Reads
Reads - 読書のSNS&記録アプリ
詳しく見る
ユメ
ユメ
ユメ
@yumeticmode
紙の本と本屋さんを愛してやまない人間です。 吉田篤弘さん、辻村深月さん、三浦しをんさん、森見登美彦さん、今村翔吾さんが特に好きです。
  • 2026年1月3日
    もうしばらくは早歩き
    徒歩、自転車、自家用車、タクシー、新幹線、地下鉄、動く通路、たらい船——様々な形の「移動」を題材にしたエッセイ。くどうれいんさんのエッセイを読むときはいつもそうなのだが、にこにこと笑ったり、時にハッとさせられたりと、ページを捲りながら表情筋が忙しく動く。そんな読書の時間が、とても楽しい。 遠方へ旅に出るとき、最終日に日持ちのしない食べ物をお土産に買って帰るのは真似したいなと思った。私は食べ物のお土産というと土産物店でその土地の銘菓を買いがちなのだが、それだけではなく、くどうさんのように百貨店やスーパーなどでその土地ならではの生鮮食品を買うのも楽しそうだ。旅のお土産としてカレールーをテイクアウトしたっていいんだ、と目から鱗だった。表紙のイラストはなぜサボテンなのだろう?とちょっと不思議だったのだが、その謎も解けてスッキリ。 書店回りの前に食パン二斤とケーキ三つを買って、担当編集さんに「まじですか?」と笑われるくどうさん。私は、そんなくどうさんの気持ちのいい食べっぷりが好きである。
  • 2026年1月3日
    祝祭と予感
    『蜜蜂と遠雷』のスピンオフ。本編に登場したキャラクターたちの過去と未来が、色彩豊かに切り取られている。 芳ヶ江国際ピアノコンクール2次予選の課題曲「春と修羅」の作曲家・菱沼忠明と、その教え子・小山内健次の交流を描いた「袈裟と鞦韆」がとりわけ印象に残っている。この短編を読んでから2次予選での明石・マサル・塵・亜夜の演奏を振り返ると、音楽を通じてひとの心の中にある風景が受け継がれてゆくことに遥かな思いになった。宮沢賢治が耕した畑——小山内健次の生まれ故郷であり、菱沼忠明が訪れたホップ畑——そして高島明石が心の拠り所とし、風間塵が彼の演奏から感じ取った桑畑。時を越え、少しずつ形を変えながら「生活者の音楽」が続いていることが感慨深く、やはり音楽は素晴らしいと思わされる。 ヴィオラに転向した奏が運命の楽器と出会うまでを描いた「鈴蘭と階段」もよかった。音楽に造詣の深い誰からも「これはあなたの楽器だ」と認められる一台と出会えるなんて、奇跡のようなことだと思う。
  • 2026年1月2日
    蜜蜂と遠雷
    『spring』を再読したら、こちらも無性に読み返したくなり、今年最初の一冊に選んだ。 クラシック音楽の曲想を、豊かな自然の情景や壮大な人間ドラマになぞらえた文章表現がとても美しく、初読時と変わらず恍惚としながら読んだ。 本書を読んでいると、自分が音楽をやっていたときの思い出や、演奏してきた旋律、そして音楽に対して抱いた感情の数々が次々と呼び起こされる。それらは決して綺麗なものばかりではなく、時に読み進めるのが苦しくもなる。だが、物語が終盤に差しかかってくると、圧倒的な実感を伴って「音楽って素晴らしい」と思わせてくれるのだ。風間塵という少年の存在が、初めこそ「災厄」ではないかと危惧されながらも、やがて他のコンテスタント・審査員・聴衆に音楽の喜びという「ギフト」をもたらしたのと同様に、この物語も読者の心に「ギフト」として作用する。 オーケストラの中に身を置きながら「音楽とはなぜこんなにも美しいのだろう」と泣きたくなった瞬間のことを思い出した。音楽は時代も国境も越え、奏でる者、そして聴く者の心を掴む。音楽に触れることは、とても刹那的でありながら、同時に永遠性を獲得することでもあるのだ。
  • 2025年12月30日
    プー横丁にたった家
    プー横丁にたった家
    はねっかえりのトラーが木から降りられなくなった話や、プーたちが橋の上から棒投げをして遊ぶ話、強風でフクロの家が吹き倒されてしまった話など、ひとつひとつのエピソードには確かに昔楽しく読んでいた記憶がある。 それなのに、なぜか最終話「クリストファー・ロビンとプーが、魔法の丘に出かけ、ふたりは、いまもそこにおります」に関してだけはすっぽりと記憶が抜け落ちており、こんな終わり方だったのかと衝撃を受けた。あるいは、幼少期の私には、まだこの最終話の切なさが理解できなかったのかもしれない。学校に通い始めたクリストファー・ロビンの世界から徐々にプーたちと遊ぶ時間が失われてゆくのは、とてもリアルな子どもの在り方だが、そこをふわりと魔法でくるんで描いているのが、作者A.A.ミルンの優しさなのかもしれないと思った。
