
ユメ
@yumeticmode
2025年6月13日

桃を煮るひと
くどうれいん
読み終わった
心に残る一節
感想
くどうれいんさんの食に対する眼差しが好きだ。五感と、それから感受性をめいっぱい活用して食べ物を味わっていることがひしひしと伝わってくる文章は、読んでいてなんだかうきうきしてくる。美味しそうに食事をするひとを見ていることは、それだけで嬉しいものだ。
岩手の瓶ウニはいちど食べてみたいし、冷やしたじゃがいもと玉ねぎの味噌汁ともずく酢のサラダは真似して作ってみたくなった。それから、今年の夏は私もトルネードポテトを食べたい。
「大根の面取り」というエッセイに綴られている、
「丁寧な暮らし、と揶揄するとき、そのひとにも必ず暮らしの中に大事に守っているルールがあるはずなのに、それは無視されている。料理にまつわることだけが、布にまつわることだけが、丁寧な暮らしではない」
「『丁寧な暮らし』という言葉にまつわるすべてが鬱陶しい」
という言葉にははっとさせられた。私も、いわゆる「丁寧な暮らし」に憧れがある一方、なかなかそうはできない自分を責める気持ちになったり、かといって他人の暮らしぶりを揶揄する意図でこの言葉が使われているのを見かけるのも苦手だったりして、いつしか「丁寧な暮らし」という言葉自体に複雑な気持ちを抱くようになっていたからだ。
でも、くどうさんが「わたしは大根を面取りしているだけだ。それ以上でも、以下でもない」と言うように、ひとつひとつはただの生活の知恵や技術で、自分の日々を健やかにするためには、自分にできる範囲のことをひとつずつ取り入れていくしかない。「わたしはわたしの大根を切る。おまえはおまえの大根を切れ」という鋭い言葉に、不思議と救われた。





