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@YYG_3
にんげんのことばやくらしをまなぶために本をよんで、すきな所をきろくしています。 さいきん、肉球でページをめくるのがうまくなってきました。 2025/3/7-
  • 2025年5月20日
    サキの忘れ物
    サキの忘れ物
    (本文抜粋) “いつも谷中さんと菊田さん親子と道が分かれる交差点を過ぎた直後に、千春はどして本を持ち帰ったのかを思い出した。まだ自分が悠太の浮気相手だと知らなかった頃、結婚して子供を産んだら、女の子なら「サキ」という名前にしたいと思っていたのだ。漢字はよく知らないからどんなのでもいい。音が大事だった。他にもいくつか候補があったけれど、「サキ」はそのリストの上の方の名前だった。 でも本を書いたのは男の人だというのが不思議だった。どうせ本は読まないけど、家に帰ったらその男の人の写真をゆっくり眺めようと思った。それでどうするということはない。自分のやることのすべてに意味なんてないのだ、とちはるは高校をやめる少し前からずっと思うようになっていた。だからきっと、何をやっても誰もまともに取り合うはずがないのだ。この本の持ち主の人もきっと。本を持って帰ったと打ち明けたところで、そうなの、とただ言って受け取るだけだろう。千春自身にも特に意図はないのだし。 まともに取り合うって、私がまともに取り合ってもらったことなんて今まで一度でもあったのかな。“(表題短編「サキの忘れ物」より) ”後ろの娘さんと話をするようになってから、お金の話ばかりしてるなと思い始めた。娘さんは、この行列に発生するお金の行き来にものすごく聡いけれども、同時に消費も厭わないようだ。娘さんが「〜が得」とか「〜すると利益が出る」という話はするけれども、「〜が好きで」購入するという話をしないことも特徴的だと思った。“(「行列」より) ”私はその時、彼には大量の情報も記録もいらないのだ、ということを何となく悟った。ガゼルと過ごす、さして多くもない時間こそが、彼には大事なものなのだ。私はそれを邪魔しないようにその場を離れた。彼はやはりガゼルを見つめていた。時間を止めてやれないものか、と私は本当に一瞬だけ、そんなくだらないことを考えた。“(「河川敷のガゼル」より) ”よく覚えているのは、ある日ミニオンの大きなぬいぐるみが、ソファと座卓の間の床にうつ伏せに倒れていた光景だった。べつにそれだけなら、そういう日もあるだろうで済むのだが、仕事が忙しくて一週間以上のぞかないでいた後にまたのぞきに行くと、同じように、ミニオンがうつ伏せに倒れていたということがあった。寸分違わず、と言うと言い過ぎかもしれないけれども、ミニオンは一週間前に見た時とほぼ同じ場所に倒れていたと思う。大丈夫か、と私は思った。それはミニオンに対してもだし、うつ伏せのミニオンを放置している住人に対してもだった。“ ”同い年ぐらいの人、としか言いようがなかった。私より年上にも、年下にも見えなかった。それで自分と同じぐらい疲れているように見えた。私は、ミニオンが倒れたままの部屋のことが頭をよぎるのを感じて、いたたまれなくなった。この人が「内」さんなんじゃないだろうか、と直感した。“ “「つまんなくなんてないですよ。社内は本当に息苦しいから、誰か違う人がそこで生活をしてるんだってだけでよかった。どんな人が住んでるんだろうってずっと考えてたけど、わからなかったです」 「私なんですね、これが」 内さんはふざけたようにそう言って、マグカップをベンチに置いた。失礼ですが、と年齢を訊くと、私より三つ年上だった。私は、もしかしたら答えてくれるのではないかと思って、ミニオンがうつぶせに倒れていた件についてたずねてみた。ずっとうつぶせだったのかと。 「あれね。たぶん当時付き合ってた人と別れたばっかりだったんだけど、その人にもらったものだから、もう持ち上げることすらできなくてね」 あんな軽いものなのに、腕が拒否する感じ、わかりますか? と訊かれて、私はうなずいた。おそらく四週間はあのまま倒れていたと聞いて、思ったより期間が長くて驚いた。“ (「隣のビル」より)
  • 2025年5月16日
    人間臨終図巻(1)新装版
    (本文抜粋) "北村透谷 二十六歳没 妻の美耶子からの知らせで、友人の島崎春樹(藤村)と戸川明三(秋骨)が駆けつけると、透谷の屍骸は、彼らのよく知っている小さな家の暗い部屋に横たえられ、三つになる女の子がそばで遊んでいて、「お父さん、ねんね」といった。" "尾崎紅葉 三十六歳没 それから彼は医者に、モルヒネを大量に注射して殺してくれといい、医者がことわると、 「どうせ命がないものが、悶え苦しんで二時間や三時間生きながらえて何になるものか。そんなことをいうのは、死んだことがないからだ。嘘だと思うなら死んでみろ」 と、昂奮して無茶なことをいった。" "パスカル 三十九歳没 かつて『パンセ』で、 「人間は、死と無知について不可抗なので、幸福になるために、それらについては考えないことにした」 「それまでの場面がどんなに美しくても、最後の幕は血にまみれている。最後に、頭上からばらばらと土をかけられて、それで永遠におさらばとなる」 と書いたパスカルだが──。それでも「聖体拝受」のために主任司祭がやって来たとき、彼はさけんだ。 「願わくは、神、永遠にわれを見捨て給わざらんことを!」" "太宰治 三十九歳没 美知子夫人宛の遺書には、 「……永居するだけ、皆をくるしめ、こちらもくるしく、かんにんして被下度(くだされたし)。子供は凡人にてもお叱りなさるまじく。(中略)あなたを、きらいになったから、死ぬのでは無いのです。小説を書くのが、いやになったからです。みんな、いやしい、欲張りばかり。井伏さんは悪人です」 とあった。" "カフカ 四十一歳没 死後、彼の机のひきだしから、唯一の親友ブロートにあてた紙片が発見された。それには、 「僕の最期の願いだ。僕の遺稿の全部、日記、原稿、手紙のたぐいは、一つ残らず、中味を読まずに焼却してくれたまえ」「僕の書いたものの中で、まず一応認めてもいいのは、すでに書物になった『死刑宣告』『火夫』『変身』『流刑地にて』『村医者』『断食行者』だけである。それだけを一応認めるというのは、それが新しく重版され、明日の人々に読まれたいと願うのでは決してない。そんなものがすっかり無くなってしまえばいちばんありがたいのだ。ただ、とにかく一度出版されたものだから、それを持っていたいという人々が所持しているのまで、禁止しようとはしないだけのことだ」 と、書いてあった。" "チェホフ 四十四歳没 トルストイは、彼の信念たる魂の不死を説いた。黙って聞いていたチェホフは、やがてポツリといった。 「そういう不死でしたら、私には不要です」 哀愁と人間愛にみちた数々の名作を書いた温雅なチェホフは、神を信じていなかった。"