  • 2025年12月29日
    ドリトル先生アフリカゆき
    ドリトル先生アフリカゆき
    ドリトル先生は純粋に生物の生態に関心があり、また、自分の家で暮らす動物たちのことを家族のように大切に思っていて、彼らの関係は対等である。動物たちはドリトル先生のことを深く尊敬しているが、決して一方的に庇護されているわけではなく、すぐれた医者であるものの生活力を欠いた先生のことを手助けして暮らしている。この絶妙なバランスこそが、本書を楽しく読める所以かもしれないと思った。 アヒルのダブダブ、犬のジップ、ブタのガブガブ、オウムのポリネシア、フクロのトートー、サルのチーチーをはじめとする動物たちは皆個性的で、彼らのことを好きにならずにはいられない。動物好きとおひとよしが高じて(そこもまた愛すべきところではある)すぐに生活苦に陥るドリトル先生だが、しっかり者のダブダブとポリネシアがついているおかげでハラハラしすぎずに見守ることができる。 病気のサルを治しにやってきたアフリカでジョリギンキの王様に追われたドリトル先生一行を、サルたちが橋を架けて助けたあと、チーチーが「えらい探検家や白いひげの博物学者が、何人も、ながい間、密林にかくれて、サルのこの芸当を見ようとしました。けれども、わたくしたちは、まだひとりの白人にも、これを見せたことがありません。有名なサルの橋をごらんになったのは、先生、あなたが最初です」と伝えたのにはぐっときた。動物たちは、ちゃんと真心を持った人間を見分けるのだ。
  • 2025年12月28日
    虚弱に生きる
    虚弱に生きる
    今、虚弱体質と向き合いながら生きる様を赤裸々に綴ったこのエッセイが広く読まれ、読者が自身の虚弱についてSNSやブログなどで発信するムーブメントが広がっていることに、とても勇気付けられている。現状の社会は健康で体力のあるひとに合わせて設計されているが、そうではないひともたくさんいるのだと周知されることによって、もっと誰もが生きやすい社会へと変わってゆく一端になってくれないだろうかと期待しているからだ。 著者の虚弱ぶりは読む前に想像していたのを遥かに上回っており、私のことを同列に並べて語るのは憚られる。それでも、「体力がないことは時間がないこと」という著者の言葉には深く共感してしまう。私が抱えている心身の不調の中でも、特に悩まされてきたのは入眠困難と過眠なので、本書のこれらについての記述には共感し通しだった。 著者が凄いのは、その時間がない中で健康になるための自炊や運動の時間を捻出していることだ。私は自身の虚弱についてほとんど諦めかけていたのだが、本書と出会ったことで、たとえ健康にはなれずとも、少しでも虚弱が軽減されるよう努めたいと思った。 また、著者は現行の社会保障が不十分であることを指摘している。著者のようなひとが生きやすくなるよう、公助がもっと充実することを切に願う。誰にでも健康を失う可能性はあるのだから、セーフティーネットがきちんと用意されていることが、誰にとっても安心して暮らせる社会に繋がると思うのだ。
  • 2025年12月27日
    spring another season
    『spring』の舞台裏や未来が綴られたスピンオフ短編集。前作と比べると、春を中心としたバレエダンサーたちの人間性によりスポットが当てられている。もちろん、バレエの描写も圧巻。 フランツの引退公演と春との別れを描いた短編「石の花」がとりわけ印象に残っている。生まれによって生き方を定められたフランツの背負う重荷、春との愛憎入り混じったバレエの神を奪い合う関係性と、終わりの見えている間柄であるという悲哀、そうしたものが「石の花」というプログラムにぎゅっと詰めこまれていた。 『spring』の「春の祭典」にも思ったが、恩田さんの、古典作品に春たちの物語を乗せてゆく力(とでも言えばよいのだろうか)は本当に凄い。ややもすれば単なる引用になりかねないが、本書においては古典と春たちの生き様がぴたりと調和し、いっそう響きを増している。春が振り付けた「桜の森の満開の下」も、坂口安吾の小説とラフマニノフの「鐘」を組み合わせてバレエにするなんて、いったいどうしたらひらめくのだろう、と圧倒される。 春たちがすごしたいくつもの季節——それはいずれも刹那的だからこそ美しい——を垣間見ることができて、よかった。
