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ユメ
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@yumeticmode
紙の本と本屋さんを愛してやまない人間です。 吉田篤弘さん、辻村深月さん、三浦しをんさん、森見登美彦さん、今村翔吾さんが特に好きです。
  • 2026年2月27日
    エデンの裏庭
    エデンの裏庭
    「物語の舞台袖」と名付けられた、創作と書評のミックスされたパートと、「エデンの裏庭」という小説のパート、二部構成からなる本。吉田篤弘さんの本というものや物語というものに対する深い愛情が伝わってきて、私も自分が子どもだった頃の読書の思い出を振り返りながら楽しく読んだ。 本書では『不思議の国のアリス』『ガリヴァー旅行記』『星の王子さま』『モモ』という四作の児童文学が取り上げられているが、刊行記念のトークショーで伺ったお話によると、これらは岩波少年文庫の代表的な作品の中から選ばれたそうだ。また、本書の手にしっくりと馴染む判型も岩波少年文庫に準じているそうで、篤弘さんと岩波少年文庫双方のファンである私にとって大切な一冊となった。 「物語の舞台袖」という考え方は、非常に篤弘さんらしいなと思う。というのも、私は『小さな男*静かな声』という作品の「そして、人生はつづいてゆく」という言葉がとても好きで、篤弘さんの紡ぐすべての物語に対して、この言葉を巻末に置いたらしっくりくるような余韻の残り方を感じているからだ。本という形で切り取られた物語が終わっても、登場人物たちの人生は続いてゆく。当然、本が始まる前の物語もある。篤弘さんの小説からはいつもそのことが伝わってきて、温かな気持ちになる(もちろん、「エデンの裏庭」も例外ではない)。だからこそ、「物語の舞台袖」を覗きにいこうとする本書の試みを、とても愉快な思いで読んだ。
    エデンの裏庭
  • 2026年2月22日
    ヨルガオ殺人事件 下
    ヨルガオ殺人事件 下
    上巻から続く作中作『愚行の代償』は、小さな村に殺人の動機を持ちうる人物が多数、というミステリの王道とも言える展開を見せる。 「わたし」ことスーザンが探偵役を務める現代パートは一人称で物語が進むが、『愚行の代償』は三人称で綴られており、怪しい登場人物たちがこぞって嘘を吐いていることが読者には伝わるようになっている。むろん容疑者らの詳細な心境が明かされることはないので、余計に先が気になり、ページを繰る手が加速した。 アティカス・ピュントが見事に犯人を推理し、物語が現代パートに戻ってからも、作中作の存在がいかに事件の真相に繋がるのか知りたくて一気に読んだ(唯一、犯人からの手紙だけはその醜悪さに身の毛がよだつ思いがし、読み進めるのがしんどかったが)。総じて前作『カササギ殺人事件』に負けず劣らず面白かった。
  • 2026年2月20日
    ヨルガオ殺人事件 上
    ヨルガオ殺人事件 上
    前作『カササギ殺人事件』が抜群に面白かったので、すぐさま書店で購入したのが続編にあたるこの『ヨルガオ殺人事件』だ。 主人公の「わたし」ことスーザン・ライランドは、前作の事件のあとロンドンを離れ、クレタ島で暮らしている。そんな彼女の元に持ち込まれたのは、8年前に起きた殺人事件。事件の真相をとある本の中で見つけたという女性が、そう語った直後に失踪したのだという。その本こそ、「わたし」が担当編集だった名探偵〈アティカス・ピュント〉シリーズの一冊『愚行の代償』だった。 「わたし」が推理を進める現代パートと、作中作『愚行の代償』、二重構造のフーダニットに先を知りたくて心が逸る。今回は作中作が現代パートで果たす役割があらかじめ少しだけ種明かしされていることもあり、ますますアティカス・ピュントの導き出す結論が気になるのだ。下巻も一緒に買っておいた自分に思わず感謝したくなる。
  • 2026年2月8日
    本は誰かを連れてくる