  • 2025年5月15日
    女子をこじらせて
    (本文抜粋) ”つまずいたら、素直に笑って「つまずいちゃいました」と言えばいいんです。たったそれだけのことが平気になるまで、ずいぶん長い時間がかかりました。“ ”恋愛をするということは、汚い自分を引き受けることです。まったく汚いところのない恋愛なんて、ない。どこかに必ず汚い自分の影が現れる。“ ”恥ずかしいとか、自分ごときがずうずうしいとか、それが何なんだと思いました。そんなことを言っていたらずっとこのままだし、このまま死んでしまう。グチと不満で埋め尽くされた人生を、ひんまがった顔で終えるしかない。自分は、まだ何も人生というものを生きていない。自分の思った通りに行動してちゃんと恥をかくこともせず、もしかしたら自分でもまだ知らない才能がどこかに眠っていて誰かがそれを見つけてくれるかもしれないなんて都合のいい夢みたいなことばかり考え、自分の生身の姿をどこかに置いて、まっすぐ力を試すことすらしていない。自分はまだ一度も世界に直接触れてはいないんだ、と思いました。“ ”こういうことをしたらこう思われる、こういうことをしたら誤解される、こういうことを書いたらイタイ人と思われる、そうやって自分をがんじがらめにしていた「自分の中にある他者の視線」を、やっと振り切れた気持ちになりました。他者の視線はもういい。客観視するのはもういい。もうさんざんやったじゃないか。さんざんやって、上手くいったことがあったか? 結局、客観視している自分の意見と、内側から出てくる「これをやりたい」という欲望のバランスが取れなくて、いたずらに苦しんだだけじゃなかったか。あふれ出るような快感や楽しみを不必要に我慢しただけじゃなかったか。自分で自分をコントロールして上手くやれると思っていたこと自体が思い上がりで、ぜんぜん上手くできていなかったじゃないか。自分は、そんなに取り返しのつかないひどいことをしたか? 仮に本当にそれがひどい失敗だったとして、失敗したからとさらに縮こまって、誰からも非難されないような文章を目指して、自分の文章の「非難されそうな箇所」を執拗に添削し続けるのか? 欠点を直そうと思うのは向上心かもしれませんが、自分が自分である根本を欠点として否定し、それを直そうとしたり隠そうとしたりするのは、ただ歪みを生むだけでなく、長所までも削り取ってしまうものだと思います。添削して欠点を取り除いた文章に、私の長所は果たしてあるのだろうか。そして、そんなことをすることに、喜びはあるのだろうか。 30歳を過ぎて、もう若手とも言えないような年齢になってそんな方向に進むのは間違っている、とはっきり思いました。言いたいことを言っている人に嫉妬しながら、自分は欠点を見せないようにせこせこ添削して書くなんて、やりたくない。 それは久しぶりに感じた「誰がどう思うかじゃなく、自分が本当にしたいこと」の気配でした。「本当にしたいこと」「やりたいことをやる」なんて、すごい才能のある人にしか許されていないことのように思っていましたが、べつに自分がやったっていいわけです。何か選択肢が目の前に現れたら、自分が楽しそうだと思うほうを取ろう、選択肢がなかったら自分がいいと思う方向に進もう。そう思って、今までそう思えなかった自分は異常だったと気づきました。“
  • 2025年5月14日
    カルテット2
    カルテット2
    (本文抜粋) “「いいんです。わたしには片思いでちょうど。行った旅行も思い出になりますけど、行かなかった旅行も思い出になるじゃないですか」“ ”「良くありません。仕事やバイトが優先になって、シフトあるからって、本来やりたかったことが出来なくなった人、僕はたくさん見てきました」 「でもこのままだと、将来本当にキリギリスなっちゃって」 「飢え死にしちゃって」 「僕らもそろそろ社会人として、ちゃんとしないと、ね」 「(頷き)ちゃんと……」 「ちゃんとした結果が僕です」 「(え? と)」 「ちゃんと練習しようよ。ちゃんと楽譜見ようよ。こどもヴァイオリン教室の頃から僕、周りの子たちに言ってたんです。その頃ちゃんとしてなかった子たちは、今みんな世界中で活躍してます。ちゃんとしようばかり言ってた僕は今……」 「でも……」 「飢え死に上等、孤独死上等じゃないですか」 「(え、と)」 「僕たちの名前はカルテットドーナツホールですよ。穴がなかったらドーナツじゃありません。僕はみんなのちゃんとしてないところが好きなんです。たとえ世界中から責められても、僕は全力でみんなのことを甘やかします」“ “「二種類ね、いるんだよね(と、司に顔を寄せて)」 「(諭高の顔が近いので引いて)はい」 「人生やり直しスイッチがあったら押す人間と押さない人間。僕はね、もう押しません」 「(司に顔を寄せ)何で押さないと思う?」 「(諭高の顔が近いので引いて)さあ」 「みんなと出会えたから。ね、ね」“ ”「はじめまして。わたしは去年の冬、カルテットドーナツホールの演奏を聴いた者です。率直に申し上げ、ひどいステージだと思いました」 「バランスが取れていない。ボウイングが合っていない。選曲に一貫性がない。というよりひと言で言って、みなさんには奏者としての才能がないと思いました」 「世の中に優れた音楽が生まれる過程で出来た、余計なもの。みなさんの音楽は、煙突から出た煙のようなものです」 「価値もない。意味もない。必要ない。記憶にも残らない。わたしは不思議に思いました」 「この人たち、煙のくせに、何のためにやってるんだろう。早く辞めてしまえばいいのに」 「わたしは五年前に奏者を辞めました。自分が煙であることにいち早く気付いたからです」 「自分のしてることの愚かさに気付き、すっぱりと辞めました。正しい選択でした」 「本日またお店を尋ねたのは、みなさんに直接お聞きしたかったからです。どうして辞めないんですか」 「煙の分際で、続けることに一体何の意味があるんだろう。この疑問は、この一年間ずっとわたしの頭から離れません」 「教えてください。価値はあると思いますか。意味はあると思いますか。将来があると思いますか。何故続けるんですか。何故辞めないんですか」 「何故? 教えてください。お願いします」“ ”「これ、これ何だろ」 「パセリ」 「そう、パセリ」 「パセリがどうしました?」 「あるよね、パセリ」 「あんまり好きじゃないんで」 「唐揚げ食べたいから」 「違う違う」 「諭高さん、パセリぐらいで」 「パセリぐらいってことは」 「え?」 「家森さんが今言ってるのは好き嫌いのことじゃないと思うんです」 「(そう、と頷く)」 「家森さんが言ってるのは、パセリ見ましたか、と」 「(え?)」 「(そう、と頷く)」 「パセリ、確認」 「しましたか?」 「(え?)」 「パセリがある時と無い時」 諭高、唐揚げの横にパセリを置いたり外したりして。 「ある、ない、ある、ない、ある、ない。どう? 無いと淋しいでしょ? 殺風景でしょ? この子たち、言ってるよね、ここにいるよーって」 「どうすれば良かったんですか?」 「心で言うの(と、真紀を見る)」 「サンキューパセリ」 「サンキューパセリ。食べても食べなくてもいいの、そこにパセリがあることを忘れちゃわないで」 真紀と諭高が見張っている中、すずめと司、大皿から唐揚げを取ろうとして。 「(パセリに気付いて)あ」 「(パセリに気付いて)あ」 「パセリ、ありますね」 「パセリ、綺麗ですね」 「サンキューパセリ」 「そう」“
