境界なきフェミニズム

境界なきフェミニズム
境界なきフェミニズム
チャンドラー・タルパデー・モーハンティー
堀田碧
法政大学出版局
2012年4月1日
11件の記録
  • JUMPEI AMANO
    JUMPEI AMANO
    @Amanong2
    2025年6月18日
    第8章読む。 〈わたしが「人種」や「アジア性」や「褐色の肌」を体現するのではなく、植民地主義や人種主義や性差別や(階級や地位の)特権の歴史が、アメリカ合衆国でのわたしと白人、わたしと有色人の関係に影響するのだ。〉(282頁) 〈一九六〇年代や七〇年代の「個人的なことは政治的である」というスローガンは、一九八〇年代には「政治的なことは個人的である」に変わった。言い換えるなら、あらゆる政治は個人的なことに矮小化され、個人の行動や態度やライフスタイルの問題が社会の政治分析の代役を務める。そこでは個人の政治的な闘いのみが、政治運動の正当でふさわしい唯一のあり方と見なされる。〉(311-312頁) 〈単に声をもつことが重要なのではなく、個人や集団の一員としての立ち位置から発せられる声をもつことが緊要なのだ。〉(315頁) これで第Ⅱ部は終わり。「第Ⅲ部 新たなフェミニズム」は第9章のみ。第1章に収録された論文「西洋の視線の下で」を再考するもの。誠実な研究者。
  • JUMPEI AMANO
    JUMPEI AMANO
    @Amanong2
    2025年6月17日
    第7章はその名の通り「民営化する市民権」と「企業化する大学」について。今なおアクチュアルな問題... 〈本章では、スタンリー・アロノヴィッツが「知の工場」と呼び、他にも「企業大学」、「デジタル学位工場」、「大学資本主義(アカデミック・キャピタリズム)」、「北米大学の学問のグローバリゼーション」などと呼ばれる大学のあり方を、反人種的フェミニズムの立場から批判したい。〉(250-251頁) 〈こうした大学の理念の再編は、より大きな「軍・監獄・サイバー・企業複合体」に組み込まれる。というのも、企業化した大学はいまや、この複合体を支えるのに必要な知識をつくりだすからだ。〉(270頁)
  • JUMPEI AMANO
    JUMPEI AMANO
    @Amanong2
    2025年6月17日
    第6章も勢いで読む(思いのほか長かった)。 〈本章では、「女性の仕事」という分析カテゴリーをとりあげ、こうしたカテゴリーによってジェンダーと人種のヒエラルヒーが歴史的に当然視されてきたことを考察したい。現在の世界秩序の確立や維持・強化にとって、国際分業は中心的な役割を果たしている。グローバルな組み立てラインは、「仕事を提供」し、利益を生むだけでなく、人間をも製造している。だから、ある仕事やそれに携わる労働者を当然視する想定は、グローバル資本主義の性の政治学を理解するうえできわめて重要だ。〉(208頁)
  • JUMPEI AMANO
    JUMPEI AMANO
    @Amanong2
    2025年6月16日
    第5章は「系譜の定義:北アメリカで南アジア人であることについてのフェミニストの考察」という著者の発表(1993年)がもとになっているよう。「第Ⅰ部 フェミニズムの脱植民地化」はここまで。第6章から「第Ⅱ部 資本主義の脱神話化」に入っていく。
  • JUMPEI AMANO
    JUMPEI AMANO
    @Amanong2
    2025年6月15日
    第4章は2本の論文、ロビン・モーガン「地球のフェミニズム:二一世紀の政治学」とバーニス・ジョンソン・リーゴン「連合の政治学:世紀を越えて」の分析。 〈別の歴史を明らかにし、位置づけようとするとき、まったく支配的な語りに依拠し規定されたり、あるいは支配的な表現とは無縁の独立した自律的な語りだと考えてしまうことがある。このような歴史の書き直しでは、小文字の歴史が大文字の歴史と絡み合っているという認識が失われてしまうが、そうした認識こそ、対抗する行為主体の位置づけや理解に役立つのだ。〉(171頁) 〈闘いの現在性によって、ヨーロッパ近代の特徴である直線性、開発、進歩という考え方は揺さぶられ、意義を申し立てられる。だが、闘いの現在性に注目するのはなぜか?そして、地図上のわたしの位置をどう決めるのか?闘いを現時点のものと考えるなら、ヨーロッパ近代の論理と「時間の同一性の法則」は覆されるだろう。つまり、アドリエンヌ・リッチが「時間をその場で止めてしまうやり方」と呼んだ起源や結論の追求ではなく、多様な立ち位置を特徴とする同時多発的なプロセスを考えるようになるのだ。〉