
🌜🫖
@gn8tea
2025年6月15日

多聞さんのおかしなともだち 上(1)
トイ・ヨウ
読み終わった
もらった
10年ほど前、アセクシャルという言葉を知って救われたことで、自分事としてセクシュアルマイノリティに関心を持つようになった。
当時わたしが観測していた範囲での印象ではあるものの、コミュニティ──と雑に括るのはよくないかもしれないが、例えばTRPなどの目立つ活動のみを考えても──の恋愛至上主義は強かったように思う。「love is love」「多様な愛のかたち」といった表現について、その意義は理解しつつも、どこか疎外感を覚えていた。「誰を好きになってもおかしくないよ」という言葉は、わたしを透明にしてしまう気がした。
この漫画の主人公内日は、レズビアンの母達と暮らし、「誰を好きになってもただめちゃくちゃ喜んでもらえる家」で育ったにも関わらず、好きな人の話をするのが昔から苦手だと言う。
母達の、
「なー内日 好きな子ができたら教えてな」
「お母さんら大人になってだいぶ経つまで 好きな人のことおばあちゃんによぉ話せんかったから 内日にはさぁ いっちゃん先に教えてもらいたいねん それがめっちゃ楽しみやねん」
「付き合っている人のことも 結婚の話も全然せえへんのは わたしらが結婚できんこと 気にして話しづらいとか思わせてもうてんやろか」
という台詞。
内日の「"二人の女と暮らしている子"が "愛する気持ちは変わらない"を証明できへんかったら… 恋する気持ちがわからへんかったら──…?」という不安。
誰かと恋に落ち、やがてパートナーを得ることが普通であるという価値観がまだ根強い社会で、"想定外"として存在することの居心地の悪さや葛藤が丁寧に描かれていると感じた。
近年、アセクシャルやアロマンティックに関する書籍が出版されたり、漫画やドラマの題材になったり、注目が高まっているようで嬉しい。わたしとおなじように、アセクシャルやアロマンティックという概念を知ることで救われる者がきっといるだろう。
同時に、まだひろく知られていないセクシュアリティや属性がたくさんあるのだろうと想像する。
表現の多様性が、この社会の多様性に追いつきますように。
母が好きな本を1冊買ってくれると言うので、気になっていたこの漫画を選んだのだけれど、下巻も買ってくればよかった。続きが気になる。