  • 2025年5月13日
    カルテット1
    カルテット1
    (本文抜粋) "「わたしたち、蟻とキリギリスのキリギリスじゃないですか。音楽で食べていきたいって言うけど、もう答え出てると思うんですよね。わたしたち、好きなことで生きていける人にはなれなかったんです。仕事にできなかった人は決めなきゃいけないと思うんです。趣味にするのか、それでもまだ夢にするのか。趣味に出来た蟻は幸せだけど、夢にしちゃったキリギリスは泥沼で。冬の間もご飯食べないといけないから、ベンジャミンさんは夢の沼に沈んだキリギリスだったから、嘘つくしかなかった。そしたらこっちだって、奪い取るしか無かったんじゃないですか?」" "「何でボーダー着るのかな」 「ボーダー着ちゃ駄目なんですか?」 「絶対かぶるに決まってるじゃない。着る時、他にも誰か着てる人いるかもなあって普通考えません?」 「じゃ、ボーダーはいつ着ればいいんですか?」 「昨日ボーダー着てた人と会う時じゃないですか?」 「ちょっと条件厳しすぎません?」" "「物置ではじめてチェロを見つけて、触ってたらおじいさんが来て、教えてくれました。その楽器は、一七〇〇年代にヴェネツィアというところで生まれたんだよ。楽器はね、人の命よりも長いんだよ。君よりも年上、わたしよりも年上なんだ、って。わたし、びっくりしました。こんなおじいさんより年上で、遠い知らない国から来て、今わたしのところにいるんだ。おじいさんがわたしの手に、手を添えて、チェロの持ち方を教えてくれました。チェロはわたしの腕には大きくて、なんでか懐かしくて、守られてる気がしました。そうか、あなたはわたしより長く生きるんだ。じゃあ、そうだね、ずっと一生、一緒にいてねって、約束しました」" "「ごみを出さない人間はごみから見てもごみです。明日こそ出してください!」" "「二十代の夢は男を輝かせるけど、三十代の夢はくすますだけや」" "「注文に応えるのは一流の仕事、ベストを尽くすのは二流の仕事、我々のような三流は、明るく楽しく仕事すればいいの(と、笑う)」 「志のある三流は四流だからね(と、やれやれと)」" "「みんな嘘つきでしょ? この世で一番の内緒話って、正義は大抵負けるってことでしょ。夢は大抵叶わない、努力は大抵報われないし、愛は大抵消えるってことでしょ。そういう耳障りのいいこと口にしてる人って、現実から目逸らしてるだけじゃ無いですか。だって夫婦で恋愛感情あるわけないじゃないですか。そこ白黒はっきりさせちゃ駄目ですよ。したらオセロみたいに裏返るもん。大好き大好き大好き大好き大好き大好き殺したい、って。え、違います? 夫婦に恋愛持ち込むから、夫婦間の殺人事件って起きるんじゃ……」"
  • 2025年5月9日
    いつかこの恋を思い出してきっと泣いてしまう 2
    (本文抜粋) "「どうして、何の用ですかなんて聞くの?」 「(え、と)」 「(思いと裏腹に微笑いながら)何の用ですかなんて。用なんかあるわけないじゃないですか。用があって来てるわけないじゃないですか。用があるぐらいじゃ来ないよ。用がないから来たんだよ。顔が、見たかっただけですよ」" "「じいちゃんは駅の便所で死にました。くっさいくっさい駅の便所の床に倒れて、ひとりで死にました。そこに俺はいなかった。何の言葉も、何の遺言もないまま、憎んで、恨んで、ひとりで冷たくなりました。(薄く微笑みながら)何にもご存知ないなら、勝手なこと言わないでください」" "「この部屋はね、わたしが東京出てきて、自分で手に入れた部屋なの。狭いし、隙間風吹くし、床ぎしぎし鳴るけど、わたしの居場所なの。たいしたものないけど、どれも自分のもので、自分で自由に出来るものなの。それってわたしにとって、すごく大事なことなの」" "「この間福引きやってたんですけど」 「商店街の」 「(回す仕草をし)一等当たったんですよ」 「え、すごい。何当たったんですか」 「なんか、テレビのゲームです」 「(見回す)」 「テレビ持ってないから二等に替えて貰おうとしたんです」 「二等は」 「テレビ台だったんです」 「(見回す)」 「入らないし、三等にして貰ったんです。あれ」 窓辺にかけてある物干しハンガーを示す。 「あー、いいですね」 「それをね、職場の人に言ったら、何でテレビゲーム貰って、売らなかったのって」 「あーそうかそうか」 「売れば何万円かになるのにって」 「でもこの物干しいいじゃないですか」 「そうですか」 「いいですよ」 「良かった(と、微笑む)」 「(微笑む)」 「わたしが間違ってるのかなって思ってたから」 「(うん?と)」 「こんな風に思うの、わたしだけなのかな。こんなふうに思っちゃうの普通じゃないのかなって。思ってたから、同じ風に思う人いて、良かったです」" "「わたしはさ、東京生まれで、元々田舎もないし、よくわかんないんだけどさ、ふるさとっていうのは思い出のことなんじゃない?」" "「ずっと言えなかったんだけど、親父から見合いしろって言われてるんだよね」 「……」 「相手は省庁の偉い人のお嬢さんでさ。断ってたんだけど、会社的にそうも行かなくなってきてさ」 「(真意を測るように、じっと朝陽を見ていて)……」 「この間と話が違うって思うかもしれないけど、結婚ってなると、立場的にひとりじゃ決められないんだ」 「(じっと朝陽を見ていて)……」 「距離を置くっていうか……別れようか」 「(同時に)ごめんなさい」 「え」 「わたしが、そんな嘘つかせてる」 「……嘘じゃないよ」 「嘘だよ」 「嘘じゃない。僕はもう君のこと好きじゃない」 「(朝陽の思いを理解しており、辛く)……」 「もう好きじゃないんだよ」 「わたしはもう決めて……」 「(遮って)決めることじゃないよ。恋愛って決めることじゃない、いつの間にかはじまってるものでしょ。(苦笑し)決めさせた僕が言うことじゃないけど」 「……」 「君が寝てる間に、お母さんの手紙を読んだ」 「(あ、と)」 「僕は、一番の人じゃなくていい。二番目でいいって言ったけど、間違ってた。それは君のお母さんを裏切ることになる。それに、一番や二番なんてない。