    平松洋子さんによる書評を一冊にまとめた本。平松さんのエッセイの大ファンで、中でも『野蛮な読書』『本の花』が好きなので、この『本は誰かを連れてくる』も刊行を楽しみにしていた。平松さんの本に対する高い熱量がひたひたと伝わってくる文章で、それが快い。 「はじめに」で平松さんは、「本は、本を連れてくる。と同時に、言葉を紡ぐリアルな人間を目前に連れてくる。だから、確かなざらつきの手触りが一冊の本を生涯忘れ得ぬものにする」と語っている。本書のページの向こうには、平松さんという生身の人間が確かに存在していて、その熱い想いに触れるからこそ、紹介されている次の本へと手が伸びるのだ。 驚いたのは、本書で取り上げられている本の中に、私が積読にしている本が4冊もあったこと。平松さんが太鼓判を捺しているとあらば、読むのがますます楽しみになった。再び「はじめに」の言葉を借りるならば、「書物と人物に出会う喜びに痺れるから、本を開く。読まずにはいられない」。まさに、と思う。
  • 2026年2月6日
    ここに物語が
    ここに物語が
    梨木香歩さんによる書評や解説、本に関するエッセイをまとめた書籍。梨木さんのエッセイは静謐な文章で、拓けた世界にも眼差しを向けながらどこまでも自己の内面深くへ潜ってゆく在り方が、水の冷たい澄んだ湖を思わせる。 私はモンゴメリの作品をこよなく愛しているのだが、梨木さんが『アンのゆりかご 村岡花子の生涯』という本に寄せた解説「『曲り角の先にあるもの』を信じる」には深い感銘を受けた。「いま曲り角にきたのよ。曲り角をまがったさきになにがあるのかは、わからないの。でも、きっといちばんよいものにちがいないと思うの」は、アンの朗らかな人生哲学を象徴する私自身とても好きな台詞なのだが、梨木さんは戦時中『赤毛のアン』を訳し続けた村岡花子さんの心境に想いを馳せ、先の見えない時代だからこそ「いちばんよい」時代はこれから来ると強く思いたいと述べている。世界情勢の先行きが不透明な今だからこそ、アンの台詞に勇気をもらいたい。人間はきっと、希望がなければ生きてゆけないと思うから。
  • 2026年2月5日
    おちゃめなパティ、カレッジへ行く
    おちゃめなパティ、カレッジへ行く
    『おちゃめなパティ』を読んですっかりパティのことが好きになっていたので、再び彼女に会うことができて嬉しい。 前作では高校生だったパティは、今作では大学四年生となっている。カレッジの寮のルームメイトは高校でも親友だったプリシラで、二人の友情が続いており、いっそう遠慮のない関係となっていることが微笑ましかった(もうひとり高校時代の親友であったコニーが登場しないことを寂しく思っていたら、巻末の訳者あとがきによると、ウェブスターの別作品でコニーがヒロインとなっているらしい。新潮文庫からはもう1冊ウェブスターの新訳が刊行される予定があるとのことで、コニーにもまた会えたらよいなと願っている。私は、『おちゃめなパティ』最終章のコニーの「結局は、大人になるのも、おもしろいんじゃないかな」という台詞が好きなのだ)。 パティは大学生になっても変わらず陽気で悪戯好きで、一年生相手に自らのことを「なんの特技もないの。性格がよくて、美人で、元気なだけ」と紹介する台詞なんて、茶目っ気に満ちていて大好きである。 しかし、そんなパティは卒業を控えた最終章で、今後は学友たちとの自由な生活に別れを告げ、関心のない社交界入りを果たさなければならないであろうことを嘆いている。本書が執筆された当時は女性には家庭に入る以外ほとんど生き方がなかったことを考えると、切なくなる。だが、パティならきっとチャーミングさを忘れない大人になることだろう。
  • 2026年1月30日
    犬がいるから
    犬がいるから
    本の雑誌社の『おすすめ文庫王国2026』で取り上げられていたことがきっかけで気になったエッセイ。 村井さん一家と黒ラブラドールのハリーがすごすかけがえのない日々が、愛情に満ちた眼差しで綴られている。動物が好きなひと、動物と暮らしたことがあるひとなら、きっと心の琴線に触れるものがあるエッセイなのではないだろうか。私も、今まで我が家に来てくれた動物たちのことを想ってしみじみした。 実は私は、ずっとラブラドールという犬種に憧れを抱いている。小学生の頃に親戚の家にいたラブラドールと遊んでもらった(あれは私が「遊んでもらった」という表現が相応しい。実に賢い子だった)日のことがずっとよき思い出となっているのだ。本書を読んでハリーの優しさや愛情深さに触れるにつれ、やはりラブラドールは素敵だなという思いを新たにした。 フルカラーのハリーの写真が多数収録されているのも嬉しい(村井さんの言葉を借りるなら、ハリーはとても「イケワン」である)。 巻末の文庫版あとがきには、外で読んでいたにもかかわらず、涙を禁じ得なかった。本というものを通して、こうして遠くの犬と出会えたことに、遥かな思いになる。
