DN/HP "長い一日" 2025年6月6日

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2025年6月6日
長い一日
長い一日
滝口悠生
図書館で借りて最初に読んだとき。 2022 6/26 「なるほど、小説というのはそうやって全てを記録できないこの現実を、言葉で書き換えて読んだり話したりできる形にするものなのか」 幾つもの視点も思考も、場面や時間も溶け合うように繋がっていく。誰かのことを想う。自分と会っていないときのその人のことを考える、その人に想われていることを想像する。その連なり。心地の良い違和感を感じるようなそれらの記録出来ない部分、現実でそれがみえてしまったら心地良いとは思えないかもしれないけれど、人の想いも記憶も過去も未来も溶け合ったものが、やっぱり世界ということなのかもしれなくて、それを「読んだり話したりできる形に」に出来るのが小説。なるほど。やっぱり、小説にしか出来ない世界の描きかたというのはあるのだな。と思いながら、よく風の通る公園のベンチで「ゆっくり読む」ときに使う特別な栞を見開きに挟んで本を閉じて、昨日配信されたGofishのアルバムを再生した。少し長めのイントロのあとに歌われる歌詞を聴いていたら、ああ、この音楽も同じように世界を描いているのかもしれないと思った。これはこの本のジャケにも最近買ったGofishのシャツにも一平さんのアートワークが使われていたことにも勿論繋がっていて、というかその連想で聴き出したのだけど、その繋がりにも、なるほどと頷く。それに、この小説は「死んでいない者」と一緒に教えて貰ったのだけど、その2冊の間に読んだ植本一子さんとの往復書簡と「高架線」(この小説もタイミングも含めて本当に特別になりました)、また別の方から教えて貰った柴崎友香さんの「春の庭」も全部ここに繋がっていた気がしていて、そういう偶然かもしれないけれど絶対に特別なタイミングと繋がりも、世界というには少し違うかもしれないけれど、言葉を使って形にしていきたい。今年の夏の日記にはそんなことを書けたら良いなと思った。 冒頭の引用もそうなのだけど、“妻”にいちばんfeel出来た気がしました。あと、“夫”のオオゼキへの想いと窓目君の加齢とチャック全開エピソードが完全に最高。
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