  • 2025年12月26日
    spring
    spring
    スピンオフ『spring another season』が刊行されたのに合わせて再読。 私はかつて学生オーケストラに所属していたことがあるため、バレエという題材につい音楽という側面から注目してしまうのだが、恩田陸さんの文章には読んでいると本当に音が鳴り出すような凄味がある。どうして言葉を用いてこんなにも見事に音楽というものを表現できるのか、感嘆するばかりだ。この物語の世界に浸っているあいだ中、数々のバレエ音楽の美しい旋律が脳内で渦巻いていた。 また、七瀬が「この古典文学にこの音楽を合わせてバレエにしたらどうか」という妄想をひたすら羅列するくだりでは、いったいどうしたらこんなアイデアが浮かぶのだろうと、恩田さんの上辺だけでない教養に圧倒される。 本書のクライマックスである「春の祭典」も、あの不協和音が打ち鳴らされる中で生贄を捧げるというバレエに、日本の学校の窮屈さ・息苦しさ・異質な存在に対する排他性を投影するという発想が圧巻だ。初読時は無我夢中でひたすらページを捲っていたのだが、今回は春の踊りに涙ぐみそうになった。 本書のタイトル『spring』は、もちろん主人公である萬春の名前に由来するのだろうが、彼の創りあげる舞台を観て読者の心に幾多の感情が芽吹く様にも相応しいと思った。
  • 2025年12月26日
    あきない世傳 金と銀(十二) 出帆篇
    いかなる状況に置かれてもまっとうな商いを続ける幸と五十鈴屋の面々が、改めて好ましく映る。天災に見舞われようと、音羽屋に卑劣な手を仕掛けられようと、幸の掲げる「買うての幸い、売っての幸せ」という信念が揺らぐことはない。 そんな姿を見ていたからこそ、河内屋も「浅草太物仲間から、浅草呉服太物仲間へ」という提案をしたのだろう。五十鈴屋が再び呉服を扱えるようになったことが、私も我が事のように嬉しくてならなかった。真摯な願いが込められた「家内安全」の小紋染めに、しみじみと感じ入る。 商いの形が変わったことで迷いも訪れるが、帆を上げた幸たちならきっと大海原へ辿りついてくれると信じている。青畳の上に転がった淡黄の帯地を船の辿る波路になぞらえた、結びの文章が美しかった。
  • 2025年12月18日
    岩波少年文庫のあゆみ 1950-2020
    岩波少年文庫好き、児童文学好きとして、心から手に取ってよかったと思えた良著。今年創刊75年を迎えた少年文庫の歴史、代表作の紹介、挿絵の魅力や翻訳の妙味の解説、出版業界を中心とした知識人たちの綴る児童文学の思い出と、読みどころ満載の一冊だ。そして巻末には、創刊時からの総目録まで収録されている。 岩波書店では戦時中から児童向け文庫の企画が進められていたこと、それが当時の統制機関によって頓挫させられていたことは初めて知る。その計画が戦後に少年文庫に引き継がれ、今日に至るまで編集部の方々のたゆまぬ努力によって古今東西の名作が子どもたちに届けられていることに、深く感銘を受けた。 創刊にあたって中心的な役割を果たした石井桃子さんは、「かつてあったいいことはどこかで生き続ける」という言葉を大切にしていたという。その言葉は、時代を越える名作を紹介し続ける少年文庫のあゆみにも重なるように思う。 また、本書の編著を務めた若菜晃子さんによる、少年文庫への深い愛に満ちた文章も素晴らしい。子どものかけがえのない友人となり、大人になって読むと更に深みが増す児童文学の魅力を語った文章には心を掴まれたし、少年文庫の代表作を解説する文章には、同じ物語を愛好する同志と出会えたような嬉しさがあった。 本書を読んで、岩波書店の児童文学を読んで育ってきた私自身の思い出もよみがえり、胸が温まった。私は子どもの頃には主に図書館で借りてきた岩波書店の全集を読んでおり(中でもアーサー・ランサム全集とリンドグレーン全集は何度読んだことか)、大人になってからそれらの作品を少年文庫版で手元に買い揃えるということをしてきたため、ずっと岩波書店の児童文学が人生の傍らにいてくれたように思う。それのどれだけありがたいことか、本書を読んで改めて実感した。マイ・ベスト岩波少年文庫は、『ツバメ号とアマゾン号』と『わたしたちの島で』だ。