大切に思う人に順番なんて付けられないんだから」 「(それはその通りで)……」 「ごめんね、悩ませて。君に甘えて、逃げ道を塞いでた」 「(涙が浮かんで)」 「僕を選んだら駄目だ。僕はもう君のこと好きじゃない」" "「前みたいに分けましょうね」 「(ぼそっと関西弁で)トマトのや」 「え?」 「前頼んだんは、トマトソースと大根おろしの」 「あ……(と、呼び出しボタンを手にする)」 「ええよ(と、薄く苦笑)」 「そうだ。トマトの、美味しかったですよね」 「(標準語に戻り)おぼえてないから」 「あの時、杉原さん……(思い出し、笑って)」 「杉原さん、東京の家具屋さんは広いから迷うって本当ですかって」 「言ってません」 「言いましたよ。行きました? 東京で、家具屋さん」 「まあ」 「迷いました?」 「家具屋さんでは迷って無いです」 「どこで迷ったんですか?」 「六本木ヒルズ?」 「(笑って)」 「何で笑うんですか」 「杉原さん、六本木ヒルズ行くんですか?」 「東京に六年住んでましたから、そりゃ何回かは」 「あそこ、(首を伸ばして見上げ)こう。なりますよね」 「(首を伸ばして見上げ)まあ、なりますね」 「会社の先輩に言われました。ビル見上げるな。見上げたら田舎者だってバレるぞって」 「それ言ったら、お腹空いた犬はみんな見上げてますよ」 「(笑って)お腹空いた犬? 確かにお腹空いた犬は、確かに見上げてますよけど……(と、首を傾げる)」 「(下を向いて、少し微笑って)サスケだって」 「サスケもお腹空いたら見上げますね」 「サスケは東京生まれ、東京育ちですよ」 「(笑って)」 「(笑って)サスケ、元気にしてますか」 「昨日、風呂に入れたら、脱走しました」 「顔がね、濡れるの嫌なんだよね」 「最近ちょっと杉原さんに似てきましたよ」 「(関西弁で)違うよ、曽田さんに似てきたんや」 「(顔を真似してみる)」 「(笑って)それは、ただ、変な顔した曽田さん」 「(笑って)」 「(微笑みながら)全然面白ないし……」 「(そんな音を見つめながら)……今度は、サスケ連れてきますね」 「え?」 「サスケも杉原さんに会いたいと思うし」 「それは(会いたいけど)、遠いし」 「新幹線だって出来たし、(ケージを示し)これに入れて」 「(外の方を見て)入るかな」 「連れてきますね。サスケと一緒に来ますね」 「(外を見ていて)……」 「杉原さんが迷惑でも、僕は……」 「(外を見たまま)迷惑ちゃうよ」 「……」 「(外を見ながら)嬉しいよ」 「……」 「(下を向き)嬉しいに決まってるやん。今かて、めっちゃ嬉しいよ。来てくれて……(と、首を傾げる)」 「……」 「(厨房の方を見て)ハンバーグけえへんなあ」 「(厨房の方を見て)はい」 「……(練に)杏奈」 「はい」 「ほんまはな、おばさんな、帰ってこんでもええよ、東京におりって、言うてくれてんねん」 「はい」 「でもそんなん無理やねん。おばさんひとりで暮らすんは」 「はい」 「あとな、井吹さんもな」 「(頷く)」 「優しい人やから……優しい人やったから(と、言葉に詰まる)」 「(頷く)」 「(言葉に出来ず)……うん」 「はい」 「東京には帰らへん」 「はい」 「ここで暮らす」 「はい」 「引越し屋さん」 「はい」 「好きやで」 「……」 「好きなんやわ」 「……」 「それはほんまに……」"
  • 2025年5月9日
    いつかこの恋を思い出してきっと泣いてしまう1
    (本文抜粋) "「わたし、こんなに桃の缶詰持ってる人はじめて見た。これだけであなたのこと好きになる人いると思うよ。ねえ、東京ってひと駅ぐらいなら歩けるって本当?」 「本当です」 「嘘だ」 「三駅ぐらい歩けます」 「(関西弁で)嘘言うな。三駅って、選手やん」 「選手じゃないです」 「競技やん」 「競技じゃないです。三駅歩く競技ないです」" "「前は、朝電車で仕事行ってたんですけど。何日かに一回、何日かに一回なんですけど、人身事故がありましたってアナウンスがあって。人身事故って、そういうことじゃないですか」 「うん……」 「そういう時、隅にいた人が、普通の人が、ちって舌打ちするのが聞こえるんです。電車何分か遅れるから。そういうの聞いた時、なんか、よくわかんないけど、(胸元を押さえ)よくわかんない気持ちになります」 「うん……」 「そういうこと、そういうのに似たことが毎日少しずつあります。いろんなことにあります。自分のことで精一杯だし、どうしようもないから、まあ、気付かないふりしてるんですけど、こっち出てきて、六年経って、ずっと、(胸元を押さえて)よくわかんない感じがあって、なんか……(苦笑し)上手く話せないな」" "「好きな人なんでしょ?」 「……優しい人です」 「……」 「仕事も頑張ってて、尊敬出来て……」 「(関西弁混じりに)好きってそういうんじゃないよ」 「(少し苛立って)何で……」 「説明するんは、好きって言うんとはちゃうよ」" "「電話だと勇気が出なかったのでメールします。あのね、わたし、練にたくさん嘘をついてました。広告代理店っていうのは本当だけど、練に話してたような仕事はしてません。わたしの仕事はデスクの事務です」 「勤務表を整理したり、領収書を集めて仕分けしたり、企画会議には呼ばれない仕事です。みんなから親しみを込めて、日陰さんと呼ばれています。何故か小学校の時から続いているあだ名です」 「練に会いに行く時、わたしは駅のトイレで着替えています。トイレの鏡でお化粧をしています。日陰さんから日向さんに変身します」 「わたしの父も経理の仕事をしていて、母は専業主婦でした。わたしたち家族はファミレスに行くと、大抵順番を飛ばされました。同級生が、父と母の笑顔を見て、何かのアニメのねずみの笑い方に似てるねと言いました。わたしは人前で笑うのをやめました」 「東京の大学に入って、男性と付き合いました。彼は自分の友人にわたしを紹介しませんでした。はじめて寝た後、彼が言いました。お腹すいたからおにぎり買ってきてよ。一生こうなんだろうなと思いました」 「わたしは新しいペンを買ったその日からそれが書けなくなる日のことを想像してしまう人間です。誰にとっても特別な存在になれないのなら、はじめからそのつもりで付き合えばいい。そうして出会ったのが、今の恋人なんです。何も期待せず、望まずにいられる関係」" "「夢って大変なものなんだよ。面倒臭いし、鬱陶しいし、捨てようとしても捨てられない、もつれた糸みたいに心に絡んで取れなくなる、それが夢」" "「向いてないのぐらい知ってるよ。何でもいいから違う自分になりたいんだよ! どこにでもいる子になりたくないんだよ!」 「どこにでもいる子になりたくない子ってどこにでもいるよ?」" "「……東京は向いてないって思うんです。ウチに帰っても帰った気がしません。自分の部屋なのに、来てる、気がします。