
ちょこれーと*
@5_ogd
2025年5月30日

ガラスの海を渡る舟
寺地はるな
読み終わった
同じ出来事に遭遇したとしても、感じ方や受けとめ方は人それぞれ違う。同じ言葉ひとつとってもきっとそう。『共感』とか『共鳴』って言うのかな、パズルのピースがはまるように感性が合う人に出会うこともきっとあるのだと思う。
『晴れたら「天気がいい」、雨が降れば「天気が悪い」』。
人が良し悪しを勝手に付けて、そう感じているだけで実際のところ天気に良いも悪いもない。ただ晴れている、雨が降っているという事実があるだけだ。
羽衣子は感受性が豊かだ。
お客さんの話を聞いて泣いてしまうほどに。
とても素直でいい子だと思う。
ひたむきで実直で努力家。
昔誰かが言っていた。「努力し続けられることも才能のひとつ」だと。
私には到底できない。
身近に決して越えられない壁があると感じながらも挑戦し続けるなんて。
子どものまま成長してしまった大人。
最近はいろいろな診断が流行っていて、なんでもかんでもタイプに分けようとする傾向があると感じる。私も診断は好きでよくやってみる。だけど、だいたいこっちかこっちのタイプかな、というようなどこにも当てはまるような当てはまらないような、というどこにも所属できない微妙な結果になることが多い。
『タイプ』や『枠』にこだわる。『所属』していること、名前を付けられることに安心感を覚える。そこから外れることはとてもこわいことで、知らないことはこわいこと。
だからどこのタイプに所属しているか、という枠に当てはめることで、この人はこういう人なんだなと理解することができるのかもしれない。じゃあ、その枠からあぶれてしまった場合はどうなるのだろう?
人から与えられた役割を演じる。あなたはこういう人ですよ、という解釈。日常に生きていく中でどんどん削がれて剥がれて埋もれていく、本来唯一無二であるはずの『自分』という存在。同じような人はいるかもしれない。だけど、自分の道を歩けるのは自分しかいないし、自分の道を切り開くことができるのもまた自分しかいない。その事実をありありと思い出させてくれる。
自分を見失いそうになった時、進む道に迷って立ち止まってしまった時、道標になってくれるお守りのような作品だなと思った。