  • 2025年12月18日
    コンビニ兄弟5
    コンビニ兄弟5
    テンダネス門司港こがね村店の店長・志波三彦は、誰もが魅了される不思議なオーラの持ち主であり、その過去は謎に包まれていた。シリーズ5冊目となる今作で、とうとう彼の過去が明かされる。 彼がなぜコンビニ店長を志すようになったのか、そのきっかけとなる出来事を読んだときには思わず目頭が熱くなった。コンビニという場所を訪れるひとの居場所に、安心安全を手渡せるところに、という想いがテンダネスの中で脈々と受け継がれていることに胸を打たれる(私は、ひとの祈りが時を越えてバトンのように繋がれてゆく物語にめっぽう弱いのだ)。 ところが、その後に更なる衝撃的な展開が待ち受けており、驚愕のあまり却って涙がひっこんでしまった。店長がなぜ門司港のテンダネスに居続けているのか、その想いの深さや重さに対して、なんと言葉をかければよいのか分からない。
  • 2025年12月15日
    わたしがいなくなった世界に
    待ちわびていた七海学園シリーズの新作、本当に読めてよかった。またしても七河迦南さんの筆力に圧倒されたし、物語というものの持つ力に胸が震えた。 本作の最大の仕掛けは、ビジュアルの存在しない小説という媒体だからこそ成立するように思う。そういうミステリに出会えると、小説好きとして胸が高鳴る。『鏡の国のアリス』が絡められているのも嬉しくなった。 同時に、終盤で真相が明かされ、ひとりの少女が懸命に生き抜いてきた世界の切実さが露わになったことには胸が痛んだ。彼女の、ひいては七海学園の子どもたちの未来に、少しでも多くの光が差しこみますようにと祈らずにはいられない。これまでの作品にも増して児童福祉についても考えさせられる一冊だった。困難に満ちた日々を生き抜く子どもたちの力と、その力を信じようとする主人公たち大人の誠実さが、深く心に刻まれる。
  • 2025年12月13日
    アルバトロスは羽ばたかない
    こちらも『わたしがいなくなった世界に』を読むのに備えて再読。 自分がつけている読書記録を遡ったら、初めて読んだのは七年前のことだったが、物語の終盤に明かされるひとつの大きな真実については鮮烈に記憶に残っていたので、いかにしてその結末が導かれたのかをじっくりと堪能しながら読んだ。初読のときには全く気付かなかった些細な違和感が随所にきちんと散りばめられていることを見出せ、改めて七河迦南さんの巧さに唸る。巻末の解説にある「真相を知った時点で本書を最初から再読してみると、この仕掛けを成立させるために著者が会話や心理描写の隅々にまで気を配りつつ、途方もなく難度の高い綱渡りを続けていたことが明らかになり、二度目の驚きを感じる筈だ」という一文に深く納得した。 そして、児童福祉司の海王さんが引用するエンデの「『希望』というものはもともと、『物事がそうだから』持つ、というものではなく、『そうであるにもかかわらず』持つものだ」という言葉が、この結末だからこそいっそう胸に響く。
  • 2025年12月8日
    七つの海を照らす星
    七海学園シリーズの最新巻『わたしがいなくなった世界に』が刊行されたのに合わせて再読。 私は連作短編集という形式が好きで、中でも短編をすべて読み終えるとひとつの大きな物語が浮かび上がる構造の小説が好きである。これまでに出会ってきたそうした小説の中でも、『七つの海を照らす星』を筆頭とした七海学園シリーズは最高峰であるように思う。一話一話もそれぞれミステリとして質が高いのだが、七話目ですべての謎が綺麗に繋がり、まさしく「七つの海を照らす星」のようなひとりの人物が姿を現したときの驚愕と感動は、再読でも色褪せることはなかった。 児童養護施設を舞台としている本書には、苛酷な環境に置かれた子どもたちが幾人も登場するし、彼らを支える大人たちの日々も困難の連続である。だが、主人公である七海学園の職員・北澤春菜が言うように、そんな日々にも必ず笑いや喜びがある。本書はすぐれたミステリであると同時に、ひとの生きる力を信じさせてくれるヒューマンドラマでもあるのだ。
