
読書猫
@YYG_3
2025年5月30日

ワーカーズ・ダイジェスト (集英社文庫)
津村記久子
読み終わった
(本文抜粋)
“後ろ暗いことはない。何も悪いことはしていない。白状することは何もない。それでどうしてこんなに立っているのがやっとなんだ。“
”重信は改めて、人間と同じぐらいの寿命を持つ物について考える。自分自身が、iPodや冷蔵庫や自動車よりも長持ちしていることに純粋に驚く。“
”料理中にもやたら水を注ぎ足してくれる、動作の素早い店主によって出された「スパカツ」は、はたしてひどくうまかった。特に新鮮さや驚きはないのだが、これまでに洋食に対して積み上げられた既視感が熟成された、なんとも言えない多面体の「知ってる」が凝縮されたような味だった。ドミグラスソースに、ウスターソースを少し混ぜていることはすぐにわかるのだが、もうあと一つは死ぬまで考えてもわからないだろう、と重信は一口目で悟った。“
“どうして自分は一人で何とかなってしまえるのだろう。佐藤浩市みたいな上司にもっともらしい言葉をかけられるようなこともなく。“
(「ワーカーズ・ダイジェスト」抜粋)
”後輩の作業を手伝ってやりながら、オノウエさんはいないのだ、ということをふと思い出して手が止まった。サカマキの中で、その不在は膨れ上がり、やがて体全体を覆うように広がった。サカマキはその靄を払うこともなく仕事を続けた。
「おれクソみたいな間違いしちゃって、でも向こうもクソで、でもおれも、ああなんだろうこれ」
「べつにいいだろうなんでも。落ち着けよ」
シャープペンシルを握りしめながら自分自身をののしる後輩に、サカマキは頭を上げないまま声をかけた。
何かが自分に伝播したような気がした。それは、一概に喜ばしいとは言えない面倒くささや責務をまとっていたが、おれは望んで引き受けようとしているのだ、とサカマキは静かに悟った。“
(「オノウエさんの不在」より)