俺が帰るのは猪苗代湖の家で、ここは、って」 「うん」 「まだ帰れない理由があって、今はまだここにいます」 「うん」 「(胸に手を当てて)ここに、でかい、でかい穴が開いてる気がします」 「うん」 「開いたまんま、そうやって、東京で、五年経って」 「うん」 「そうやって……杉原さん」 「うん」 「あなたを好きになりました」 「……」 「好きで、好きで、どうしょうもないぐらい、なりました」 「……」 「いつもあなたのことを思っています」 「……(涙が浮かぶ)」 「それを、そのことを、諦めなきゃいけないのは」 「……」 「苦しい」 「(涙を溜めて)……」 「杉原さん。今日まで冷たくしたこと、ごめんなさい」 「(首を振る)」 「明日からまた同じことします」 「……はい」 「ごめんなさい」 「はい」 「ごめんなさい。好きでした……」" "「わたし、一度人を好きになったら、なかなか好きじゃなくならないんです」 「……」 「好きになって欲しいから好きになったんじゃないから。それが片思いでも、同じだけ好きなままなんです」" "「わたし、ちゃんと好きになりました。短かったけど、好きになった。好きだったらそれで良かった。それがすごく嬉しいんです」 「そう」 「ずっと、ずっとね、思ってたんです。わたし、いつかこの恋を思い出して、きっと泣いてしまう。って。わたし、わたしたち今、かけがえのない時間の中にいる。二度と戻らない時間の中にいるって。それぐらい、眩しかった。こんなこともうないから、後から思い出して、眩しくて、眩しくて、泣いてしまうんだろうなって」" "「東京の人にも、俺のごと知って貰えだ。その人だちはたぶん、会津って聞いだら、俺のこどを思い出してくれっと思うんだ。会津。あー練の町か。そう思って貰える。俺はそれが嬉しんだ。東京のあの人。会津のあの人。行ったごとねえとごに知ってる人がいる。住んでる人のこどを考える。今、東京でなんかあったら、俺は友達の心配をする。みんな、そうやって人に会って、人のこどを思って生きてる。そう言うのが嬉しんだ」 「そうか」 「東京が嫌いだった時は会津さ帰らんにって思ってだ。今は東京も好きだから、会津さ帰っでこれる」 「庭みだいな畑しかねえぞ。儲がる仕事もねえぞ」 「何年かがってもいい。何十年かがってもいい。またじいちゃんと畑に出る」 「んだら、早ぐ寝で、早ぐ起ぎろ」 「(頷く)」 「こごで生ぎんなら、種ひとづ蒔ぐとごろからはじめんだ」"
  • 2025年5月8日
    問題のあるレストラン 2 (河出文庫)
    (本文抜粋) "「傘立てにね、ビニール傘が並んでるの」 「(ん?と)」 「はじめに傘泥棒が来て、そのうちの一本を盗んでさして帰ってしまうの。その後別の人が来て、また傘をさして帰る。でもそれはその人の傘じゃない。その人の傘は盗まれた後だから、その次の人も気付かずに別の傘をさして帰る。その次の人もその次の人も別の傘をさして帰る。そうして最後に来た人にはもう傘が一本も残ってないの。傘を持ってきたのに、濡れて家に帰るの。わたし思うの。二番目三番目に来た人たちはわざとじゃないけど、でもやっぱり傘泥棒なんだよ。知らないうちに盗んでるの。責任があるとは言わない。謝れとは言わない。でもその傘が自分のものかどうか、もう一度確かめるべきだと思う。濡れて帰った人のことを想像すべきだと思う」 「俺が、何番目かの傘泥棒だって言いたいのか?」 「あなただけじゃない。みんなそう。わたしだってそう」" "「復讐って、怒るだけじゃ出来ない。ちゃんと楽しく綺麗に生きることも復讐になる。田中は楽しく綺麗に生きることを目指しなさい。わたしは怒る方をやる」" "「誰だって過去の忌まわしい出来事から逃げてることはある。逃げていいと思うんだよ。一生逃げ切れるなら。だけど時々、過去に追い付かれることがある。それは明日かもしれないし、十年先かもしれない。だったらね、立ち向かう手もある。それは考え方」" "「負けたら辞めるって言ったの嘘です。辞めたいのは諦めが足りないからです。諦めたくせに期待しちゃってるからです。わたしの諦める気持ち頑張れわたしの絶望頑張れって思っても、期待するの止められないです。(苦笑し)それが苦しいだけです」" "「逆だと思う。五月は人を憎んだりしながら生きていくのが嫌なんだと思う。許せないって思う自分が許せない。忘れたいって思うから忘れられない。苦しんじゃいけないって思うから苦しい。消えて欲しいって思えば思うほど、自分自身が消えたくなる。そんな自分、嫌だと思う。このままじゃ五月は一生そんな思いを抱えたまま生きていくことになる。五月は争うために裁判するんじゃないと思う。五月はそんな思いを捨てにいくんだよ」 「五月が今一番したいのは、心から笑うことだと思う」" "「いや、わかんないんだけど、俺、小学校の時の友達で、すぐ人を殴る奴がいて、そいつ、あっくんって言ったんだけど、みんなから嫌われてて、俺はあっくんの最後の友達だったんだけど、もうこっち来んなって言って、俺も結局友達やめたんだよ、そしたら夏休みの間にあっくん病院に運ばれたんだ。お父さんにお腹蹴られて。小さい時からずっとそういうの続いてたんだって。あっくんはもう学校来なくなった。退院したのかも俺らは教えて貰えなかった。この間さ、おまえ、傘泥棒の話してたろ? あの後、あっくんのこと思い出したんだよ。あ、そうか、俺もあっくんのお腹を蹴ったんだって思った。もうこっち来んなって言った時、俺も蹴ってたんだって」" "「あなたがこの部屋を出てすぐに忘れてしまった時間は、彼女にとっての一生でした。あなたにとっての小さな悪戯は、彼女の思い出も夢も壊しました。お願いします。彼女の顔を思い出してください」" "「わたしは君に何もしてあげられません」 きょとんとしている周太郎。 「その代わりに、わたしが教わったことがあるので、それを教えます。三つあります」 千佳、指を一本出して。 「人に優しくすると自分に優しくなれます」 千佳、指を二本出して。 「人のことがわかると自分のことがわかります」 千佳、指を三本出して。 「人の笑顔を好きになると自分も笑顔になれます」 千佳、微笑んで周太郎を見つめて。 「自分は自分で作るの。じゃあね。大人になったらまた会おうね」" "「(薄く微笑んで)奇跡起きなかったですね」 「(微笑み)起こりましたよ。ちゃんと今日まで営業出来たじゃないですか。奇跡は起こりすぎてて気付かないだけです。奇跡はその日一日一日、その一秒一秒のことです。わたしは毎日みんなの顔を見ながら、感じてました。今日をちゃんと生きれば明日は来ます」"
  • 2025年5月7日
    問題のあるレストラン 1 (河出文庫)