  • 2026年1月26日
    好日日記
    好日日記
    『日日是好日』の著者である森下典子さんが、お茶の稽古を通じて感じる季節の移ろいについて綴った、二十四節気ごとに章立てされたエッセイ。心洗われるような文章をゆっくりと読み進めてゆく時間が、私に安らぎをもたらしてくれた。各章に、茶花や茶器、お茶菓子などを描いた著者自身によるフルカラーの挿画が収録されているのも目に嬉しい。 「立夏」の章で、私も敬愛する星野道夫さんの言葉が引用されていたことが印象に残っている。一年にいちどしか巡ってこない自然の美しさとの出会いを意識することで、ひとは自らの生の短さに自覚的になり、よりひたむきに生きられるようになるのかもしれない。四季よりもさらに濃やかな季節の変化に心を留めるゆとりを持ちたい、否、季節の変化を意識することによって精神的な余裕が生まれるのかもしれないと思った。 引用元である星野さんの『旅をする木』、そして森下さんの『日日是好日』を読み返したくなった。こうして、読んできた本と本が繋がってゆくことを感じられるのは嬉しいものだ。
  • 2026年1月26日
    カササギ殺人事件<下>
    カササギ殺人事件<下>
    本屋大賞翻訳小説部門を受賞するなど、とても評判の高い作品だったので、読む前に期待値のハードルを上げていたつもりだったのだが、そこを易々と越えてくる面白さだった。すべての謎の真相が明かされた瞬間には深い満足感に包まれ、すぐに書店で続編を購入した。 下巻では作中作『カササギ殺人事件』だけでなく、その作者アラン・コンウェイと担当編集「わたし」の周りでも大きな事件が起こる。1950年代半ばの英国の小さな村サクスビー・オン・エイヴォンと、現代のロンドン、二重に進行してゆくフーダニットの虜になり、一心不乱にページを捲った。構成の見事さに感嘆の溜め息が漏れる。 「ミステリとは、真実をめぐる物語である——それ以上のものでもないし、それ以下のものでもない。確実なことなど何もないこの世界で、きっちりとすべてのiに点が打たれ、すべてのtに横棒が入っている本の最後のページにたどりつくのは、誰にとっても心の満たされる瞬間ではないだろうか」とは「わたし」の弁だが、本書を読むのはまさしくそうした心満たされる時間だった。
  • 2026年1月24日
    カササギ殺人事件<上>
    カササギ殺人事件<上>
    出版社で編集の仕事をしている「わたし」ことスーザン・ライランドが読者に語りかけてくる冒頭の文章——「ワインのボトル。ナチョ・チーズ味トルティーヤ・チップスの大袋と、ホット・サルサ・ディップの壜。手もとにはタバコをひと箱(はいはい、言いたいことはわかります)。窓に叩きつける雨。そして本。これって最高の組み合わせじゃない?」——に、いきなり心を掴まれた。 彼女が読んでいる原稿こそが、『カササギ殺人事件』というミステリ作品である。「わたし」の語りかけによって作中作『カササギ殺人事件』への期待は否が応にも高まり、実際、初めこそ数多い登場人物の名前を覚えるのに少々苦労したが、いつしか1950年代半ばの英国の小さな村で繰り広げられる物語にすっかり夢中になっていた。 閑静な村で相次いだ死。上巻は、名探偵アティカス・ピュントがひとり目を殺害した人物を断言したところで幕を閉じる。いったい何という終わり方だろう!下巻への期待は最高潮に高まる。『カササギ殺人事件』がわざわざ作中作という形式を取っていることにもきっと意味があるのだろうから、それが明かされるのも楽しみだ。
  • 2026年1月22日
    さすらいの孤児ラスムス
    さすらいの孤児ラスムス
