
JUMPEI AMANO
@Amanong2
2025年6月15日

境界なきフェミニズム
チャンドラー・タルパデー・モーハンティー,
堀田碧
まだ読んでる
カフェ読書
第4章は2本の論文、ロビン・モーガン「地球のフェミニズム:二一世紀の政治学」とバーニス・ジョンソン・リーゴン「連合の政治学:世紀を越えて」の分析。
〈別の歴史を明らかにし、位置づけようとするとき、まったく支配的な語りに依拠し規定されたり、あるいは支配的な表現とは無縁の独立した自律的な語りだと考えてしまうことがある。このような歴史の書き直しでは、小文字の歴史が大文字の歴史と絡み合っているという認識が失われてしまうが、そうした認識こそ、対抗する行為主体の位置づけや理解に役立つのだ。〉(171頁)
〈闘いの現在性によって、ヨーロッパ近代の特徴である直線性、開発、進歩という考え方は揺さぶられ、意義を申し立てられる。だが、闘いの現在性に注目するのはなぜか?そして、地図上のわたしの位置をどう決めるのか?闘いを現時点のものと考えるなら、ヨーロッパ近代の論理と「時間の同一性の法則」は覆されるだろう。つまり、アドリエンヌ・リッチが「時間をその場で止めてしまうやり方」と呼んだ起源や結論の追求ではなく、多様な立ち位置を特徴とする同時多発的なプロセスを考えるようになるのだ。〉(177頁)
〈たとえば、わたしはこの国で、多くの法的・政治的定義の対象である。「ポストコロニアル」「移民」「第三世界」、そしていまでは「有色人市民」。これらの定義は包括的なものではないが、わたしが闘いの現在性を主張すべき分析的・政治的な場を明らかにくる。文化にしろ言語にしろ、権力と意味の複雑な関係にしろ、さまざまな動きはつねに被植民者の領域で起こる。[...]この闘いを通じた再領域化のプロセスがあればこそ、わたしは自分の政治的位置を定め、変化させながら、矛盾しつつも連続する自己を保つことができる。そうするとき、独自の政治的行為主体の概念が示される。わたしの位置は、支配についての特別な解釈や知識を強制もすれば可能にもするからだ。〉(179頁)