    (本文抜粋) “「彼とはじめて会った時に結婚の四文字が浮かびました」 「ひらがなで浮かんだんですね」“ ”「お義母さんがどう思ってたのか、わたしなんかにはわからないけど、あなたが思う通り、美談だったのかもしれないけど。でも、でもさ、それ誰かに押しつけた途端、もう美談じゃなくなるんだよ。夫を支えるために一生を捧げた妻のいい話なんて、わたしには呪いの言葉でしかなかった」“ ”「シズル感って言ってね、料理は目で食べるの。食器で味は変わるのよ」 「じゃ、皿に皿載せて食べればいいんじゃないですか?」“ ”「あれ、何してるんですか、座ってますけど。あ、もう限界すか。わたしの知り合い、部屋借りれなくて一泊千六百円のネカフェに暮らしてる人なんすけど、バイト先がワンオペで一日十六時間働いてるんすよ。トイレ行く時間もないって笑ってるんですよ。東京大学さん、偉そうにして、バイト以下じゃないすか。あんた、一生そうなんでしょうね。わたしはこんなもんじゃないって。いやいや、こんなもんですよ、あんた」“ ”「幼稚園の時に、セーラームーン、セーラームーンっていうアニメがありました」 「園庭でよくそのごっこをしてたんですけど、みんなは大体セーラームーンとかセーラーマーキュリーを選んで、わたしはいつも最後まで残ったセーラージュピターで、セーラージュピターのイメージは緑でした。色には順番があったんです。女の子が赤とかピンクとか色分けされたものを分ける時、わたしはいつも緑を選ぶ係でした。選ぶって言うか、選んだふりで残った緑を取るんです。素直に赤とかピンクを選べる人が不思議でした。あなた、人生何回目?って思いました。わたしまだ一回目だから、赤が欲しいって言えない。アニメのセーラームーンは敵と戦ってたけど、女の子たちのごっこのセーラームーンはセーラームーン同士で戦うんです。大人になって、それを別の言葉で知りました。女の敵は女だよ、って。わたしははじめからそこで負けてたから、他の子がファッションとか恋とか選ぶ時、わたしは勉強を選びました。好きじゃないけど、残ってたから勉強を選びました。大学に受かって、友達とか家族とかみんな褒めてくれました。だけどそこにはいつも、女の子なのに変わってるよねってニュアンスが付け加えられてました。会社に入って、やりたいこと頑張ろうって思ってたら、テプラの研修があって、どうしてか女子だけテプラの研修があったんですけど、同期の子が言いました。男は勝てば女に愛されるけど、女は勝ったら男に愛されなくなる。女は勝ち負けとか放棄して、男に選ばれてはじめて勝利するんだ。あれ。じゃわたし、一生勝てないじゃんって思いました。だって緑だもんわたしって思いました。赤もピンクも緑も、全部黒ければいいのに。黒いセーラームーンがいたら良かったのにって……」“
  • 2025年5月5日
    anone 2
    anone 2
    (本文抜粋) "「バレちゃいましたか。さっきまで、買う予定のないものの値段を調べて遊んでました。知ってましたか。ボウリングの玉は二万円で、ピンは一本二千円で十本あるんです」 「同じ値段のぶつかり合いだったんですね」" "「願いごとってさ、星に願えば叶うと思う? 願いごとは泥の中だよ。泥に手を突っ込まないと叶わないんだよ。(ハードディスクを)それはさ、僕が手を汚して手に入れた希望なんだよ。壊したら消える」" "「これまでの人生で起こったすべての理不尽な出来事が忘れられる気がします」 「何があったの?」 「僕、人生で三回しか熱出したことなくて、それが高校受験と大学受験と就職試験の日でした」 笑う三人。 「ハワイに行ったら、インフルエンザになって全日程寝込んでました」 笑う三人。 「喫茶店入ってコーヒー頼んだら、何であんたにコーヒー出さなきゃいけないんだって言われました。神奈川出身なのに、九州帰れって言われたり……」 「もういいもういい」 「でもね。僕、思うんです。人生、何が嬉しいって、悲しくて悲しくてやりきれなかった出来事が、いつの間にか笑えるようになってることです」 「あー」 「こんなつらいことがいつか笑えるようになるのかなって思うと、なんか楽しくなってきませんか」" "「想像してみたりすることはあります。あの時もし、って。もしちょっと違ってたらどうなってたかなって。子供の頃、二人で逃げ出したことがあって、それが成功してたらどうなってたかなって」 「うん」 「でも、それはなかったから。ここが今の自分だから」" "「そういう人間にはさ、この世界を憎む権利っていうのがあって……」 「もう忘れたもん」 「忘れたって……」 「(遮って)でも亜乃音さんもそうだけど、青羽さんも持本さんもそうだけど、誰も誰か恨んだりなんかしてない。つらいからって、つらい人がつらい人傷付けるの、そんなの一番くだらない、馬鹿みたい、馬鹿だよ」"
  • 2025年5月3日
    anone 1
    anone 1
    (本文抜粋) “「この世に生まれて来て、フリスクちょうど一個出すことさえできません」” “「関係ないと思いますよ。愛された記憶なんかなくても、愛することはできると思いますよ」” “「そして数ヶ月後、わたしはこの世に生まれ落ちる前に、あの世へ旅立った。どうも体が少し弱かったらしいから仕方がない。看護師さんが来て、生まれて来るはずだった子は女の子だったのよと母に言った。あーあー言わなきゃいいのにとわたしは思ったが、時既に遅し。母の中でわたしが実体化した」” “「……わたし、持本さんにはじめて会った時、言いましたよね。死に場所探しましょうって」 「はい」 「あれ、間違ってました。わたし多分もう、半分向こう側にいるんです。半分向こうにいて、生きてる子供から愛されないから、死んだ子供のことを愛してるんです。そんな人間、駄目っていうか、まあ、駄目ですよね」” “「生きなくたっていいじゃない。暮らせば。暮らしましょうよ」” “「ファーストキスが大西洋を渡る豪華客船の突端だったら、怖さが先に立って、キスのことはおぼえてないでしょ?」 「はい?」 「ハリカちゃんは生まれてはじめての鍋なんだよ。はじめてがみかん鍋ってことはないでしょ、はじめての鍋は校舎裏でいいの、階段の踊り場でいいの。過剰なロマンはいらないの。ですよね」 「美味しくないでしょ」 「みかん撤収!」”
  • 2025年5月2日
    人間失格 グッド・バイ 他一篇