    ヴェステルハーガ孤児の家を抜け出した少年ラスムスは、風来坊のオスカルと出会い、共に旅をするようになる。 ヴェステルハーガにいた頃のラスムスがいかに愛情というものに飢えていたのか、リンドグレーンのこまやかな筆致から切実に伝わってきて、胸が痛む。そんな彼が、陽気で歌と手風琴が上手く、自分のことを子どもだからと軽んじたりせず、それでいて大人としてきちんと庇護してくれるオスカルに出会ったら、それは慕わずにはいられないだろう。読者だって、オスカルのことを好きにならずにはいられないのだから(もちろん、ラスムスのことも)。 しかし、二人の旅路は、ピストル強盗事件に巻き込まれたことによって波瀾万丈なものとなる。数度にわたる犯人たちとの対峙は、いずれも息つかせぬ展開で、ハラハラドキドキしながら見守った。決して気が強い方ではないラスムスが、オスカルとの平穏な時間を守るために懸命に立ち向かう姿には胸が熱くなる。終盤、ラスムスがオスカルを追いかけていってからの大団円には、私も幸福な気持ちで満たされた。 旅路の途中の「夏の音」の描写が牧歌的な美しさを湛えていて、リンドグレーン作品の魅力をここでも感じた。
  • 2026年1月17日
    万感のおもい
    万感のおもい
    変形本に角丸加工と様々な工夫が凝らされた装幀が目にする者を惹きつける。やはり夏葉社の本は佇まいが美しく、紙の本ならではの喜びがある。表紙に貼られた「エッセイ万歳」のシールにも思わず笑みが溢れ、この本を単行本で手に取ることができてよかったと思う(と言いつつ、最近刊行された文庫本には直木賞待ち会の模様を綴ったエッセイも新たに収録されているらしく、そちらも気になっている)。 ひと月ごとに「色」に焦点を当てたエッセイ「色へのおもい」が、瑞々しい情感で満たされていて心に沁みた。日々のあれこれに追われていると、決まった色しか視界に入ってこなくなってしまうことがあるが、私たちが生きる世界は無数の色に溢れている。いつも世界に対して心を開く余裕を持ち、日常がもたらしてくれる感動を忘れずにいたい。
  • 2026年1月16日
    赤いモレスキンの女
    赤いモレスキンの女
    私は文具が好きなので、『赤いモレスキンの女』というタイトルに惹かれずにはいられなかった。 パリの書店主であるローランは、ある日、ゴミ箱の上に捨てられていた女性のハンドバッグを拾う。そこに入っていたのは、赤いモレスキンの手帳と、サイン入りのパトリック・モディアノの本だった。ローランは、手帳に綴られた断片的な言葉から、急速に女性の内面に魅了されてゆく。手帳に記す文章には、その時々の心境が如実に表れるものだ。サイン本の為書きからロールというファーストネームだけ判明した女性がいったいどんな人物なのか、ローランが想像を掻き立てられるのも分かる気がする。しかも、彼女は自分と同じ本好きなのだから。ローランとロールは、本を通じて結びついているとも言える。それぞれの本棚の本の並べ方など、本にまつわる描写のディテールに心をくすぐられた。 ローランは、わずかな手がかりからロールを探し出そうとする。物語の展開自体に大きな驚きはないのだが、この大団円こそが望んでいたものなのだという素直な喜びを抱かせる力がある。クライマックスでの、「こんばんは、本を探しているんですが……」というひと言から始まるロールの台詞が、お洒落で好きだ。
  • 2026年1月11日
    幾世の鈴 あきない世傳 金と銀 特別巻(下)
    以下、ネタバレを含む感想です。 最近、老いについて考えることが増えた。30代になった自分の肉体も精神も、確実に20代の頃とは変化している。そしてその変化は、今後も止まることはないだろう。そう思うと、時に悲観的になることもあるし、そうでなくとも、自分がどう歳を重ねてゆくべきなのかということについては惑うことばかりだ。 そんな折、信頼できる書き手の綴る物語の登場人物たちが時にもがきながらも人生を先へ進んでゆく様を見せてもらえると、心の拠り所を見つけたような気持ちになる。シリーズ開幕時はまだ少女だった幸がいつのまにか私の年齢を追い越して、本作では還暦を迎えていることに驚きもあるが、やはり彼女たちの人生模様を長く見守らせてもらえることは幸せに思う。 寄り添って生きることは前途多難な道でもあると言われていた幸と賢輔が睦まじく暮らしているのには胸が温まったし、二人がいくつになっても商いに対して知恵をこらして、五鈴屋の暖簾を次の百年へと受け継いでゆこうとする姿に尊敬の念を新たにした。幸の心境を描いた「血縁が無くとも、ひとはひとを思いやれるし、そのひとのために幾らでも精進を重ねられる」という言葉に、胸を掴まれる。 上巻で自らの老いについて悩んでいたお竹が、92歳になってなお幸の右腕として健在であるのにも活力をもらった。
