
ちょこれーと*
@5_ogd
自分の思考整理用。
自分の中で生まれた考えとか想いとかって、
泡のようにどんどん消えてしまうものだから。
- 2025年7月12日嫉妬論山本圭読んでる■「非 - 嫉妬の政治」の可能性とは-マーサ・ヌスバウム 『ヌスバウムの議論に特徴的なことは、嫉妬を「恐れ(fear)」と結びつけて考察していることだ。恐れとは「是が非でも持っておく必要のあるものを持っていないという恐れ」のことである。こうした不安や無力感から、人は他人とのゼロサム的な競争へと駆り立てられてしまうのだ。』 ●ゼロサム:合計するとゼロになること。一方の利益が他方の損失になること。 ■正真正銘の悪徳-福澤諭吉の「怨望」論 『福澤は、嫉妬感情を「怨望」(これは英語の“envy”の響きを残す優れた翻訳であると思う)と呼び、これを厳しく評価している。』 ・吝嗇(りんしょく) →一般にケチなことを意味しているが、計画的に金銭を貯めこむことそれ自体はなんら問題あることでないし、場合によっては倹約的であると評価される ・奢侈(しゃし)≒贅沢 →快適な暮らしを求める人間の本性にかなっており、美徳であるとさえ言える。 『怨望だけはこの両義性の法則にしたがわない。人間とは様々に不徳を致すものではあるけれども、「その交際に害あるものは怨望より大なるはなし。」それは正真正銘の悪徳、「衆悪の母」、「人間最大の禍」であるほかない。』 一般的に良くないとされる性質でも、考え方次第では良いこともある。ただし、怨望については例外で正真正銘の悪徳だという。 他人に対して攻撃的になったりその怨望(envy)が緩和されない場合は自身の身を滅ぼす可能性もある故か。 その感情が競争心を駆り立て互いの成長の糧になる、とプラスに働くのであれば話はまた別なのかもしれないが。
- 2025年7月10日嫉妬論山本圭読んでる■劣位者への嫉妬-デイヴィッド・ヒューム 『まず一般に、劣っている者との比較は優位者に快楽や安心感を与える。人は他人との比較によってのみ、自分の優位な状況を確認することができる。』 『優位者は、最初、劣位者との比較から快楽を受け取るが、しかし劣位者の相対的な上昇は優位者の快楽を減じてしまうため、これを不快に感じるのである。』 ■人間嫉妬起原論-ジャン=ジャック・ルソー ●自己愛:一つの自然的な感情であって、これがすべての動物をその自己保存に注意させ、また、人間においては理性によって憐れみによって変容されて、人間愛と美徳とを生み出す。 ●自尊心:社会のなかで生れる相対的で、人為的な感情にすぎず、それは各個人に自己を他の誰よりも重んじるようにしむけ、人々に互いに行なうあらゆる悪を思いつかせるとともに、名誉の真の厳選なのである。 『嫉妬は社会の誕生と時を同じくして生まれたのである。』 ■嫉妬のチームプレイ-ショーペンハウアー 「あらゆる種類の個々の傑出した人物に対して、凡庸者どもが申し合わせなど抜きに暗黙裡にとり結び、いたるところで栄えている同盟の塊」 結託して対象者を引きずり下ろそうとする行為は、優位者に対する嫉妬感情の集積である。また、自分も抜きん出た場合は同じ目に遭うというお互いへの牽制にもなる。 なんであの子が選ばれるの!?許せない!引きずり下ろしてやる!…みたいな? こういう行動って正直あんまり理解ができないのよね。群衆という大勢多数に加勢して対象者への攻撃の大義名分を得て偉ぶって何になるの?嫉妬による結託って文明の衰退を引き起こすと思う。足の引っ張り合い。 人にされて嫌だって事を人にしてはいけないって教わらなかったのかしら。
