冷やしトマト "宇宙開発の思想史" 2025年6月7日

宇宙開発の思想史
宇宙開発の思想史
ないとうふみこ,
フレッド・シャーメン
『惑星的想像力』宇宙を場所として認識し, 開拓を目指すのは《世界の創造》に等しい。先住民の有無に関わらず, 主体としての人間は場所である限り常に存在し, 展望は《宇宙植民地》に近づいていく。なぜ我々は宇宙を目指すのか。そもそも我々とは誰を含めるのか。地球をひとつの惑星として捉える時, 自然の蒙昧に対する野心は潰えていなかったことに気づく。
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@tomato_hiehie
《共同事業》フョードロフの提唱したそれは, 「死」という共通の敵を超克するために人類を集結させる。治療から蘇生へ。その境界が揺らいだ先にあるのは祖先の復活と永遠の命。地球はヒトで溢れ, その行き先は無限の宇宙へ。科学的なプロセスを伴わないその事業は信奉者たちによって象られていく。世界最初のロケット開発者であるコンスタンティン・ツィオルコフスキーもその一人だ。宇宙空間への進出は定数を変数へと変え, 世界のあり方を再定義する。技術と着想が逆輸入されることで, 地球は一つの宇宙船《宇宙船地球号》として機能していく。
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J.D.バナールは理性的精神の敵を『宇宙・肉体・悪魔』とした。徹底した分析は組織的な問題を数学へと帰結させ, 解決へと導く。この道理における《失敗》は未解明の依存構造を意味する。彼の理論に基づく構築は宇宙に《バナール球》構想を浮かべ, 脳にモジュール式の感覚器官を装着させる。 アレクサンドル・ボグダーノフはバナールの異質同型《タコの目》として紹介される。SF小説『赤い星』では地球を発見したことによる火星文明の分裂が描かれる。それは優れた文明を持ちながらも, その進化の過程に地理的差異を持たなかったことに起因している。 バナールは「ノルマンディ作戦」で相互理解の欠如で実践に至らなかったことによる失敗を経験し, ボグダーノフは差異を経験しなかった文明の混乱を描く。彼らはいずれも理論的分析を重視しながらも, 相互作用・差異によってリスク軽減する姿勢も併せる。結果として命を落としたが, ボグダーノフの輸血による回春もその基礎理論の究極形だったのかもしれない。
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ヴェルナー・フォン・ブラウン。彼の開発したサターンⅤ型ロケットは最も浸透しているロケットのイメージだ。実際, 『コリアーズマガジン』の連載記事を持っていた彼は大衆文化に宇宙征服を拡散させるだけの言説能力を持ち合わせていた。宇宙を支配するものが地球を支配する。より早く派遣を握る必要性がある。第二次大戦を経験したアメリカを動かすには, そのレトリックは確かなものだった。宇宙征服の精神は国家に帰属することはなく, ドイツからアメリカへと渡り, 冷戦の恐怖を煽る。平和利用のロケットはミサイルへの転用を仄めかし, 恐怖は上から降り注ぐものだということを知らしめた。多段式ロケットの構想と同じく, 彼の宇宙への渇望は《我々》には属さない人類を切り捨てながらも宙へと昇り続ける。J.D.バナールには成し得なかった相互理解を伴った《成功》は, 皮肉にも作戦の《失敗》よりも大きな犠牲を払う結果となった。
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《ヴニェ》は外という意味で翻訳できるが, 実際には《反語的な超越》の文脈で用いられることが多い。自らが意図せずしてなにかの中に存在している状態。それは人間と宇宙の関係にも当てはまる。 SF作家アーサー・C・クラークの『ミステリー・ワールド』では超常現象を3つに分類する。第一種:かつては謎だったが今は解明されているもの, 第二種:今も解明されていないが現存の科学の枠組みを大幅に変えなくても説明がつきそうなもの, 第三種:現存の世界認識全体を覆るような代物。第三種に相当するものには《バクダッドの電池》や《アンティキテラの機械》があげられ, なぜ優れた発明があったにも関わらずその後に活用されなかったのかという謎が残る。エーリッヒ・フォン・デニケンは番組『未来の記憶』にてそれらが何千年も前に人類に示されたものであることを仄めかす。開発が中断されたのではなく, 優れた文明が地球を去ったのだと。が, カール・セーガンはそれは現代文明の尺度に合わせた, 時間と空間の序列構造の論理の押し付けに過ぎないと糾弾する。 文明を一つの論理に基づいて判断すること。それはある種の植民地主義的な思想である。《ヴニェ》という言葉は超人類的な視点を授けるものだ。人も宇宙に存在しているなにかに過ぎない。そして, 宇宙は開拓を待ち望むスペースではなく, 秩序のあるコスモスなのだ。地球もコスモスの中にあり, 人類はそれすらも全てを解明などしていない。反コスミストは自分たちを超越したなにかを前提とし, 既に秩序の中に組み込まれた存在に過ぎない姿勢を示す。
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《定常的世界》よりも《絶え間ない変化》を。「マスドライバー1」の開発者でもある物理学者ジェラード・オニールはそう主張した。指数関数的な成長曲線こそが第一に自由を, 第二に平和をもたらし, そのような変化を実行に移せるのが企業だ。《定常的世界》は限られた資源を統制する管理社会を作り出し, 行き着く先はディストピアなのだ。西海岸的なネオリベラリズム思想の源流とも言えるかもしれない。 一方でそれとは異なる世界観をSF作家アーシュラ・K・ル=グウィンは提示する。彼女の小説世界ハイニッシュ・ユニバースでは宇宙に進出した人々は結局, 惑星の重力に引かれていく。「ハイン人」というかつては宇宙を開拓した文明であることを忘却し, 個々の惑星で《定常的世界》を築くのだ。ル=グウィンはハイニッシュ・ユニバースの作品群を通して, 人が世界を作るのではなく, 世界が人を作っていくことを描いていく。 映画『ブレード・ランナー』はオニールの想起する未来を具現化したものかもしれないが, 同時に暗澹たるものも孕んでいる。企業のもたらした栄光に預かるのは, 企業なのだ。技術の恩恵からあぶれた者たちの存在を果たして《絶え間ない変化》がもたらす自由といえるのだろうか。
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もし裸眼で見ることの出来ない, 限られた人材しか足を踏み入れられない未知の空間があるとしたら。アメリカ航空宇宙局NASAはそんな宇宙にアクセスすることのできる数少ない組織だ。彼らはシステムの構築者でもありながら, イメージの作り手でもある。宇宙へのロケット打ち上げは膨大な予算を必要としつつ, その影響力は凄まじい。他国からの賞賛, 尊敬, 恐怖は《シグナリング》によって加速する。
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