  • 2026年1月10日
    契り橋 あきない世傳 金と銀 特別巻(上)
    以下、ネタバレを含む感想です。 シリーズ本編で活躍した登場人物たちの過去と未来を描いた短編集。どの話もしみじみと心に沁みた。 惣次が井筒屋保晴として生きるに至った経緯が綴られた「風を抱く」には胸を突かれた。幸や菊栄のことを距離を置いて見守っていた惣次に、こんな温かな縁と悲しい別れがあったとは。風に揺れる小米花(雪柳)の素朴な美しさと、それを教えてくれたひととの思い出を胸に抱きながらこれからも逞しく生きてゆくのであろう惣次の姿が、切なく心に残る。 五鈴屋江戸本店で支配人を務める佐助の今昔の恋を記した「はた結び」。本編でも少し触れられていた過去の恋の行く末には胸が痛んだが、新たな恋が実ったことは本当によかった。他の奉公人たちに温かく見守られているのも、佐助の真面目な人柄があってこそだ。 老いに悩むお竹を主役に据えた「百代の過客」もとてもよかった。限りある一生をどう終えるのかということについて、私も色々と考えさせられる。自分の出来ることを全うする、与えられた生を力一杯生ききると決めたお竹の姿に、力強く励まされる思いがした。 そして、一途に幸を慕い続けてきた賢輔の想いの行方を描いた表題作「契り橋」。シリーズのタイトルである「金と銀」という言葉に物語が帰結する様がとても美しく、胸を打たれた。川面を彩る金波と銀波、そして二人が持つ手巾の月白、色の描写が綺麗なのも印象深い。
  • 2026年1月9日
    女王さまの休日
    ひさしぶりにシャールさんやさくら、ジャダたちと再会できたことが嬉しい。 今回、物語の舞台となるのは台湾だ。ヘチマと海老の小籠包やガチョウの油かけご飯、魯肉飯といった台湾グルメや、ピーナッツ豆花、仙草ゼリーといった薬膳スイーツがどれも美味しそうで、食欲をそそられる。とりわけ心惹かれたのは、とても爽やかな風味だという台湾珈琲だ。私はコーヒー党で、日頃様々な産地の豆を買うようにしているのだが、台湾産のコーヒーはまだ飲んだことがなく、すごく気になっている。 作中、「食べることは、生きることだ」という一文が出てくる。悩みを抱えていた登場人物たちが台湾の美味しい食事から活力を得てゆく姿を見ていると、その言葉がスッと胸に沁みてゆく。気分が塞ぎがちなときでも食べることは大切にしようと思わされるし、同時に、ただ美味しいものを食べればよいのではなく、自分の抱える問題に前向きに立ち向かおうとする心意気があってこそ食に癒されるのだとも肝に銘じておこうと思う。 かつて日本に統治されていた台湾の地で、物語は平和への祈りを込めて結ばれる。本書が刊行されてからのわずか数か月のあいだでも、世界情勢は激動してしまった。「それでも私たちは、この日常を、簡単にあきらめるわけにはいかない。自棄になったり、無気力になったり、声が大きいだけの流れに安易に取り込まれたりしてはいけない」という文章が、切々と胸に迫る。
  • 2026年1月8日
    あきない世傳 金と銀(十三) 大海篇
    以下、ネタバレを含む感想です。 シリーズ完結巻。あらすじに「まさかの裏切り」という文言が入っていたので、いったい誰がどんな形で——とハラハラしながら読み進めた。かつての結の裏切りが今なお五鈴屋主従の心に影を落としているというのに、このうえまだ幸に試練が与えられるのか、と心苦しくもあった。いざ裏切りの全容が露見した際には私も幸や菊栄もろとも奈落に突き落とされたような心地がしたが、さすが髙田郁さんと言うべきか、一筋縄ではいかない、更なる驚きの展開が待ち受けている。結のことを考えるとなんとも複雑な気分になるが、音羽屋忠兵衛が報いを受けたこと、惣次が五鈴屋を害そうとしたわけではなかったことはよかった。 源流から始まったこの『あきない世傳 金と銀』の物語が大海に辿りつくとき、そこにはいったいどんな景色が広がっているのだろうと思っていたが、同じ浅草田原町で商いをする店々と手を取り合うという幸の知恵に、またしても感嘆させられた。揃いの王子茶の暖簾がはためく光景が、しみじみと胸を打つ。遅くなってしまったが、シリーズを最後まで見届けられて本当によかった。特別巻を読むのも楽しみだ。