- 2025年7月9日嫉妬論山本圭読んでる■嫉妬・背恩・シャーデンフロイデ-イマニュエル・カント 「人間愛とは正反対の人間憎悪の悪徳」:嫉妬、背恩、シャーデンフロイデ ➡︎「嫌悪すべき一群」これらはいずれも公然と示されるものではなく、密かなもの、卑劣なものである 『カントは嫉妬を「他人の幸福が自分の幸福を少しも損なうわけではないのに、他人の幸福をみるのに苦痛を伴うという性癖」と定義していた。』 ■教養人の嫉妬-バーナード・マンデヴィル →合理主義や理性主義が優勢であった時代に、人間を理性よりも情念に突き動かされる存在として描き出したことで知られる。 『「真に良識のある人間がなぜほかの者ほどねたまないかという理由は、馬鹿者や愚か者よりもためらわずに自分を、賛美しているからである」。だとすると、自分の価値を確信することのできない人間、いわば自信を持てない人間は、どれだけ成功しても、あるいは相手よりも優位な立場に立ったとしても、たえず嫉妬感情に振り回られ続けるということになるのだろう。』 自分の価値を確信すること。自信を持つこと。それができたら、真の良識者になれるだけでなく嫉妬感情に振り回されずにすむ。賛美。 自分に価値なんてあるのだろうか?最近そんなことばかり考えている。人伝に友人の近況を聞いて、なんで自分もそんな風になれなかったんだろうと考えてしまう。そんなことになんの意味もないのに。分かっているのに分かっていない。 人生一度どこかで失墜してしまったらもう修復なんて不可能で価値なんて消失してしまうものではないのか。なんて分かったようなことばかり考えている。今からでも再起は可能なのでしょうか。
- 2025年7月9日嫉妬論山本圭読んでる■嫉妬と憎しみ-プルタルコス 『憎しみはその対象である人物が悪い人間であることを必要とするが、妬みはただ幸福を目にするだけで生じる。また、憎しみには限度があるが、妬みには限りがない点も重要である。』 ■嫉妬と愛-トマス・アクィナス 『嫉妬が隣人の善についての苦痛であるのに対し、愛は同じ善についての喜びなのである。』 ■嫉妬の効用?-フランシス・ベーコン 「嫉妬はさまよい歩く情念であって、街路をうろついて家にじっとしていない」 「妬みは最も執拗な長つづきする感情である」 妬み、嫉妬は本当に厄介だ。同じものを根源にしても少しの違いで愛が嫉妬へ転じることもあるし、しかも際限がなく執拗に長続きする感情だという。 嫉妬と愛が紙一重ならば、嫉妬から愛に転じることもあるのか…?と考えてみたけれど、ほぼ可能性がないに等しい気がする。 まれに少女漫画とかでひとりの人を取り合うライバルだったけど意気投合して仲良しに!みたいな展開になるものもあるにはあるけれど…。 現実的にあり得るのかな?実際どちらかと言えばきっぱり関わりを断つという結果になりそうな気がする。それか妬み続けるか。
- 2025年7月8日こころにそっとよりそう 星空の話永田美絵読んでる『あなたが夜空を見上げて、美しい風景を心にしまえば、それはあなただけのもの。あなたの心の中の星空は誰にも奪うことができないのです。』 『人は辛いときに、つい下を向きがちです。でもだからこそ、星を見上げてほしいのです。』 『あなたは今、地球という奇跡の星から壮大な地球を見ています。そして奇跡の積み重ねであなたがここにいます。あなたには地球に生きる価値があります。』 最近こころがちょっとしんどいなって思っていたから、なんだか泣けてしまった。 心の中の星空は誰にも奪うことができない。 自分の中にある景色はどんなものだろう?
