
リト
@leato
2025年6月8日

普通という異常 健常発達という病
兼本浩祐
読み終わった
借りてきた
「たとえば、漱石の作品中で最長であって、即天去私の心境を描こうとしたと言われている「明暗』を例に取ってみましょう。そこでは、主人公の津田雄、その妻・お延、妹・お発、かつての恋人・清子の心理描写が、鋭利な筆致で描かれています。しかし、とこで照準をあてられているのは、「私」であって、延々と「私」を追い求めることで、むしろ「私」がとめどもなく見失われていく様子が臨場感を持って活写されています。
『明暗』においては、外部世界から予想外に侵入する攪乱者として寿核と吉川夫人が登場しますが、子規ならば、むしろ、特によってお尻に開いた穴を体感し、そこを活写する一瞬に明滅する「私」を捉えようとしたような気がします。子規が、「食べる」「病む」「見る」といった行為を通して対象に没入することで、則天去私を実行し、ものに照らされた見事な「私」を浮かび上がらせているのに対して、『明暗』の主人公を枠づけているのは、むしろ、物語の外にある寿核とか津田を不倫へと誘う吉川夫人であって、生きるととの不可解さ、あるいは隠されたレアルなものの不可解さに主人公は翻弄されるのです。」