  • 2026年1月7日
    キッチン常夜灯 夜ふけのオニオングラタンスープ(4)
    シリーズ第4作の主人公となるのは、「シリウス」池袋店の店長であるいつき。本社が女性活躍を打ち出す前から店長を務めていた彼女は、昨今の「シリウス」の雰囲気に違和感を覚えていた。そんな中、偶然「キッチン常夜灯」に辿りついたいつきは、みもざやつぐみ、かなめと仕事の悩みを共有する関係になり、「シリウス」の改革案を次々と提案するようになってゆく。初めは複雑な気持ちを抱いていた歳下の女性社員たちと交流することで、前向きな気持ちが連鎖してゆく様が、読んでいて清々しい。私も仕事を頑張ろう、と励まされる思いがする。 また、いつきの父親が入院するくだりには色々と考えさせられた。親の老いはいつか必ず訪れる。そのとききちんと対応できるようにするためには、自分の生活基盤をしっかり固めておかなければ。 「キッチン常夜灯」の料理の数々は、今作も垂涎もの。中でもスズキのグラティネ、ジロール茸のオムレツ、牛タンのコンフィのサラダ、デザートガレット、栗のヴルーテ、そしてタイトルにもなっているオニオングラタンスープが気になって仕方がない。私も仕事帰りに「キッチン常夜灯」で夜をすごせたらな、と夢想してしまう。
  • 2026年1月4日
    パディントンの煙突掃除
    パディントンの煙突掃除
    お隣のカリー氏の家の水道管を直そうとして、お風呂場をめちゃくちゃにしてしまったパディントン。バードさんはその事態のことを「不慮の熊害(ゆうがい)」と表現する。松岡享子さんの名訳が光っているのと、都合が悪いときだけ耳が遠くなるパディントンが可笑しくて、思わず声を立てて笑った。水道管に向かってブローランプを噴射するパディントン、それから別の章で煙突掃除をした結果またしても「熊害」を引き起こして煤まみれになったパディントンの挿絵が、すごく絶妙な表情で好きだ。 パディントンが天敵と言っても差し支えないカリー氏だが、普段は意地の悪い彼が、最終章で「おまえがいなくなると、さびしくなるな、クマ公」と言うのにはしんみりする。ペルーへ帰ったきりになってしまうと思われたパディントンが、ちゃんとまたウインザーガーデン三十二番地へ戻ってくるつもりなのだと分かったときには、私もホッと胸を撫で下ろした。ブラウンさん一家はパディントンのことを家族として大切に想っているが、パディントンにとっても同様なのだということに心が温まる。
  • 2026年1月3日
    もうしばらくは早歩き
    徒歩、自転車、自家用車、タクシー、新幹線、地下鉄、動く通路、たらい船——様々な形の「移動」を題材にしたエッセイ。くどうれいんさんのエッセイを読むときはいつもそうなのだが、にこにこと笑ったり、時にハッとさせられたりと、ページを捲りながら表情筋が忙しく動く。そんな読書の時間が、とても楽しい。 遠方へ旅に出るとき、最終日に日持ちのしない食べ物をお土産に買って帰るのは真似したいなと思った。私は食べ物のお土産というと土産物店でその土地の銘菓を買いがちなのだが、それだけではなく、くどうさんのように百貨店やスーパーなどでその土地ならではの生鮮食品を買うのも楽しそうだ。旅のお土産としてカレールーをテイクアウトしたっていいんだ、と目から鱗だった。表紙のイラストはなぜサボテンなのだろう?とちょっと不思議だったのだが、その謎も解けてスッキリ。 書店回りの前に食パン二斤とケーキ三つを買って、担当編集さんに「まじですか?」と笑われるくどうさん。私は、そんなくどうさんの気持ちのいい食べっぷりが好きである。
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