- 2025年7月7日こころにそっとよりそう 星空の話永田美絵読んでる今日は七夕。よくよく考えたら、織姫彦星の七夕物語ってきちんと読んだことがなかった。 一年に一度会える、という話だけど、この2つの星は約15光年(光の速さで15年かかる距離!?)だそう。宇宙って本当に広大…。 『大きな世界をしることは、心が大きく広がっていくこと。心が大きく広がれば、世界の美しさにたくさん気づくことができるはず。』 『あなたの世界が夜空の星のようにきらめくものになりますように。』 『天文学の世界では、この宇宙の中で見えている世界は全体の約4%と言われています。96%は見えない、まだ何もわかっていない世界なのです。』 自分が生きていく中で知り得ることができる物事はほんのひとかけらでしかない。
- 2025年7月5日「好き」を言語化する技術三宅香帆読んでるいま読んでいる『「書くこと」の哲学』にて、 ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタイン『論理哲学論考』より、 「語りえぬものについては、沈黙せねばならない。」 フーゴ・フォン・ホーフマンスタール 『チャンドス卿の手紙』の文章の引用が出ているけど…何度読み返してみても全然理解ができていない気がする。 ただし、言葉で言い表せないもやもやについての言及なのかなとは思う。確かこの本でも似たようなことを言っていたような…と探したところ、『ネガティブ・ケイパビリティ』がそれに該当しそう。
- 2025年7月4日読んでる『他人のことばを学んだり、他人が書いたことばを読む以前に、まず自分自身が持ち合わせていることばを、さしあたり日本語で書いた/書かれたことばを、ルーペで奇妙な生物を観察するように、天体望遠鏡で遠くの星を拡大するように、見つめ直してみること。』 まずは自分の言葉を見る。 人の言葉に埋もれてしまう前に。 ●膾炙(かいしゃ):《「膾」はなます、「炙」はあぶり肉のこと。いずれも味がよく、多くの人の口に喜ばれることから》世の人々の評判になって知れ渡ること。 「ことば未満」 ➡︎文字通り、まだ「ことば」の形を取っていない感情、感覚、感触、イメージなどのこと。漠然としてはいるが、だがそこには何かがあって、ことばとして出力されるのを待っている、という感じ。 「ことばの芽」 ➡︎少し先に進んでいて、すでに言語の形を取り始めているものの、まだちゃんとしたまとまり(構造)や繋がり(論理=ロジック)を持ってはおらず、単語選び(語彙)や表現(修辞=レトリック)も吟味されていない段階。ひとつのキーワードだったり、数行の未完成の文章だったり、箇条書きされたメモだったりする。 『「ことば未満」と「ことばの芽」を行きつ戻りつしながら、「語りえぬ」と「語りえる」の二者択一に、陥らないように注意しつつ、とにかく語ってみる/書いてみること。』
- 2025年7月3日こころにそっとよりそう 星空の話永田美絵今日は友だちがプラネタリウムを模したお食事処を予約してくれたというのでこちらを読み始めようと思う。 季節毎にページが分かれている為、夏の章からスタートすることにした。 『夏を駆け抜ける星座』 タイトルが素敵! 確かに夏は明るい時間が長いし、夜空に星が見える時間は短めだから、「駆け抜ける」…すごく良い表現だなと思った。 夏の大三角形を子どもたちに何に見えるか聞いてみると、「ピザ」や「チーズ」、「こんにゃく」など様々な答えが返ってくるそう。 わぁぁ、なんて微笑ましい、なんて思いながら読んでいた先の一文。 『決まった星座を覚えるのも良いですが、自分なりに好きな形に星を結んで自分だけの星座を作ってしまうのも良いですよ。あなただったら何座を作りたいですか?』 子どもの時の方が純粋で自由な発想がある。 自分には何に見えるかな…と考えてみたけど、先に挙がっていたものしかもう出てこなかった。 子どもの頃はよくどうぶつの森のゲーム内で、この星とこの星を繋いで◯◯座にしよう!とか沢山思いついたのにな。 夜に夏の大三角形を見つけられたら、また自分には何に見えるか、考えてみようと思う。 子どもの時みたいな発想力がないなと寂しく思いつつも、今の自分には何が思いつくのか少しわくわくもしている。
- 2025年6月30日読んでる『「日本の内側でしか通用しない言語」であるということも、日本語の「特徴」であり「条件」のひとつです。』 当たり前のことだけど、よくよく考えたら日本語は日本でしか使用されないマイナーな言語で、その上昨今は人口減少が叫ばれているのだから絶滅に瀕していると言っても過言ではないのかもしれない。 『ことばの使い方を学ぶこと、書くことを学ぶこと、言語表現を学ぶことの目的は、究極的には、自分が自分だからこそ書けることば、ある意味では自分にしか書けない文章を書けるようになることだと思います。それを個性や魅力と呼んでもいいですが、私は必然性と呼びたい。書かれる必然性のあることば、この世界に生まれ出る必然性を持った、自分のことばを紡ぐこと。』 必然性。すごく強い言葉だ。 自分のことば。紡げるようにしていきたい。 ●必然性:そうなることが確実であって、それ以外ではありえない、ということ。
