ガラスの海を渡る舟

22件の記録
- ran@ranraranruran2025年7月12日読み終わった現代の「障がい者」、「定型発達者」の分類の仕方について今一度考えさせられる。道と羽衣子のガラス作品に対してそれぞれの好みがあるように、人それぞれその場によって得意不得意があって当たり前、ただ今の世の中に合わせるのに苦手なことが多いだけだ。
- Pipi@Pipi08082025年6月14日読み終わった発達障害の特性を持つ道と何でもそつなくこなす羽衣子。祖父のガラス工房を継いだ二人はぶつかり合いながらも互いを認め合う。彼らの師匠・繁實さんの言葉「障害があるからかならず才能もあるはず、みたいな考えかた、俺は嫌いや。」は金言。要再読の名作🐥🐥
- 小麦色のマーメイド@1982-seiko2025年6月8日「障害があるからかならず才能もあるはず、みたいな考え方、俺は嫌いや。それこそが差別と違うんか。あなたは他人と違った人間だけど、特別ななにかをもっていますね、ならこの世に存在していいですよ、認めてあげますよって言うてるみたいで、ぞっとするなあ」 これは刺さった。 けど、当事者はそう思いたいかも知れない。特別な何かがほしいって。人は誰も自分こそ特別でありたい、と願うものだろう。障害があろうが、なかろうが。
- ちょこれーと*@5_ogd2025年5月30日読み終わった同じ出来事に遭遇したとしても、感じ方や受けとめ方は人それぞれ違う。同じ言葉ひとつとってもきっとそう。『共感』とか『共鳴』って言うのかな、パズルのピースがはまるように感性が合う人に出会うこともきっとあるのだと思う。 『晴れたら「天気がいい」、雨が降れば「天気が悪い」』。 人が良し悪しを勝手に付けて、そう感じているだけで実際のところ天気に良いも悪いもない。ただ晴れている、雨が降っているという事実があるだけだ。 羽衣子は感受性が豊かだ。 お客さんの話を聞いて泣いてしまうほどに。 とても素直でいい子だと思う。 ひたむきで実直で努力家。 昔誰かが言っていた。「努力し続けられることも才能のひとつ」だと。 私には到底できない。 身近に決して越えられない壁があると感じながらも挑戦し続けるなんて。 子どものまま成長してしまった大人。 最近はいろいろな診断が流行っていて、なんでもかんでもタイプに分けようとする傾向があると感じる。私も診断は好きでよくやってみる。だけど、だいたいこっちかこっちのタイプかな、というようなどこにも当てはまるような当てはまらないような、というどこにも所属できない微妙な結果になることが多い。 『タイプ』や『枠』にこだわる。『所属』していること、名前を付けられることに安心感を覚える。そこから外れることはとてもこわいことで、知らないことはこわいこと。 だからどこのタイプに所属しているか、という枠に当てはめることで、この人はこういう人なんだなと理解することができるのかもしれない。じゃあ、その枠からあぶれてしまった場合はどうなるのだろう? 人から与えられた役割を演じる。あなたはこういう人ですよ、という解釈。日常に生きていく中でどんどん削がれて剥がれて埋もれていく、本来唯一無二であるはずの『自分』という存在。同じような人はいるかもしれない。だけど、自分の道を歩けるのは自分しかいないし、自分の道を切り開くことができるのもまた自分しかいない。その事実をありありと思い出させてくれる。 自分を見失いそうになった時、進む道に迷って立ち止まってしまった時、道標になってくれるお守りのような作品だなと思った。
- ちょこれーと*@5_ogd2025年5月30日読んでる『たぶんみんな生きてるあいだはこれでじゅうぶん、なんてないんちゃう?』 『わたしたちは広い海に浮かぶちっぽけな一艘の舟のように頼りない。それでもまずは漕ぎ出さねば、海を渡りきることはできない。』 大海原をただぼんやり眺めているだけでは何も始まらない。 『Let’s try anyway!(とにかくやってみよう!)』自分がずっと座右の銘に「したかった」言葉。今こそ進む時なんじゃないか。 まずは少しでも漕ぎ出してみよう。 『自分の人生から大切な誰かが欠けるたび、人の心はかたちを変える。ガラスの器の縁が欠けるように。不完全な形状の心を抱えて、ぼくたちは生きていくしかない。』 失ったものはもう元には戻らない。その状態のまま進んでいくことしかできない。
- ちょこれーと*@5_ogd2025年5月30日読んでる『他人の感情って、天候なんかと同じやなって。ぼくがコントロールできるものではない、という意味では。雨が降ったら傘さすみたいに対処すればええんやと思うようになった。』 『空の色はいつも同じではない。夏の空と冬の空が違うのはもちろん、毎日微妙に色を変える。空だけではない。木や花や雨や、すべての美しいものの色を、かたちを、この目で観て覚えたい。』 心が洗われるような言葉。 綺麗な言葉の集積を拾い集められる物語。
- ちょこれーと*@5_ogd2025年5月29日読んでる『羽衣子にとっての『特別』とか『ふつう』は、ただひとりの特別な人間と、同じようなその他大勢の人ってことなんかもしれん。けどぼくにとってはひとりひとりが違う状態が『ふつう』なんや。羽衣子はこの世にひとりしかおらんのやから、どこにでもおるわけがない』 日々日常の中で喧騒に埋もれてだんだんと薄れていってしまう『自分』という存在。 たくさんの情報や人の意見に簡単に触れられる社会になり、『自分』というものが埋もれていく感覚。きっと現代に生きる人なら誰もが一度は感じたことがあるのではと思う。 そんな世の中だけど、『自分』は誰かになることはできなくて唯一無二の存在。 当たり前だけど忘れてしまいがちなことを思い出させてくれる言葉だと思った。 『記憶にはかたちがないから、壊れることもない。でも、薄れる。遠ざかる。だからとどめておくために物に託す。それを目にしたら、いつでも思い出せるように。』 とても素敵な言葉だと思った。 普段は記憶の底に沈んでいるような出来事もその物が記憶の扉を開く鍵の役割をしている、そんなイメージが湧いた。 物に託す。記憶は薄れてしまっても、物なら残しておける。
- ちょこれーと*@5_ogd2025年5月27日読んでる『普通』ってなんだろう?という疑問が浮かんだ。このお話に出てくる羽衣子はおそらく俗に言う『普通』の子。おそらく考え方とか生き方とかも世間一般で言う『普通』。『普通』はこういう考え方をするし、こう思うのが当たり前、という感覚。 具体的にイメージしている色やデザインがあれば教えてほしいと道が希望を聞いたところ、 「そういうことやなくて、ただ『違う』ってことだけがわかるんです。」という答えの山添さん。 その話を聞いたまことくんは「厄介だね。」と言い、羽衣子は「おとなしそうな顔をしてけっこう難しい人のようだ。」と考える。なんだか私からするとキツいなと思ってしまった。 なんか、面倒くさいなって思っている感じがするというか、突き放すような、歩み寄る気がないというか…。 なんだろう、このなんとも言えないムズムズする感じ。身近に羽衣子とまことくんがいたらたぶんあまり関わらないようにするだろうなって思う。 こう考えてしまう自分はたぶん『普通』の側ではないんだろうな。
- ちょこれーと*@5_ogd2025年5月14日買った装丁に惹かれて手に取ったところ、寺地はるなさんの新刊だ!となり購入。 寺地はるなさんの、ゆっくりじわーっと沁み込んでくるような文体が読んでいてとても心地よい。好き。