    (「人間失格」抜粋) “「世渡りの才能だけでは、いつかは、ボロが出るからな。」 世渡りの才能。……自分には、ほんとうに苦笑の他はありませんでした。自分に、世渡りの才能! しかし自分のように人間をおそれ、避け、ごまかしているのは、れいの俗諺の「さわらぬ神にたたりなし」とかいう怜悧狡猾の処世訓を遵奉しているのと、同じ形だ、という事になるのでしょうか。ああ、人間は、お互い何も相手をわからない、まるっきり間違って見ていながら、無二の親友のつもりでいて、一生、それに気附かず、相手が死ねば、泣いて弔詞なんかを読んでいるのではないでしょうか。” “「いや、もう要らない。」 実に、珍らしい事でした。すすめられて、それを拒否したのは、自分のそれまでの生涯において、その時ただ一度、といっても過言でないくらいなのです。自分の不幸は、拒否の能力のない者の不幸でした。すすめられて拒否すると、相手の心にも自分の心にも、永遠に修繕し得ない白々しいひび割れが出来るような恐怖におびやかされているのでした。けれども、自分はその時、あれほど半狂乱になって求めていたモルヒネを、実に自然に拒否しました。ヨシ子のいわば「神の如き無智」に撃たれたのでしょうか。自分は、あの瞬間、すでに中毒でなくなっていたのではないでしょうか。” (「如是我聞」抜粋) “世の中をあざむくとは、この者たちのことを言うのである。軽薄ならば、軽薄でかまわないじゃないか。何故、自分の本質のそんな軽薄を、他の質と置き換えて見せつけなければいけないのか。軽薄を非難しているのではない。私だって、この世の最も軽薄な男ではないかしらと考えている。何故、それを、他の質とまぎらわせなければいけないのか、私にはどうしても、不可解なのだ。” “当時、私には好きな女があったのである。そいつと別れたくないばかりに、いい加減の口実を設け、洋行を拒否したのである。この女のことでは、後にひどい苦労をした。しかし、私はいまでは、それらのことを後悔してはいない。洋行するよりは、貧しく愚かな女と苦労をすることのほうが、人間の事業として、困難でもあり、また、光栄なものであるとさえ思っているからだ。”
  • 2025年4月29日
    Woman
    Woman
    (本文抜粋) “「しーちゃんもこれでいいんじゃないの?」 「あの子、ちくわ食べません」 「しーちゃん、好き嫌い多いし、食べられるようになった方がいいんじゃないのかな」 「無理してちくわ食べる理由がないでしょ」 「この間柴田さんの結婚式出た時、隣の人が野菜全部残しててさ、ああいうのみっともないんですよ」 「結婚式にちくわは出ません」 「新郎がちくわメーカーの社員だったら出るよ」 「あの子がいつかちくわメーカーの社員の方のお式に出た時のために今日ちくわを食べさせなきゃいけないの?」 「人生、何に出くわすかわからないでしょ」 「ちくわに出くわすために生きてるわけじゃありません」” “「ブンを探してください。ブンは犬です。犬の三歳のです。内村さんのおうちの犬です。色は白のところがあります。茶色のところがあります。白のところが多いです。鼻のは黒いです。髭があります。耳が折れています。かわいいのところです。遊ぶのはボールです。走ります。走るとベロが出ます。かわいいのところです。手を舐めます。噛まないです。優しいです。かわいいです。とても探しています。探してください。お願いです」” “「あのさ、お母さん、アリクイさんが怒ったらどうなるか知ってる?」 「立ち上がって、(ポーズをして)こうなるんでしょ?」 「そうそうそう。望海ね、実はね、立ち上がって、こうしたいぐらい、今怒ってるの」 「(あっと思って)……うん」 「すごく怒ってるの。エジソンが電球壊すぐらい」 「はい」 「ナイチンゲールが患者さん叩くぐらい」 「ライト兄弟も電車で帰っちゃうぐらい?」 「ライト兄弟って何?」 「飛行機作った人」 「へえ……怒ってるの。わかる?」”
  • 2025年4月26日
    エスノグラフィ入門
    (本文抜粋) “空気というあまりにも自明なものを思考の対象にすること。自明なものに目を向けることは、社会を別の仕方で考えることにつながります。 たとえば、空気を考えることは、経済格差(マニラでも東京でも居住地によって空気の不平等が顕著であること)、病い(世界と身体の境界は皮膚だけでなく肺にもあること)、さらには戦争や暴力(ガス室や催涙剤は空気をターゲットにしていること)まで考えることにつながっています。 エスノグラフィとは、こうした自明なものに立ち還ることで、社会や世界をこれまでとは別のかたちで問うこと、さらには描くことを探求する実践です。人びとが実際に生きる場面を丁寧に記録し、その現実感から飛翔しないで社会や世界の成り立ちを見つめてみる。そんなエスノグラフィについて、本書では考えています。” “人間は生活の場でさまざまな工夫をして生きています。「身内」の拡張論理を使いこなして生きるナイロビの都市下層民たちの姿は、まさにそうでしょう。その工夫は、個人レベルだけでなく集合的なレベルで展開されます。厳しい都市生活を生き延びるために、人びとがそれとなく時間をかけて創り出した営みです。 だから、生活には創始者がいません。もっと言えば、みんなが創始者だと言えます。” “貧困とは何か、失業とは何か。さまざまな定義ができますが、私は時間的予見の剥奪がそのポイントだと考えるようになりました。 仕事や練習など、毎日のルーティンがあれば、人は時間的予見を手にすることができます。ボクサーであれば、一日に何が起こって、一週間がどのような進行をたどり、その先にはどんなボクサーとしてのキャリアの展望が見えてくるのか。あるいは大学に通う学生であれば、今日の授業はどうなっていて、一週間の時間割はいかなる構成で、そして何年経ったら卒業するという展望がある。つまり、規則的な労働や活動に従事するということは、時間的予見を手にすることでもあるのです。 しかし失業するとどうでしょうか。お金がなくなるだけでなく、この時間的予見が剥奪されます。 失業や貧困とはお金をめぐる困難であると同時に、時間をめぐる困難でもあります。”
  • 2025年4月25日
    傷のあわい
    傷のあわい
    (本文抜粋) “あるときの電話で、彼女が一度だけの「浮気」を告白した。専門学校時代の同級生が交通事故で亡くなり、やはり同級生であった男性をなぐさめるため一緒に飲みに行って、そのあと一夜を共にしてしまった。それっきり相手とは会わなかったのだが、しばらくして相手が自殺をしてしまった。ところがその後彼女は妊娠していることに気づいた。もう年だから堕ろせない。そんな話だった。 江崎さんはびっくりした。けれども彼女を許そうと思った。結婚しようと言った。子どもも含めて。でも一週間ほど考えるうちに「ぼくは生まれてきた子どもを愛せない。愛する人を奪った男の生まれ変わりだから愛せない」そう思うようになった。そして彼女に「子どもを愛せないから一緒にはなれない。けれども心の支えにはなれるからいつでも電話をくれていい。こちらからかけるとつらいだろうから、こちらからはしないけど」と言った。 すると彼女が次の電話で言った。「全部嘘だったんだよ。上手だったでしょ」江崎さんは、もう何が本当なのかわからなくなった。嘘だというのが嘘かもしれないと思った。” “届かなかった手紙が、彼女を傷つけていたらしいこと。いつのまにか私たちの間にわだかまりをつくってしまっていたらしいこと。そんなことに気づいて、私たちは笑いあった。