- 2025年6月29日小説言の葉の庭新海誠読み終わった『“愛”よりも昔、“孤悲”のものがたり』 読み終わってしまった。 映画では語られない周りの人たちの行動原理や心情にも途方もなく共感できてしまう。 だから作中では過ちとされてしまう行為であっても、この人にも救いがあってほしいとそう思う。 人間の綺麗なところも汚いところも全部包み隠さず掬い上げて救いをもたらしてくれる、そんな物語。 雪野先生はずっとまわりと上手くやっていく為に自分を抑えていて、なんとかこれまでやってこれたからそれが正解だと思っていた。けれどもとても理不尽で一方的な悪意に襲われて、今まで培ってきた方法では太刀打ちできずに潰れてしまう。どこにも逃げ道がないのはしんどい。そういう思いをした経験があるからすごく心境に共感してしまう。私には救いなんてものは無かったけれど。雪野先生が孝雄に救われたことで勝手にこちらも救われた気持ちになれる。 まだ自分は先に歩みを進めることができると思うことができる。 しんどい時、今がドン底だと感じる時、もう一歩も動くことができないかもと思った時、私にとってのお守り。 それにしても…あとがきで2013年に映画公開って書いてあって悲鳴をあげそうになった。そんなに前ですか!?当時の心境と現在の心境…少しは前に進めているのだろうか…。初めて読んだ時の感想とかは何も残してないから、今後また読んで記録する際は今の感想と比較してみるのもまた一興かもしれない。
- 2025年6月27日小説言の葉の庭新海誠読んでる孝雄の母、秋月怜美のパート。 「今の若い子って、なんだか妙に他罰的なのよ。自分を差し置いて他人にはやけに厳しいの。自分がどれだけ他人から許されて生きてきたかは省みないで、それなのに道徳とか倫理とか、へんに常識的な振る舞いを人には要求するの。プライドは高いくせに承認欲求に飢えてて、そのくせ他人の価値は認めたがらないの」 そうそうその通りと思いながら読んだ一文。そう思いながらも自分もそういう行動を取っていないか?と行動を顧みてみると人ごとではない気がしている。 『常識』とか『当たり前』とかを無意識に他人に押し付けて、そこから外れた人を排除しようとする。他人の価値を認めること。共存。大事。 『リスクを避けるとか、人生の可能性を残すとまか、そういう考えは気づけば消えていた。そしてあれからずっと、私は旅を続けている。飛行機にも船にも乗らないけれど、市営バスの座席で、病院の待合室で、大学の食堂で、国産のワンボックスの運転席で、誰もいない高架下で、私の旅は続いている。そうやってずいぶん遠くまで、私も来たのだ。』 移動範囲は限られていようとも、人生という旅はずっと続いている。そしてこれから先も生きている限りずっと続いていくもの。自分が歩んできた後ろに道ができると言う。これまでの旅路はどんなものだったか?これからの旅路はどんなものにしたいか?
- 2025年6月27日小説言の葉の庭新海誠読んでる『世界の外側ではなくて、世界の内側に私は入りたかった。きらきらとした世界の一部に私はなりたかった。大人になるにしたがって、それはだんだん上手くいきそうに思えた。私はこのままみんなのようにちゃんと生きていけるかもしれない、そう思えた。でも気づけば、雨ふりみたいに避けられないなにかに、私は巻きこまれてしまっていた。』 大人になったらみんなに交われると思っていた。でも結局一度どこかで失敗したらもうダメなのかもしれない。自分でドン底から抜け出す術を見つけるか、もしくはここから引っ張り上げてくれる誰かを見つけるか。
- 2025年6月25日
- 2025年6月25日こころにそっとよりそう 星空の話永田美絵買った綺麗な装丁に惹かれてつい買ってしまった。あとはカバーのそでの部分にあった一文『大きな世界を知ることは、心が大きく広がっていくこと。』を読んで、そうそう!知らなかったことを知ることで世界が広がるんだよね!と子どもの時のわくわくが蘇った。 季節ごとにお話が分かれているようなので、一年を通してじっくり読みたいと思う。
- 2025年6月25日小説言の葉の庭新海誠読んでる相澤祥子のパート。 この話を小説で読む醍醐味は、それぞれの人物が取った行動原理やバックグラウンドを垣間見ることができるところだと思う。 『わたしはいったいどうしたいのだろう。ぎらぎらと発光しはじめた街の中を、どこに行けばいいのかも分からないままに、わたしはとにかく歩く。いつまでも覚めてくれない悪夢の、でもぜったいどこかにあるはずの出口を探すみたいに。』 世の中の 苦しきものに ありけらし 恋に堪へずて 死ぬべき思へば』 (この世にあって 苦しいもので あるようですね 恋に苦しみ 死ぬ思いをしているので) 好きと嫌いは紙一重。一方的な好きの感情が強すぎると憎悪に転じてしまうのかもしれない。私はこんなにも苦しんでいるのだからあなたも苦しみなさい、みたいな? こんなはずじゃなかった、私は何もしていない、まわりの人間が勝手にやったことだ。相澤祥子はそう言うのだろう。人を再起不能になるまで追い詰めておいてもなお。結局自分が一番可愛いのだから。でも、責任からは逃れられない。人を苦しみの底に突き落とした罪は一生つきまとう。いつか雪野先生のことを思い出したときにきっと自責の念に駆られる未来が見えるような気がした。
- 2025年6月25日小説君の名は。新海誠また読みたいいま読んでる『言の葉の庭』にサヤちんとテッシーが出てきたからまた読み返したくなった。新海監督作品はこうやって他作品の人物が登場するから一つ読み始めるとまた別の作品も読み返したくなる…策士だ!
