冷やしトマト "烙印の名はヒト" 2025年6月2日

烙印の名はヒト
《ヒトになりたいAI多すぎる問題》に一石を投じると同時に, 現代的な《ケア》の観点もそこに織り交ぜる。数多のSF作品を思い起こさせながらも, 見劣りしない点でも挑戦的すぎる。フラットラインしてしまう。
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@tomato_hiehie
『烙印の名はヒト』なぜ主人公ラブは《介護肢》なのか。家族によるケアを理想とする介護を, 労働力ではなくウエイツという設備投資で担う社会。そんな超リベラル社会におけるケアとは何なのだろう。作中で登場するケアは, 介護肢から人に向けて。そして, それらの人は例外なく弱者と定義される。
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しかし, 本当の弱者とは一体誰なのか。ラダイトの一味であるヨコヅナ・スラッシャーは元介護師だ。ケアという労働が設備に代替され, 存在意義を奪われた。これには失職以上の意味合いが含まれている。ケアの行為主体がヒトである必要がないと社会が見なした。《ケアの倫理》の敗北である。
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ラブが介護肢であることは一見すると, 温かみのあるAIを彷彿とさせるが, それはヒトが捨てたものの裏返しでもある。頭がネットに接続されたとて, ヒトはスタンドアロンだ。関係性の中に生き続けることからは逃れられない。自由主義社会のいく末を考えさせられる。
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