米谷隆佑 "族長の秋" 2025年6月7日

米谷隆佑
米谷隆佑
@yoneryu_
2025年6月7日
族長の秋
族長の秋
ガブリエル・ガルシア=マルケス,
鼓直
族長、つまり大統領閣下の死から始まる本作は、章立てて続く物語で、一度も改行されず黙々と読ませるだけの魅力がある。読後感は、まるでクラシック音楽の一定のテンポに様々なメロディを詰め込んで感動させるような、あるいは、新聞紙の事件や日常を隅から隅まで読み込んで朝の日課があっという間に過ぎ去るような、そんな感動が湧き上がる。ガルシア=マルケスの特長とする、繰り返される記号の安心感は健在だ。異様な数、肉体の腐食や秀美、聖体、家畜と部屋、時間や曜日や日付に執拗に拘り、場面の切り替えや句読点的で閑話休題的な休息を与えて、さぁ、虐殺事件やテロが始まるぞ、と文体を一気に引き締めて癖になるのだ。目隠しのジェットコースターは、山や谷に突っ込む前の浮遊感で恐怖を助長するだろう。まさに、そんな感じだ。文章は、常に誰かの口から伝わる「物語り」調であるが、時々、大統領や妻子らの声をそのまま載せてみせるので、どこからが語り口で、どこからが引用なのかが、緩やかに接続されているのが特徴的で、このスパイスは『百年の孤独』になかった味付けとなっている。読者は、誰かの語りを借りて大統領を観察するので、彼の複雑な観念に入れ込むことはない。故に『族長の秋』は、周辺情報から察するに、本当に恐ろしくて悲しくて美しい、国の長の物語なのだ。南米文学の骨頂だろう。日本人の我々には想像できない、独裁者の権威と孤独の歴史は、ガルシア=マルケスが生きた南米だからこそ書けたものなのだと確信できる。今なお取り沙汰される汚職事件や政府の長の短期間での交代劇や、暴力や貧困にあえぐ街を知れば知るほど、筆者の世界観は、まだ続いているように思わされる。つまり、南米のマジック・リアリズムはかなり現実的で、しかも文学的に強烈な皮肉へと昇華されているのだ。なお、この感想文を改行せず書いてみが、ぼくにはまだ早い文体のような気がして、あるいは、安直な真似事のようで恥ずかしくなった。
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