そしてお互いの人生の駒は少しずつ進んでいるものの、あいかわらず、「これから、どうしよう」「ねえ、私、どうしたらいい?」としょっちゅう悩んでいることを知って、また笑いあった。 けれども届かなかった手紙と共に去った月日は戻ってはこない。数年の間にできた溝や空白は、私たちの間に居座ったまま、消えていこうとしなかった。お互い仕事の責任が増える一方の時期でもあり、また、気が向けば一緒に食事ができるほど近い場所に住んでもいなかった。” “人がひとりいなくなること。誰かが自分で命を絶つこと。突然、命を絶たれること。自分の身体が自分を裏切り破滅に向かおうとしているのを知ること。 そして、息絶えた身体を、愛情を交わした人間が発見したり確認しなければならないこと。自分が愛情を注ぐ人間がそこからいなくなってしまうのを見届けなければいけないこと。さりげない言葉を交わし、愛情を交わす朝や夕のささやかなひとときをこれからもずっと喪失し続けること。 そういったことがらのそれぞれの重みは、外からは計りがたい。残された家族がこれから持ち続けるであろう空白の重みを、その代償の不可能性を、時は容易に埋めてくれない。” “引っ越しをすると決めること。何を失って何を得るのか。いままでの場所の良かったところと悪かったところ、新しい場所のよさそうなところと悪そうなところを、引き比べてみる。それは自分の価値観をぎりぎりまで明らかにすることにほかならない。 引っ越しの荷造りをするということ。何を捨て、何を持っていくのか、何をそのまま使い、何を新たなものに置き換えるのか。それは昔の自分と再会することであり、過去を「清算」することであり、未来の自分を想像することである。自分の歩んできた軌跡と、これから歩もうとする軌跡。その真ん中に立ち止まり、自分の抱える荷物を再点検し、必要なものとそうでないものを見極める作業。”
  • 2025年4月24日
    しらふで生きる 大酒飲みの決断
    (本文抜粋) “自分は普通の人間である。これが自己認識改造の第一歩である。これは、ものすごく自意識過剰な人は別だが、特段、難しいことではないはずだ。 私たちはここから出発する。” “小説の場合で言うと小説というのは原因と結果の連鎖で成り立っている。ひとつの原因に対して小説の中の現実の諸要素が反応してひとつの結果が生まれる。その諸要素というのは作者によって取捨選択される。ところが、脳髄のアクセス路があまりない場合、この諸要素の数が大幅に減ずる。現実の諸要素は無数である。よって大抵の事実は小説より奇である。しかるに脳髄のアクセス路がないため、せいぜい十、下手をしたら三とかそれくらいの諸要素によって結果を生んでいるので、読者は「ありえねー」若しくは「つまんねぇ」以外の感想を思いつかない。”
  • 2025年4月21日
    それでも、生きてゆく
    (本文抜粋) “「大事なことから目つむってると、こういう目になるんだなって。なんかなんとなくわかりました。人って逃げてばかりいると、命より先に目が死ぬんだなって」” “「亜季がさ、何のために悲しいお話があるのかって聞いてきたことがあった。何でわざわざ悲しいお話を人間は作るんだろうって。現実が悲しいからかな。現実、亜季が殺されて、友達が犯人で、ばらばらになった家族があって、兄貴の無実信じながら、苦しんで信じながら生きた人がいて、どうしようもなく悲しい人ばかりで、悲しいから出会う人もいて、悲しい話ばかりで、逃げたくなる。だけど逃げても悲しみは残る。笑って誤魔化しても悲しみは取り残される。自殺したり人を殺したら、悲しみは増える。増やしたくなかったら、悲しいお話の続きを書き足すしかないんだ。どんなに悲しくても、辛くても、生き続けるしかないんだ」” “「いつもあなたを思っています。わたしが誰かと繋いだ手のその先で、誰かがあなたの手を繋ぎますように」”
  • 2025年4月10日
    Mother
    Mother
    (本文抜粋) “「クリームソーダは食べ物じゃないわ」 「何?」 「飲み物よ」" "「わたし、あなたを誘拐しようと思う」" "「あなたは捨てられたんじゃない。あなたが捨てるの」" "「よく言うじゃないですか、親は子に無償の愛を捧げるって。わたし、あれ逆だと思うんです。小さな子が親に向ける愛が無償の愛だと思います」" "「関係なくない? 世間の目を見るのが母親じゃないじゃん、子供の目を見るのが母親じゃん?」" "「一日でいいの。人生には一日あれば。大事に大事に思える一日があれば、それでもう十分」" "「追伸。クリームソーダは、飲み物ですよ」"
  • 2025年4月8日
    最高の離婚2
    最高の離婚2
    (本文抜粋) “「あの時結夏が言ったあんたの話、あれな、映画『ドラえもん のび太の結婚前夜』で言ってたやつの丸パクリだ」” “「お婆ちゃんがいつまでもいると思ったら大間違いよ」 「……え、何言ってんの、いるでしょ」 「(光生を見て)色鉛筆と同じ、大事なものから先になくなるのよ」” “「あ、そうそう、そうだ。言い忘れてました。最近自分の中で、僕変わったなあって思うところがあるんですよ。ハマザキ、って呼ばれても返事することにしました。よく考えたら、どっちでもいいかなって」” “「何で今コロコロするの? 日本経済心配するかコロコロするかどっちかにして! 男はすぐそうやって話大きくして誤魔化すんだから!」” “「夫婦って文句言い合うものなんですよ。そんな完璧な夫でも妻でも文句言うの。何回も何十回も喧嘩してきたんです。何百回も危機があったんです。でもね、いいんです。それで、お互いの悪口は言うけど、よその人から妻を悪く言われたら腹が立つんです。そういう夫婦なんです」”
  • 2025年4月6日
    最高の離婚1
    最高の離婚1
    (本文抜粋) “「つらい。とにかくつらいです。結婚って、人が自ら作った最もつらい病気だと思いますね。てゆかほら拷問ってあるじゃないですか。正座して足に石載せたりとかなんか水車みたいのに縛ってぐるぐる回すのとか。ああゆうもんだと思います。結婚って、長い長い拷問ですよ」” “「ドンキで買ってくればいいだろ」 「ドンキで買った紙に離婚届印刷するの?」” “「違うの。別に誰かが悪いとかじゃないの。ただ、誰かにとって生きる力、みたいになってるものが、誰かにとって便座カバーみたいなものかもしれない」” “「わあ、素直だなあ。はじめからずっと肋骨折れっぱなしだったら、結婚生活上手くいったかもなあ」” “「浮気はやめてとか、嘘はやめてとか、負けてる方は、正しいことばっかり言って責めちゃうんだよ。正しいことしか言えなくなるんだよ。正しいことしか言えなくなると、自分が馬鹿みたいに思えるんだよ」”
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