  • 2025年12月4日
    やかまし村はいつもにぎやか
    やかまし村はいつもにぎやか
    幼少期の私は、この『やかまし村』シリーズや『わたしたちの島で』など、リンドグレーンの作品を読んでスウェーデンの文化に対する憧れを募らせたものだ。クリスマス、復活祭、夏至祭——中でも私が強く憧憬を抱いたのが、本書の最終章で描かれるザリガニとりである。 スウェーデンでは、一年のうち三週間だけザリガニ漁が解禁され、国を挙げて楽しむのだという。ザリガニとりに出かけたリーサたちが森の中に小さな小屋を作って寝泊まりするというのにまずわくわくしたし、焚火を映し出す夜の湖面の美しさや、リーサがトロルが出るのではないかと怯えた森の神秘的な気配にも心を奪われた。そして、翌日に控えているザリガニ・パーティーの楽しそうな予感(叶うものなら、ここまでリンドグレーンの筆で読みたかった)。久々に読み返してみても、「ザリガニをとりました」という章はひときわ輝いて見えた。 やかまし村での生活に比べるととりたてて冒険のない私の幼少期だったが、このシリーズに出会って心の友としたことは、本当にかけがえのないことだったと思う。当時のリンドグレーンとの出会いに感謝したい。
  • 2025年12月3日
    やかまし村の春・夏・秋・冬
    やかまし村の春・夏・秋・冬
    物語は前作に引き続き、やかまし村の子どもたちがクリスマスの準備を進めるところから始まる。私はクリスマスという日が大好きなのだが、それは幼少期に読んだ海外の児童文学から大いに影響を受けている。中でも、『赤毛のアン』でマシューがアンに贈ったパフスリーブの服と、この『やかまし村の春・夏・秋・冬』でリーサたちが焼いているショウガ入りクッキーは、私にクリスマスを善き日と印象づける二大象徴だった。大人になった今読み返してみても、やかまし村のクリスマスに対して抱いた憧れは決して色褪せることがない。 前作『やかまし村の子どもたち』は、「わたしたち、やかまし村の子どもたちは、みんな、クリスマスをたのしくむかえます。ええ、もちろん、わたしたちには、ほかにもたのしいことがあります。夏だって、冬だって、春だって、秋だって、いつもたのしいことがあります。ああ、わたしたちは、なんてたのしいことでしょう!」という素敵な文章で結ばれているのだが、その言葉通り、リーサたちは春には復活祭の卵パーティーで盛り上がり、夏には湖の島での宝物探しを楽しむといった具合に、一年のどんな日も目一杯謳歌している。リンドグレーンは本当に、そうした日常のきらめきを掬い上げるのが巧いと思う。 また、子どもの頃にはあまり印象に残っていなかったのだが、子どもたちの父親三人がそり遊びに混ざってうんと楽しんでいるシーンが実によかった。彼らの姿を「ねえ、おとなって、なんて子どもっぽいんでしょうね!」と評しているリーサは、大人になることをとてもつまらないことだと捉えているようなのが時々伺えるが(私だって子どもの頃はそう思っていた)、実際のところリーサは大人になってもこの父親たちのように、やかまし村での暮らしを楽しんでいるのだろうな、と思わせてくれる光景だったからだ。
  • 2025年12月2日
    やかまし村の子どもたち
    やかまし村の子どもたち
    子どもの頃に何度となく読んでいた、大好きな作家の大好きなシリーズ。久々に読み返してみて、当時の私のやかまし村での暮らしぶりへの憧れが新鮮によみがえってきた。 7歳のリーサの視点から語られる、スウェーデンの自然豊かな村での四季折々のイベントは、春夏秋冬いつでも楽しさに満ちていて、今読んでいても羨ましくなるほどだ。 ベッドの上で朝食をとる誕生日、隣の屋敷の女の子たちと交わす手紙、野イチゴが採れる秘密の場所、岩の裂け目に作る遊び小屋、吹雪の中を学校から帰ってきて食べる熱々の肉のスープと団子、クリスマス目前に庭に立てた雪灯籠の美しく灯るロウソクの火——生命力に溢れた子どもの目に映る日常は、どんな日も瑞々しく輝いている。童心に返ってリーサたちと共に遊んでいるような、心から楽しい読書のひとときをすごすことができた。 クリスマス前に新しい本をもらった子どもたちの、「あたらしい本というのは、とてもいいにおいですから、そのにおいをかいだだけでも、これを読んだらどんなにおもしろいだろう、という気がするのです」という描写が、本好きとしてすごく共感できて好きだ。