- 2025年6月25日小説言の葉の庭新海誠読んでる『人の手で放った火であっても、炎はある時点からそれ自体の勢いで燃え広がるようになる。悪意もそれと同じだ。もはや最初の悪意が誰のものだったかさえ、最後には分からなくなる。梁の最後の一本が燃え落ちるまでそれは燃え続ける。』 事の発端は当事者にしか分からない。部外者はいつだって無責任なくせにまわりに同調して加勢して対象者を苦しめる。加害者に目をつけられた被害者の方がいけないのか?被害者が潰れたらそれで満足? 海外ではいじめはいじめをする加害者の方が心の病だと見做されカウンセリングを受けると聞く。この国では逆だ。やられた方が病気扱いでやった方は勝ち組で悠々自適にのうのうと生きていく。 燃え落ちた後には灰しか残らない。その灰からまた形を作るのは至極困難だというのに、人は無責任に頑張れだとか立ち上がれだとか言う。耐えて耐えて耐えて、それでもやっぱりダメで潰れてしまった状況にいてもなお、頑張れと言うのか。人間ってつくづく残酷だなと思う。潰れるまで傷つけ続けたのはそちらの方なのに。
- 2025年6月24日小説言の葉の庭新海誠読んでる『私は今、なにを失いつつあって、なにを得ようとしているのだろう。あるいは得るものなんかなに一つなく、誰かのことを損ない、自分もなおさらに失っていく過程なのだろうか。』 『まだなにも始まっておらず、しかし無ではなく、同時になにも終わっていない時間。純粋に善なる可能性だけがある、二度と訪れることのない美しく完璧な時間。もし神さまが人生でもう一度だけ繰り返してもいい、そんな日を与えてくれるとしたら、私はきっとあの光の庭を選ぶ。』 『晴れの日のここは、知らない場所みたい。たっぷりの寂しさを含んだ気持ちで、そう思う。』 雨の日と晴れの日では同じはずの庭園でも、表情がまるっきりガラッと変わる。 雨の日にしかお互いに会えない。 約束した訳ではないけれど、雨が降った日にこの庭園に来れば示し合わせたように会うことができる。 逆に言えば、この場所に来なければお互いに会う方法がない。 人と人との縁は簡単に切れてしまう繊細なもの。大切に大切にしなければと思った。 『だめだ。たまらなく誰かに会いたいのに、誰に会えばいいのかが分からない。誰が私と会いたいと思ってくれるのかが分からない。私には会いたい時に理由なく会える人が-友達と呼べるような人が、もしかしたら、誰もいない。社会人なんて案外こんな感じなのかもしれない、そう思おうとするけれど、それでもやっぱり絶望的な気持ちになる。』
- 2025年6月22日会社と私生活ーオンとオフー(4)金沢真之介読み終わった紫陽花背景の絵柄のイラストカードが欲しくてTSUTAYAにて購入。 いつもクールな阪久さんが嬉しさを隠しきれなくて赤面している場面がとっても良かった。あと印象に残っているのは、向日葵の鏡が阪久さんを映しているところ…何かの伏線?心情を反映させているとか?向日葵の花言葉…『あなただけを見つめる』だったような…。でも調べてみたら『憧れ』という意味もあるそう。果たしてどちらなんだろうか…。関係性がどうなっていくのか、今後の展開が楽しみ。 単行本ならではの描き下ろしも。保さんと阪久さんの大学時代のエピソードや「好き」という感情とはなんぞや?ということ、甘田さんの阪久さん帰省同行への葛藤などが垣間見えて、Xだけでは読めない話が盛りだくさんですごく良かった。そして阪久さん…かっこいい!こんな風に自分を貫く人間になれたらどんなにいいだろう…!
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