(177頁) 〈たとえば、わたしはこの国で、多くの法的・政治的定義の対象である。「ポストコロニアル」「移民」「第三世界」、そしていまでは「有色人市民」。これらの定義は包括的なものではないが、わたしが闘いの現在性を主張すべき分析的・政治的な場を明らかにくる。文化にしろ言語にしろ、権力と意味の複雑な関係にしろ、さまざまな動きはつねに被植民者の領域で起こる。[...]この闘いを通じた再領域化のプロセスがあればこそ、わたしは自分の政治的位置を定め、変化させながら、矛盾しつつも連続する自己を保つことができる。そうするとき、独自の政治的行為主体の概念が示される。わたしの位置は、支配についての特別な解釈や知識を強制もすれば可能にもするからだ。〉(179頁)
  • JUMPEI AMANO
    JUMPEI AMANO
    @Amanong2
    2025年6月14日
    第3章はミニー・ブルース・プラットの自伝風論文「アイデンティティ:肌の色、血、心」を発展的に読み解いていく。タイトル通り〈「ホーム」っていったい何だ?〉という問題と共に。 〈さまざまな「会話の相手」に連続性をもって応える一貫した自己などありえない。歴史が介入する。[...]それぞれのふれあいにおける声、音、見たこと、聞いたこと、「会話の相手」が背負う各自の歴史。〉(137頁) 〈変化は境界を越えることと関わる。その境界は、白人のアイデンティティの周りに、慎重で頑強に、まったく目に見えないようにはりめぐらされている。変化とは、こうした境界を踏み越えることなのだ。〉(142頁) 〈語ったり行動を起こしたりするのに安全な場所を探すことと、安全な場所に支払う対価を自覚し、その根拠となる排除や拒絶や無知に気づくことは、鋭く対立する。〉(146-147頁) 〈アイデンティティや立場をもたないと主張すること自体が特権であり、現実の歴史的、社会的関係のなかでその人が果たすべき責任を拒否することだ。それぞれの立場の存在やその重要性を否定し、個人の歴史を認めず、それと無縁でいられると主張することなのだ。〉(148頁) 〈「ホーム」のような安全な別の場所を想定して求めることは、「統一性」の定義を知れば、困難になる。政治的にも個々人のあいだでも、「統一性」は、断片から成り立ち、闘って選びとるもので、ゆえに不安定だからである。統一性は「同一性」にもとづくものではないし、完全な一致などもない。ただ、受け身ではない行為主体があるのみなのだ。〉(149-150頁)
  • JUMPEI AMANO
    JUMPEI AMANO
    @Amanong2
    2025年6月13日
    オードリー・ロードの詩の引用から始まるかっこいい第2章。「闘いの地図を描く」という章題もかっこいい。長めの論考。 〈言説的カテゴリーが政治闘争の中心課題であるのはたしかだが、そうした課題は日常生活の物質的な政治、とりわけ貧しい人々、歴史から抹殺された人々が生きるために営む日々の闘いに根ざし、それを反映したものでなければならない。〉(79頁) 〈アイデンティティの問題は非常に重要だが、自分とは何かといった個人主義的な考えから即政治的(あるいはフェミニスト的)主体が生まれると短絡してはならないのである。〉(111頁) 〈何よりもまず、抵抗はどんな支配形態であれ必ず生まれる。だが、それはつねに組織された運動とは限らない。抵抗は、支配的な物語の裂け目や不一致や沈黙のなかに存在し、記憶や記述のなかに密かに埋め込まれる。だから行為主体が形づくられるのは、第三世界女性のささやかな日常の実践と闘いのなかでなのだ。政治や運動は一貫したもので社会生活から生まれるとされるが、必要なのは社会生活そのものの再考である。〉(119頁)
  • 埋没
    埋没
    @mai_botsu
    2025年6月13日
  • JUMPEI AMANO
    JUMPEI AMANO
    @Amanong2
    2025年6月12日
    第1章は有名な論文「西洋の視線の下で」。 〈ジェンダーのみにもとづいたシスターフッドはありえない。シスターフッドは、具体的な歴史的、政治的な実践および分析のなかで構築されなくてはならないのである。〉(35頁)
  • JUMPEI AMANO
    JUMPEI AMANO
    @Amanong2
    2025年6月11日
    いつか読まねばと思っていたもの。訳者あとがき、日本語版への序文、序章読む。
  • 💛
    💛
    @syaosyun
    2025年3月17日
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