  • 2025年12月1日
    クマのプーさん
    クマのプーさん
    今年の岩波少年文庫夏のフェアのラインナップに入っていたことを機に購入。実家に『クマのプーさん/プー横丁にたった家』の単行本があったことを懐かしく思い出しながら読んだ。目次のページを捲ったところにある地図に物語の世界へ誘われるのは、久々の再読でも変わらない。 プーは楽天的な性格をしているが、時に失敗をして落ちこみ、「ぼくはとっても頭のわるいクマなんだ」と口にする。そんなプーに対して、クリストファー・ロビンが「きみは、世界第一のクマさ」「ぼくは、きみがとってもすきなんだよ!」などと優しい言葉をかけるのがとても好きだ。クリストファー・ロビンとプーが混じり気のない友情で結ばれていることが、大人になってから読むと何だか感慨深かった。 プーと仲間たちが、カンガとルーが森に住み着くという変化をひと悶着あったのちに受け入れた出来事が、「そして、みんなは、また、もとどおり、たいへんたのしくくらしたということです」と結ばれているのも味わい深い。 E.H.シェパードによる挿絵も大好き。
  • 2025年11月29日
    十一月の扉
    十一月の扉
    個人的に大きな変化が訪れた今年の十一月、久々に子どもの頃から大好きなこの物語を読み返すことができてよかった。「どっちがいいかって迷うような事があっても、それが十一月なら、前に進むの」という閑さんの言葉に、何度読んでもそのたび「十一月には私も扉を開こう」と励まされている。 今回再読してみて、爽子という中学二年生の女の子の心情がこうも瑞々しく描かれていることに、改めて感嘆した。その年頃ならではの葛藤を抱えながらも少しずつ成長してゆく彼女の姿に、歳が近かった頃は自分を重ねながら読んでいたし、大人になった今でも当時に引き戻されるような感覚がある。それと同時に、爽子を温かく見守る周囲の大人たちにも共感できるようになっている。 爽子が自らの内から湧き出してくる物語をノートに綴ることによって前に進んでゆく、というテーマはたまらなく魅力的で、幾度読み返そうと色褪せることはない。それだけでなく、当初は「今」が終わることを恐れていた爽子が未来は素敵なものだと希望を抱けるようになったのは、十一月荘で出会った個性豊かな大人たちの影響でもある。自分が子どもであるうちに、大人にも子ども時代があったのだと真に想いを馳せることはなかなか難しいが、閑さんを筆頭とする十一月荘の人々が大人になる過程を楽しんできたのだということを知れたのは、爽子のこの先の人生にとって得がたい糧となるのだろう。
  • 2025年11月27日
    雪の中の三人男
    雪の中の三人男
    ケストナーの大人向けユーモア三部作の第二作。私は第一作の『消え失せた密画』のみ創元推理文庫版を持っており、絶版になってしまっていたため手に入れられずにいたが、第二作の『雪の中の三人男』、第三作の『一杯の珈琲から』も読みたいと切望していた。中公文庫が三部作を順に復刊してくれていることを、大変嬉しく思う。 この中公文庫版『雪の中の三人男』の巻末には、吉田篤弘さんが解説を寄せている。私は先日、篤弘さんのイベントに参加する機会があり、著書にサインをいただく際に『雪の中の三人男』について伺った。篤弘さんからは「冬の夜にぴったりの本です」「とにかく楽しく読むのがおすすめです。悲しいことにはなりませんので」というお言葉をいただき、私はそれに従って本書を非常に楽しく読んだ。 雪山のホテルで、貧乏人に扮した百万長者トーブラーと、失業中の青年ハーゲドルンが取り違えられるという筋書きを、ケストナーはユーモアたっぷりに物語る。中盤からは更なるなりすましも重なり、上質な喜劇が展開されてゆく。唯一すべての真相を知る読者として、登場人物たちの行動に時折くすりと笑いつつ、温かな大団円を幸せな気持ちで見届けた。 トーブラーとその従者ヨーハン、そしてハーゲドルンのあいだに芽生える友情は、身分を超えて子どものように純粋ですらある。三人で雪人形を作ってカシミアと名付けるくだりは、無邪気で微笑ましい。雪景色の描写も美しかった。
読み込み中...