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米谷隆佑
米谷隆佑
米谷隆佑
@yoneryu_
よく読みます。
  • 2025年6月19日
    シュナの旅
    映画『君たちはどう生きるか』のあとでこの本を読むと、宮崎駿の創作が一貫していたことに気づかされ、新作の映画を観たような満足感に心があたたまる。 少年の旅、貧困、少女の真実、避けがたい苦難、幸福に見合う重い罰、救済、得体の知れない生物、海、戦闘用兵器、意地悪な老人たち、健気さと狡猾さ……。挙げたらキリがないが、その後の映画製作時に引用される全ての要素がここにある。
  • 2025年6月19日
    百木田家の古書暮らし 6
  • 2025年6月19日
    百木田家の古書暮らし 5
  • 2025年6月19日
    百木田家の古書暮らし 4
  • 2025年6月19日
    百木田家の古書暮らし 3
  • 2025年6月19日
  • 2025年6月19日
    百木田家の古書暮らし 1
  • 2025年6月7日
    族長の秋
    族長の秋
  • 2025年4月30日
    百年の孤独
    百年の孤独
    『百年の孤独』を読み終えた――! およそ1ヶ月、夢中で読み進めた。読後の感想は、まるで強風に巻き上げられた孤独が脳天の頂点まで吹き上がり、愛と虚無の慟哭が胸の奥深くで鳴り響くようだった。終盤の怒涛の展開には、ただただ圧倒された。 (本当に終わってしまうんだ。終わってしまう……。もったいないと思いながらも、止まらず一気に読み進めてしまった。終わってしまう……。脳内には崩壊の風が吹き荒れ、主人公の姿、家、町の情景が嵐のように渦巻いて――ななな、なんだこのイメージ!?) ガルシア=マルケスの語りによって開かれた、あの無限に広がる空想世界が、バタンと音を立てて閉じられた。まるで絵本を取り上げられた子どものように、ぼくは駄々をこねたくなる。どうして終わってしまったんだ!と。 ぼくは暗闇へ突き放された。けど目を閉じても、マコンドのブエンディア家の夏の日照りがまざまざと浮かんでくる。興奮が冷めやらない。 この、清々しいほどの絶望感、果たして、うまく伝わるだろうか。
  • 2025年4月20日
    精選女性随筆集 武田百合子
    精選女性随筆集 武田百合子
  • 2025年4月20日
    カンガルー・ノート
    予想していた物語の三分の一程度の濃度。不可思議な旅も振り返ってみるとそう可笑しく感じないと思ったし、他作の特徴を垣間見る言葉遣いが多く、逆に他で見られなかった視点に気づけたことが、どうやら『カンガルー・ノート』は安部公房文学の交差点にあるのかもしれない、という仮説に辿り着いた。 羞恥心と入れ子構造の関係性、病院の新しい舞台的な意味を与えんとし、地獄のお遍路を通して面白おかしく伝えてくれる展開にぼくは面白さを感じた。当時の「死」の捉え方が変貌する様(夭折と老人の終末期、安楽死をどう捉えるかなど)を読み解くための考証になり得る、と思った。
  • 2025年4月20日
    文庫 ヘッセの読書術
    文庫 ヘッセの読書術
    読書の普遍性を説く論調が、神秘性から出発することが少なくむしろ読み易く感じた。 古今東西あらゆる学問に精通したヘルマンヘッセにとっての「息抜き」が、どれほどの効用を自身の生活に与えたのか、そのことについてさまざまな視座から語られる。いろんな説教のなかでも、特に優しい口調のヘルマンヘッセからしか得られない潤いがある、とぼく思う。彼の語り口が、鬱屈とした理不尽な社会を前に、必要に迫られることがある。
  • 2025年4月20日
    大きな鳥にさらわれないよう
    未来の人類史をテーマにこれほどやわらかく、心情のこもった作品があっただろうか、と初めて受けた衝撃にしばらく身悶えした。 SF、というには硬派すぎて、とてもじゃないがこの小説を上手く分類する言葉があるとは思えない。一部分で硬派な科学の言葉を使う。でも会話調にするっと滑り込ませた程度で咀嚼が難しくない。コンピュータ科学と生物学の話に触れることがあっても、全てが既視感があり難しく感じさせない。それどころか、どこかで見たことのあるような景色、心理変化、そして聞いたことのない末路を、ぼくは巨大な鳥に監視されているかのように漠然と怖くなってしまう。神、かみ?なのかもしれない。信じたことのない神を、一度信じてみるならこの「気配」から調べていきたい。
  • 2025年4月8日
    ナイン・ストーリーズ
    ナイン・ストーリーズ
    「バナナフィッシュ日和」で始まり、「テディ」に終わる物語は、一言で言い表せない無常の円環を思い起こさせる。 9つの物語に通底する無常さは、書き続けてきたサリンジャーの答えなのかもしれない。本質は感情を抜きにしても伝えることができる。詳しくは知らないが、おそらくサリンジャーの見てきた世界は、感情をぶつけることでメッセージを伝えようとする手法で飽和していたのかもしれない。俳句の世界でいう「輪郭の描写」によって感情や本質を伝えようとすることの方がずっと重要だったと気づいたのかもしれない。 西洋哲学の者が東洋思想に触れた化学反応に読める。神からの脱却ないがしかし、物語の終盤で突き放された読者である我々は、永遠にラストシーンの前から離れられず、ただ祈る姿勢で彼らを見つめるしかないのだ。
  • 2025年3月27日
    ダイブ・イン・シアター
    これを詩と呼びます、という強い信念を感じた。普段、詩を読まないぼくの身にはどうも短編小説……のように読めるものもある。だけど、その差はほとんどなさそうで、詩を扱う人は本当に混乱してきたんだろうな、と考えてしまう。形式もない、いつから始めていつ終えてもいい、息継ぎがなくメロディがない音楽を歌い続けるようなものなんだろうか。
  • 2025年3月26日
    まばたきとはばたき
    数式のようなスケッチは、ぼくの好いているジャンル。自分でも描けるようになりたい。
  • 2025年3月12日
    新潮2025年4月号
    早坂さんのエッセイを読む。筒井康隆の掌編は普通を装っていて、やはり奇怪だ。
  • 2025年3月9日
    マルテの手記(新潮文庫)
    あっちに行ったり、こっちに行ったり。 深掘りしたり、早々と切り上げたり。 手記らしく、ただ思い出して書き連ねることもあれば、調べものを記録するように精緻に書くこともあった構造は、このように感想を書くのとは異なる次元の思索をうかがえる作風と思った。 より哲学かと読めば、詩的な愛の言葉を並べてみたり、あるいは観察的な仔細を描くごとに、時々ドキッとするような、現代日本においても見過ごされていたかもしれない日常の映像を想起させる。 この作風は他に見なかった。だから、「見ること」と「死と愛」が別角度から刺激されたように思って、日を改めてもう一度読みたいとか思うようになった。
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