書の痕跡を均してしまったのか、あるいは再読した阿久津さんの思考の痕なのか、どちらだろうかと考えるともなしに考えていた。『映画史』のDVDボックスをぶじ受け取ってほくほく。楽しみだなあ!
  • 柿内正午
    柿内正午
    @kakisiesta
    2025年3月16日
    昨日の日記より。 “本は読めそうにない。夕方から奥さんは出かける用事があり、お見送りついでにスーパー。ひとりになるとこの前買ったゴダールの『映画史 選ばれた瞬間』を見る。面白かったけれど、やはり五時間版のものが見てみたい。縮約された引用の織物ということならば、『イメージの本』のほうがより洗練されているわけで、長いのを眠くなりながら浴びたかった。これを機に再販されないかな、いまは中古で探すと六万とかからで、どうにも手が出ない。ゴダールのどぎつい青と赤の対比や、コラージュの野蛮さに、普段は映像に興味を示さないルドンがけっこう真面目に見ていて、へえ、と思う。あなた、ゴダール好きなの。わけわかんないけど、なかなか目に気持ちがいいわかんなさだよね。音も変だから、そっちが気になるのかな。 ちくま学芸文庫の『ゴダール 映画史(全)』を棚から出して、てきとうに開いたところから読む。観客について語っているところが面白い。”
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